information:04 クロワッサン一家とエメラルド邸

「お父さん!」


 お父さん、と叫んだ可憐な美少女は依頼主であるヴァンの娘。殺害予告を受けた被害者であるパン・クロワッサンだ。

 年齢はセリシールと同じか少し上。髪色は黄金色でさらさらとしたロングヘアーだ。


 ヴァンは娘の無事を確認した途端、人目を気にせず飛び込み抱きついた。


「パン! 無事でよかった。ずっと心配で心配で。お前の顔が見れてよかった」


「お、お父さん、み、みんな見てるから。は、離れてよ。ね?」


 頬を朱色に染めて羞恥を見せるパン。

 それでも父親は離れようとはしない。娘の姿を見るまで気が気でなかったのだ。たとえ娘のお願いであっても離れたくはないのだ。

 娘のパンも嫌がっているように見えるが、朱色に染まった頬と緩む口元から本心では喜んでいるのがわかる。ただ人目を気にしている。そんな感じの様子だった。


 父親と娘の感動的な再会の最中、パンの視界に見慣れない幼女の姿が映る。

 床にまで付いてしまいそうなほど長い銀色の髪、その銀髪にはウサ耳のカチューシャが付けられている。

 この豪邸のメイドでもなければ執事でもない。さらには父親が相談に行った国家保安局や探偵事務所の人間ではないとその見た目からわかる。

 ではこの銀髪の幼女は誰なのか。その答えを知るためには自らが口を開き訊くしかない。


「そ、そのお父さん。そちらの子供は?」


「ああ! そうだ。そうだった! 紹介しないとだね」


 我を忘れてしまうほど娘に会えた喜びが強かったのだ。

 ヴァンはパンの肩を大きな手で掴みながら銀髪幼女の紹介を始めた。


「こちらのお方は情報屋のネーヴェルさんだ」


「情報屋?」


「パン、もう安心していいぞ。殺害予告をよこしたクソ野郎の正体はじきにわかる。だから知ってることをネーヴェルさんに話してくれるかい?」


「わ、わかったわ」


 パンはヴァンから離れると、扉の前で大人しく待っていたネーヴェルの元へと歩み寄った。


「は、初めまして」


 緊張しているのだろう。視線が右へ左へ、指をもじもじと忙しい。声も小さい。


「わ、私はパン・クロワッ……」


 忙しかった視線は一点を見つめた。それと同時に自己紹介も中途半端なところで止まる。

 まるで時が止まったかのような状態が二秒、否、三秒続いた。


「ほ、本物だったの!? ぬいぐるみだと思った!」


 先ほどまで小さな声で喋っていた少女とは思えないほど、大きな声を発した。

 そうなってしまった原因は、ネーヴェルが抱きしめているミニウサギのクロロにある。

 ネーヴェルの幼い見た目とクロロの大人しさが相まってぬいぐるみに見えていたのである。


「さ、触っても……い、いい?」


「ああ。もちろんだよ」


「ありがとう。か、噛んだりしない?」


「クロロは超絶有能なウサギだからね。噛んだりしないよ」


「クロロって名前なんだね。そ、それじゃ……さ、触るよ」


 パンは自己紹介そっちのけでクロロに向かって恐る恐る手を伸ばす。

 どんなに噛まないと言われても動物は動物。アクシデントが起こるかもしれないのだと人間の本能が訴え鼓動を早くするのだ。

 先ほどまで触るのが不安だった少女には見えないほど触る、揉む、モフる。無我夢中でモフり続ける。それだけクロロには――ウサギという生き物には人を虜にさせる魅力があるのだ。


