第8話
それ以後、静かなまま、夕餉を済ませ、洗い物をするために、再び影のように音も無く動いている日向の背に、太明は声をかけた。
「家族が死んだから、跡を継いだと申されましたな」
「はい」
「では、もしも親が死ななかったら、日向殿は別のことをしておられたのか?」
「それはわかりませぬな…。
跡を継ぐといえば兄がいたから、順序で言えば兄が継いでいたことでしょう。その手伝いくらいはしたかもしれませぬが。
しかし、いずれにせよ、今とそれほど変わらぬ事はしていたのではないか、と思われます」
悔やまれると言えば、まだまだ学ぶことが多々あったことくらいだ、と迷いの一切ない言を紡ぐ。
「ただ…」
そう言いかけ、日向は、わずかに沈黙した。部屋の隅にあった夜の帳が、その顔の一端にも宿る。
装束も白い頬も闇にとけることなく、相変わらずくっきりと見て取れたが、先ほどから変わらなかった迷いの無い黒い眼には、幾分かの陰りが混じった。
「……数年前までは、…家族が亡くなる直前までは学者の真似事をしていました…」
呟く声は、己を責めているようにしか聞こえなかった。
家族からは、多すぎるほどの愛情を注いでもらっていた。
それに甘え、好き勝手をさせてもらっていたのだという。
学者の真似事をし、多くの書を読みふけることで、知識を詰め込んだ気になり、そして、それだけで、父や祖父たちの役に立っている気になっていたのだ。
そして、日向は悲しげに顔をゆがめる。目には帳が降りる。
それが、おぼろげで曖昧としていた日向を浮かび上がらせ始めていた。
「思い上がっていたのだ。
知識を詰め込んだだけでは、実践では役に立つものではない。
けれども、私は、それで何とかなると信じていた」
そう言い、さも可笑しいように、くつくつと笑った。
それは自嘲もあるだろうが、それとともに、懐かしさを笑いに変えているような…そんな笑いであった。
家族が亡くなり、いざ、自分ですべてを仕切らざるを得なくなると、知識のみでは半分も役に立たないものである。
それに気がつくまで時間はさほどいらなかった。
それ以前に…。
誰も参拝には、やって来ない。
それでも、もしかしたら、いつか必要かもしれないために日向は覚えている限り、同じ事をしてみた。
祖父や父親が絶えずしてきた毎日の勤め。社の手入れ。
本の知識は必要ない。読む暇も無い。
だから、日向は家の至る所に積まれてあった本の数々を、全て売った。
ついでに家から出てここへ住み着いた。
元の家は独りで住むには広すぎた。何よりもここに遠かった。
「村にいた方が食料や衣服の調達に便利ではありますが、しかし、家族は皆いなくなってしまったので、どうせ独りならば、と」
移った。
と、日向は言った。
自給自足の生活をするのであれば、村で暮らさずとも平気だ。
あれほどあった書物など、一冊も無くとも生活に支障はきたさない。それでも、どうしても必要なものが生じた場合は、買いに行くと言う。
参拝客がおらず、金銭面では多少困るが、それでも、書物を売った時の金子、以前からのわずかながらの蓄えなどで何とかなるものだ。
そんなものなのだ、と日向は笑いながら頷いていた。
「神に祈っても、何が起こるわけではない、と申されたな」
太明の、用心しながら言った言葉に対し、日向は、事も無げに
「違いますかな」
とサラリと答え。
また静かに哂った……。
そして、再び
「また要らぬことを申してしまいました」
と結んだ。
ずいぶんと一人でいたから、人と語ることが久しぶりなのだという。
「自らの事ばかりを口にして失礼をした」
そのようにわびる。
……なるほどな…
太明は今の答えと哂いを見てわかった気がした。
それと同時に、自分が感じたずれの正体もわかったように思えた。
「家族が襲われた時、日向殿はその場にいなかったのですか」
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