第3話

 少し熱があるな、と思ったときには遅かった。

 同じクラスの灯理に保健室行きを促され、しぶしぶ従う。幸いなことに昼食は終えたので、元気はあるほうだ。由比はパイプ椅子に座りながら検温をしている。正確に測るために時間のかかる体温計を渡されて、面倒だと思ったのは内緒だ。

「あら」

「あれ、帆足ちゃんだ。こんにちは」

 保健室のドアから現れたのは最近よく会いたいと思うその人で、熱があるので少しぼうっとする。ほのかな恋心くらいに思っていたのに、なぜだか心拍数が上がっている。

 熱があるのだ、と由比は自分に言い聞かせた。

「熱があるの?」帆足は心配そうだ。

「うん、ちょっとあるみたい」由比は頷いた。

「ちょっとじゃないでしょう」保健の先生はあきれたように体温計を眺めている。「由比くん。すぐ帰るか、少し休んでから帰るかなんだけど、迎えに来られる人はいる?」

「うちは二人とも仕事だから難しいです。一人で帰れます」

「神門さんはどうしたの?」

「頭痛がひどくて休みに来ました」返事をする帆足の顔色は悪い。

「由比くんは、都合つけてみるから一時間くらい休んでいなさい。神門さんも休んで良くならないなら言ってね。あなたは誰か来られるでしょうから」

 神門家ならば迎えのリムジンがあっという間に来るだろう。想像は簡単だ。

 由比は大人しく横になった。部屋にカーテンの閉まる音が響く。保健室には帆足もいるのだが、一人きりになった気分だ。しっかり休めるように、ベットにはひとつずつカーテンがついている。さぼる生徒には厳しいだろうが、体調不良の生徒には優しい空間だ。おでこに貼る冷えたシートまであるので、我が家よりも贅沢だった。

 ずれていた枕を直すと、仕方なく頭をのせる。それほど眠くないのに横になっている。久しぶりの風邪に、頭がついていかない状態だ。眠くなれと念じても、本物の妖精のような魔法は使えないので上手くいかない。

 カーテンに囲まれたベッドの上で、由比は眠ろうと布団をかぶる。校庭からは体育の授業の声がして、音楽室からは歌声が届く。鉛筆を動かす音は聞こえないものの生徒は勉強をしているだろう。授業中なのだから当然だ。

 由比は咳をした。やはり風邪なのだろう。呼吸がいつもより苦しい。水を飲もうとしてペットボトルの蓋を取ったが、手が滑ってしまう。

 こつん、と床に音が響く。軽くて乾いた音だ。それが何回か続いたので、遠くまで転がっていったようだ。仕方なくカーテンを開けて蓋を取りに出た。

「どこいったかなあ」

由比は床を覗き込むように歩いた。傾く体に力を入れると、体に違和感がある。熱は上がっているかもしれない。

離れたところにあるベットのカーテンが開いて、帆足が顔を出した。顔色は悪いままだが、どことなく嬉しそうだ。

「探し物はこれかしら」

「うんそれ。ありがとう、帆足ちゃん」由比は笑った。さっきまで咳をしていたのに、思わず笑みが零れた。

「具合が悪い時に笑わなくていいのよ」

「でも嬉しいから」

「蓋が見つかったのが?」

「ううん、帆足ちゃんがひろってくれたから、かな」

「落とし物くらい届けるわよ」

「でもさ、すぐそこに落ちていてもそのままにされることってあるでしょ」

「私はしないけれど」

「しないだろうねえ」由比は微笑んだ。

「雅臣もしなさそうね」

「うん。だって気が付いたらなかったことにできないからね」

「とても好ましいと思うわ」

 難しい言葉に、由比は首を傾げた。好ましいというのは好きということだろうか。帆足はまだペットボトルの蓋を持っている。彼女の指先に意識が行って、好ましいという言葉は由比のなかで回っている。出口は一か所だろう。

「僕も帆足ちゃんが好きだな」

 由比の口から出たのはまっすぐな言葉で、含みは何もない。

「あら」帆足は驚いている。

「ええっと、落とし物を拾ってくれるところがね。ぼくも好ましいと思う」

 言い訳はすぐについてきたが、誤魔化せないだろう。

「じゃあ、落とし物を返さないといけないわね」

「うん、今度こそありがとう」

「どうぞ」

 蓋が戻ってきたのに、由比は落ち着かない。そういえば熱があった。そうだ。そういうことにしておこう。

 これがあやふやな告白をした日。

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