第9話
太明のその言葉に、日向は目に見えるほどギクリと体を震わせた。
“知識を詰め込めば、それで何とかなると、父や祖父たちの役に立つと、そう信じていた”
知識を求め、都へと出た。
家族は、そんな自分のわがままを快く承諾してくれていた。
その愛情と期待を己でもわかっていた。
だから、少しでも役に立とうと思っていたのだ。
書を読みあさり、多くのことを覚えれば、それが自分なりの恩返しになると信じ…
しかし、帰ってきてみると、恩を返すべく家族は皆いなくなっていた…
“家族を殺した者は憎いが…今の時代、忌み嫌うものが多すぎる”
家族を奪った者よりも憎いのは、何もできなかった己。
注いでもらった愛情に何一つ応えることの出来なかった自分。
本を読んだだけの知識は、実際に動いてみないことには何の役にも立たないと気付いた時、それまで自分が重ねてきた時間さえ厭わしく感じた。
「自分が嫌で、こんな人の来ないところに閉じこもったのか、罪ほろぼしのために」
「違う!」
思いもかけないほど鋭い声が、太明の言葉に被さった。
その声に応じ、ろうそくの火が大きく揺れる。
その仄かな火に照らされ、真白い日向の頬に、さっと朱みが走った。
漠とした存在だった日向が、それにより、はっきりとした赫い影となり壁に映る。
まっすぐに太明を見ていた双眸は、今は伏せられ眉間にしわを寄せていた。
「いや…違わないな……」
通りの良いその声は、多少弱弱しくなりながら自嘲を交えてそう言った。
「私は…どうして良いのかわからなかった」
どうしたら良いのかわからぬまま、書物を売り払い、家族との思い出を断ち切るように家を出た。
しかし、一番思いが深いはずの社のすぐ傍に住み着き、社の手入れをし続け……。
そうして答えを探しあぐね、一人でここに暮すようになってから、どんどんと、自分の在りかたを希薄にしていった。
「日向殿は、このままで良いと思っておられるのか?」
太明の言葉に、日向はいっそう眉間にしわを入れた。
今、太明と向かい合っている日向は、ろうそくの灯を受け、曖昧模糊とした影はなくなっていた。
その代わりに、その背が夜の闇を背負っている。
「わかってはいる…頭では間違えていることはわかっている…」
通りの良い声は苦々しげに答えた。
ゆっくりと太明から視線を外す。それは、母親とはぐれてしまった幼子のような目であった。
「こうすることで、いつまでも己と家族に甘えているということも…わかってはいるのだが…」
それでも自分が許せない。
無為に過ごしたと思える時間を…恩を返すべき相手がいないことを…
それらの苛立ちとやるせなさを。
ぶつけるべき対象のいないことを。
そのような日向を見て、足の痛みも構わず、太明は刀を持ち立ち上がった。
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