「か、可愛いぃいい! すごく! すごく可愛い!!!!」


「ンッンッ」


 モフられているクロロは気持ちよさそうに声を漏らしていた。

 そんな気持ちよさそうにするクロロにネーヴェルも満足した様子だ。自分のペットが褒められて嬉しくない飼い主はいないのである。


「この子――クロロちゃんは女の子でしょ!」


 パンは友達に話しかけるような口調でネーヴェルに話しかけた。

 そんなパンにネーヴェルは驚いた表情を見せる。馴れ馴れしい口調になったからではなく――


「よく女の子だってわかったね」


 クロロの性別を見分けたからである。


「だってが大きいからさ!」


「ほぉ。マフマフって言葉を知ってるんだね」


 マフマフとはメスウサギにのみ現れる身体的特徴――首元の肉垂にくすいのことである。

 性別の見分け方の他にも『マフマフ』という特別な用語を知っていることにネーヴェルは関心の目を向けた。


「キミはウサギが好きなんだね」


「うん! ウサギも大好きだし、もみんな大好きよ」


「ここの動物たちとは?」


 ネーヴェルは小首を傾げた。

 辺りを見渡しても動物はいない。玄関からこの部屋に来るまでの道のりの中にも一匹も動物はいなかった。だから素朴な疑問が浮かんだのである。


「エメラルド湖畔に集まる動物たちだよ。カモやサギ、フラミンゴ、ハシビロコウ、それにカモノハシ、ヌートリア、ビーバー、カワウソ、たくさんの動物がエネラルド湖畔にいるのよ! 結構前の話だけど、ウサギも水飲みに来てたところを見たことがあるわ! 触りたかったけど逃げられちゃって……」


