第10話

「太明殿?」

不意に立ち上がった太明へ、日向が不信そうに尋ねるが、太明は何も言わず、外へと出て行った。

「どこへ行かれる?!」

日向の声に答えもせずに、太明は闇の中へと足を向けた。

日向はとっさに戸口に立てかけてあった竹箒を手に後を追う。


「太明殿!」


社のあった方角を見やり、そして日向の鋭い声に応えるように振り返る。

墨を流したような真夜中の闇。その中に立つ日向。

その背後に、さきほどまでいた家の仄かな明かり。

そして、その仄かな光を受け、闇の中でも、日向の姿がはっきりと切り取ったように見えた。


「今の状況が間違えている、と申しましたな」

太明が尋ねると、日向は用心をしながら頷いた。

「だったら、このようなものにしがみつかずに、全てをさっぱりと無くしてしまえばいい」

太明の言葉に日向は息を呑んだ。


「大事にしていた書も売り、家も離れた。

それなのに、なぜこれだけ残す。

ここから離れない。

これがあるから、日向殿は曖昧であるのだろう」

「…そう…ではない」


うめくような声が、かろうじて日向から聞こえた。

そんな日向の姿を太明は目を細め見やり、そして刀を抜いた。


……なにをする気だ!


日向は息を呑み、とっさに動いた。

袴の裾が風をはらみはためく。

太明の正面へと回り込み、手にした竹箒で太明を止めようとでも言うのか、構えている。


「刀だけで社は壊せぬでしょう!」

「社という建物を壊さずとも、祀ってある神体を壊せば同じこと。この扉くらいであれば、私でも斬れる。神体のある本殿までもさほどありますまい。それほど時はいらぬ。

…して、日向殿は、それで刀とやりあうおつもりか?」


太明の言葉に答える代りに日向は竹箒を構えたまま、半歩、前に出た。

太明はそんな日向に、切っ先をすうっと向ける。


「貴方は私が斬らない、とでも思っておられるのか。

生憎ですが。私は斬りますよ。

言ったでしょう?

私のような者を泊めて、危ないとは思わないのか、と。

私は……」

「山伏ではなく、本当はもののふ…しかも、落ち武者だと言うのでございましょう!」


太明の言葉に日向が叫んで続けた。

山伏が修験、修行のために入山するには、少なくとも数名で行動する。

それに、この山は山伏のための修験の場はない。

故に、この山に入ってくる山伏はとても珍しいことだった。

ならば修行や修験ではなく、客層として歩き渡っているのかというと、それも違うように思われた。

わざわざ山に入って来たりせずとも、麓の村を回って歩いて行った方が、村人の生活がある分、客層としても生活しやすい。


「だから…何か故があって、一人、山道を来たのだ、という考えにいたりました。

そして、太明殿のお持ちである刀は、山伏たちの持つ護身用の刀とはあきらかに違う。

傷も、獣に襲われたり山で怪我をしたものとは違うように見うけました…。

だから」

本来は山伏ではない。


山伏の格好をし、人目を避け、山を抜け逃げる最中の落ち武者であろうと推測できた。

日向はそう言う。


……その通りだ。

太明は本来、山伏ではない。武家の生まれだった。


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