「野生のウサギは警戒心が強いからね」


「そうなんだよね。だからこうやってウサギを……クロロちゃんを触れて幸せだよ」


「それは良かった」


 殺害予告を出されているとは思えないほどの癒され顔だ。


「この幸せな時間を壊すのは不本意だけどさ……キミに届いた殺害予告について知ってる情報があれば教えてよ。もちろんクロロを触りながらでいいからさ」


 突如本題に戻したネーヴェル。

 ここに来たのはクロロを触らせるためではない。殺害予告について有力な情報を得るためだ。仕事で来たからにはいつまでも遊んでいるわけにはいかないのである。


「あ、う、うん。そ、そうだよね。そうだった……」


 わかっていたことだが、パンの表情も一気に暗くなる。

 殺害予告を出されているのは彼女だ。それを思い出して沈んでしまうのは当然のことだろう。

 本当ならば笑顔のまま今日一日を、これからの人生を歩んでほしいところ。

 しかし殺害予告が届いているのならそうはいかない。一刻も早く事件を解決する手がかりを――情報を入手して、本当の笑顔を取り戻させてあげなければいけないのだ。

 それが今回の依頼の最も重要な部分。ネーヴェルがやり遂げなければいけない仕事だ。


「な、なら、紅茶も一緒にどうかしら? ジュースもあるわよ」


「コーヒーなら喜んで頂くよ」


「こ、コーヒー!?」


 幼女がジュースよりもコーヒーを選んだことに衝撃を受け、叫ぶ。


「砂糖とミルクはいらないよ。ボクはブラック派だからね。クロロの体毛のようにね」


「ンッンッ」


 まるで会話をしているかのようにクロロがタイミングよく声を漏らした。


「ブ、ブラック!?」


 クロロの可愛らしい声をかき消す勢いでパンが再び衝撃を受け、叫ぶ。

 二人の会話を遠くで聞いていた数人のメイドが同時に動き出す。紅茶とコーヒーの準備をするために動いたのだ。


「ネーヴェルさん、こちらにどうぞ」


 ヴァンはアンティークチェアを引いてネーヴェルを座らせるための準備を整えた。

 そのアンティークチェアに向かってネーヴェルは歩き出す。そしてクロロを抱きしめたまま座った。

 当然のことながらこのアンティークチェアは大人用。子供が足を置くための足置き場はない。

 ネーヴェルの足は床にはつかず宙に浮いたままだ。見た目が幼女のネーヴェルにとっては仕方がないことなのである。

 テーブルはアンティークチェアと同じ種類のもので四人用のサイズだ。

 ネーヴェルの横にはパンが座り、正面にはヴァン、その横には女性が座った。

 最初に口を開いたのはネーヴェルの斜め前に座る女性だ。


「オリヴィア・クロワッサンです。本日は娘のためにお越しいただきありがとうございます」


 パンの母親――オリヴィア・クロワッサンが丁寧に挨拶をした。

 彼女の瞳は充血しており、目蓋は腫れている。そして疲れ顔だ。

 娘に殺害予告が届いたことがあまりにもショックで悲しんでいたのだとわかる。


 このまま会話が始まるのかと思いきや、ネーヴェルの鼻腔をコーヒーの香りが刺激した。直後、メイドたちが紅茶とコーヒー、そしてマドレーヌなどの焼き菓子を運んできた。

 ネーヴェルの正面にはコーヒーが置かれ、ヴァンとパンそしてパンの母親の正面には紅茶が置かれた。

 この上ないほどの絶妙なタイミングである。メイドの有能さが垣間見えた瞬間だ。


「ブラックマウンテンだね」


「せ、正解です。さすが情報屋ですね」


 ブラックマウンテンとはコーヒーの銘柄の一つのこと。

 ルフモ連合国・イングリスにあるブラックマウンテン山脈で栽培されている最高級品のコーヒー豆のことである。

 それを嗅覚で得た情報のみでそれを当てたのである。


「まだ飲んでないのになんでわかったの?」


 素朴な疑問、否、この状況において当然の疑問――訊いておきたい疑問だ。


「たまたま嗅いだことがある香りだっただけさ。それよりも……」


 ネーヴェルは文脈の途中で白い湯気が立っている熱々のコーヒーを一口飲んだ。

 口内に広がる酸味と苦味。そしてコーヒーの独特の香り。それら全てを一口の刹那の時間楽しんでから言葉を紡いだ。


「殺害予告について知ってる情報を教えてもらいたいんだけど」


 ネーヴェルは水面に落ちた一滴に雫が波紋を広げるかのように自然と言った。

 それに対して口を開いたのは、殺害予告を受けた張本人であるパン・クロワッサンだ。


「新聞に挟まってた殺害予告の紙をお父さんが朝食の時に見つけたの」


「ちょうどここの席です」


 と、今座っている席で見つけたのだとヴァンが付け足す。


「誰がなんのために殺害予告を送ったのか……私は……私たちは誰も心当たりがないわ。メイドにも門番にも訊いたけど、怪しい人なんて誰もいなかったと言っていたし、それに防犯カメラの映像を確認してもらってるけど、今のところ怪しい人なんて一人も映ってなかったの」


「心当たりはなしか。朝食の前……新聞が郵便受けに届いてから殺害予告が発見されるまで三人は何をしてたの? 疑うようで悪いんだけど、キミたちの情報が知りたい」


 ネーヴェルは手に顎を乗せながら質問をする。幼女の見た目相応で探偵ごっこをしているような雰囲気になっているが、彼女は真剣そのものだ。


「私は寝てたよ。お父さんの騒ぎ声で起きたの。そしたら殺害予告がって……」


 最初に答えたのは殺害予告の一番の被害者であるパンだった。

 新聞が郵便受けに届いてから殺害予告が発見されるまでは眠っていたとのこと。


「そうか。オリヴィア・クロワッサンはどうだ?」


「私は起きてすぐに郵便物を取りに行きました。その後はメイドたちが準備している朝食の手伝いですね」


 ネーヴェルに指名されたオリヴィアが答える。

 この答えから配達員の次に郵便物を触ったのがオリヴィアだということがわかる。

 殺害予告の紙を自然と仕込ませられるのは彼女だろう。しかし自らの娘に殺害予告を出すような人には見えない。いたずらだとしても限度というものがある。


「その郵便物はここへ?」


「いいえ。夫が眠っている寝室です。郵便物を置くのと同時に夫を起こすのが習慣になってますので」


「なるほど」


 ネーヴェルは頷いた直後、ヴァンの方を見る。視線で『キミの番だよ』と伝えているのだ。


「私は妻に起こされてすぐに洗面台に行きました。軽く身なりを整えて寝室に戻り、妻が置いてくれた郵便物を持ってここに。朝食が運ばれるまではその郵便物に目を通してました」


「その後、朝食が運ばれトーストを口にした後に殺害予告の紙を発見した、ということか」


「はい。そんな感じです。間違いはないと思います」


 情報屋事務所で訊いた内容と繋がった。

 この話だけならパンの父親であるヴァンと母親であるオリヴィアが殺害予告の紙を仕込むことが可能だが、先ほど言った通り二人は自らの娘に殺害予告を出すような人には見えない。


「ヴァン・クロワッサンとオリヴィア・クロワッサンには殺害予告を仕込むチャンスはある」


「「――なッ!?」」


 ヴァンとオリヴィアは驚きの声を上げた。当然だ。殺害予告を仕込んだのだと疑われたのだから。

 火山が噴火するかの如くヴァンとオリヴィアが反論しようと口を開きかける。本当に噴火寸前だ。

 しかしその噴火はネーヴェルが未然に防ぐ。


「けれど二人がそんなことをするようには見えない」


 この言葉によって噴火寸前の疑いの目を向けられたと勘違いしていた二人は、ほっと息を吐き安堵の表情を浮かべた。


「だとすれば郵便物が郵便受けに届くよりも前に何者かがあらかじめ仕込んだ可能性が浮上する。まあ最初から浮上していた可能性だから振り出しに戻ったとも言えるが…………でも良い情報は聞けた」


 ネーヴェルは不敵な笑みを浮かべた後、コーヒーを一口飲んだ。


「良い情報?」


 パンは小首を傾げた。

 ネーヴェルが言う『良い情報』が己の発言の中にあるとは思っていないから疑問に思ったのだ。

 それはパンだけではなく、パンの両親たちも同じだ。パンが発言した内容を何度も聞き、何度も話し合って、理解しているからこそ自然と疑問の表情が浮かんだのである。

 そんなクロワッサン一家の疑問を解消すべく、コーヒーを一口飲み終え、コーヒーカップをソーサーに置いたネーヴェルが口を開く。


「防犯カメラだよ」


 パンが最初に話していた防犯カメラのことだった。


「なるほど。防犯カメラですか。ネーヴェルさんも確認しますか? 七日間の映像でしたら全て残ってますので」


 ヴァンは防犯カメラの映像をの確認、並びに映像の提供を提案してきた。

 メイドや門番、さらには妻のオリヴィアが発見することができなかった手掛かりを――殺害予告を送ってきた犯人を見つけるための決定的な証拠を彼女なら――ネーヴェルなら見つけられると思ったのだ。


「いや、映像も魅力的だが、ボクが欲しい情報はそれじゃない」


 ネーヴェルの返事はヴァンにとって――クロワッサン一家にとって予想外のものだった。


「映像以外に何があるのですか?」


 防犯カメラの唯一の特徴である映像の記録。それを拒否されてしまったのだ。一体ネーヴェルは何を求めているのかヴァンにはわからなかった。もちろんこの場にいるパンとオリヴィアもだ。

 もし超絶有能を自称するセリシールがこの場にいたとしても、ネーヴェルの求めているものには絶対に気付かないだろう。

 その答えがネーヴェルの小さな口から発せられるのだと無意識に悟ったクロワッサン一家は、反射的にネーヴェルの薄桃色の唇に視線を集めていた。

 さらにそれは視線だけではない。意識も聴覚も――情報を得るために必要な機能全てをネーヴェルの口から発せられる言葉に集中していたのだ。


「場所だよ」


 ネーヴェルの薄桃色の唇が静かに揺れた。


「「「場所!?」」」


 まるで打ち合わせをしていたかのようにクロワッサン一家の声が揃った。


「うん。防犯カメラが設置されている場所。それをボクに教えてほしい」


「もちろんいいですが……なんで場所を?」


「なんでって、キミたちが最も知りたい情報を知る手掛かりになるからだよ」


「最も知りたい……そ、それってつまり!」


 前のめりになるヴァン。その瞳の奥には希望の光がキラキラと輝いていた。

 ネーヴェルは膝の上で大人しく箱座りをしているクロロを優しく撫でながら口を開く。


「そう。犯人の情報だよ」


 この時ネーヴェルはすでに殺害予告を出した犯人の正体に気付いていた。

 けれどそれを確定させるための情報がまだ足りていない。

 だからこそ情報収集が――カメラが設置されている位置の確認が必要なのである。


「ンッンッ!」


 ネーヴェルに撫でられているクロロは気持ちよさそうに声を漏らした。

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