information:05 情報は思いがけない所で見つかるもの

「お客様。ここが最後――十七カ所目の防犯カメラです」


 医務室と書かれた札が飾られている扉の正面に立っているメイドがネーヴェルに向かって放った一言だ。

 このメイドはネーヴェルにエメラルド邸に設置されている防犯カメラの位置を丁寧に教えてくれたメイドである。


 クロワッサン一家はと言うと、先ほど話し合いをしていたダイニングルームで待機中だ。

 殺害予告を受けている身だ。無闇矢鱈むやみやたらに動くことを避けるのは当然の判断であろう。

 ただダイニングルームというのが気になるが、この豪邸内でストレスを感じづらく安全な場所なのだろう、とネーヴェルは自己解決したのである。


 医務室の扉が開かれると、清潔感溢れる真っ白な世界がネーヴェルの水晶のように綺麗な瞳に映り込んだ。

 直後、ネーヴェルの視線は真っ白な世界に不相応な違和感の元へと吸い込まれるように動く。


「ここだと際立って見える防犯カメラだね」


 真っ白な世界に不相応な違和感の正体は、ネーヴェルが位置を知りたがっている防犯カメラだ。

 防犯カメラは一つだけ。それ以外にはない。

 つまり瞳に映る存在感を放つ防犯カメラがエメラルド邸に設置されている最後の防犯カメラだということになる。


「やっぱり。あの場所には設置されてないか」


 何かを確信したかの様子のネーヴェルは、医務室に入ろうとはせず踵を返した。


「クロワッサン一家が待つダイニングルームへもど――」


「ネーヴェルさん!!!!!」


 戻ろう、と言おうとしたネーヴェルの声が元気な少女の声によって遮られる。

 その声の主はもちろん――


「やあ、シールくん」


 超絶有能を自称する助手のセリシールだ。

 楽な姿勢でメディカルベッドに座っていた。


「『やあ、シールくん』じゃないですよ! 完全に私のこと忘れてましたよね!?」


「ボクの思考が読めるだなんてキミにしては鋭いね。賢くなった?」


「鋭いねじゃないですよ! 誰だってわかりますからー!」


 数分前まではガタガタと小刻みに震えていたセリシールだが、今はそんな面影が一切見えないほど元気にはしゃいでいる。

 そんな彼女の手には水色のクレヨンが一本握られていた。


「それよりも、ネーヴェルさん! 見てくださいよ!」


 セリシールが渡してきたのは画用紙だ。ネーヴェルはクロロを抱きながら渡された画用紙を器用に受け取る。

 画用紙にはセリシールが持っているクレヨンを使って描かれたであろう絵が描かれていた。

 この絵を見せるために画用紙を渡したのである。


「ネーヴェルさんが大好きなウサギさんですよ。こっちは私が描いたウサギさんで、こっちはが描いたウサギさんです!」


「この子とは?」


 この子、と紹介したセリシールだったが、そこには誰もいない。


「あ、あれ? さっきまでここに……一緒にお絵描きしてたのに」


 キョロキョロと辺りを見渡すセリシール。

 首を何度か振った後、一点を見つめながら止まる。直後、「いた!」という大きな声を上げ、指を差した。

 その指の先、視線の先には五歳くらいの小柄な幼女が一人クロロを撫でていた。


「かわいいうしゃぎしゃん!」


 クロロの魅力に魅了され幼女の顔がとろとろに溶けてしまいそうになっている。

 もちろんこの小柄な幼女はネーヴェルではない。セリシールと一緒にお絵描きをしていた幼女だ。


 ネーヴェルは傍にいるメイドに視線を向けた。クロロを撫でている幼女が誰なのかを教えてもらうためだ。

 その意図を汲み取ったメイドはすぐに口を開く。


「パン様の従妹いとこ、エミリー・エメラルド様でございます。旦那様方は大事な会議があり昨日から外出しております。予定通りに行けば明日、会議が長引けば明後日帰られるそうです。ですので我々メイドがエミリー様の面倒を見ていたところです」


「なるほど。旦那様方というのは?」


「オリヴィア様の兄であるオリヴァー様。そして奥様のエリザベス様。エミリー様の兄であるエリック様の三人のことでございます」


「大事な会議というのは?」


「ここエメラルド湖畔についての重要な会議――領土問題についてだと伺ってます」


「そう言えばルフモ連合国で毎年議題されてる問題だよね。ちょうどその時期だったのか」


 ルフモ連合国は四つの国が加盟している。東はイングリス、西はフレミス、南はホランド、北はネザランドだ。

 ここエメラルド湖畔はこの四つの国のちょうど境目、正確にはホランドの領土に属している。

 しかしネザランドがエメラルド湖畔を我が国のものにしようと毎年同じ時期に議題を持ちかけているのだ。

 その会議が昨日から明日、長引けば明後日にかけて行われるのである。


「教えてくれてありがとう」


 礼を告げたネーヴェルは視線を幼女エミリーへと戻す。

 礼を受けたメイドはネーヴェルが見ていないのにもかかわらず軽くお辞儀をした。メイドとしての礼儀作法である。


「わー、すごいもふもふ〜」


「ンッンッ」


「ぬいぐるみみたい〜、やわらかい〜」


「ンッンッ」


 エミリーに揉みくしゃにされるクロロだが、嫌がる素振りを一切見せずされるがまま。プロのウサギだ。

 しかしプロのウサギにも限界があるのだろう。クロロの漆黒の瞳は助けを求めるかのようにネーヴェルを映していた。

 それに応えるためネーヴェルは助け舟を出す。


「この絵はエミリー・エメラルド、キミが描いたの?」


 セリシールから受け取った画用紙をエミリーに見せる。

 それを見たエミリーはすぐに返事をする。


「ううん。ちがうよ」


 エミリーは首を横に振った。

 その瞬間、ネーヴェルの視線はセリシールの方へと向く。


「そ、そっちは私が描いたウサギさんですよ! さっき言ったじゃないですかー!」


 顔を真っ赤に染めたセリシール。絵の下手さが相当恥ずかしいのである。


「幼女が描いた絵かと……。シールくん。年齢相応の絵を描いてくれ」


「年齢相応の見た目をしてないネーヴェルさんに言われたくありません!」


「だとしたらこっちがキミが描いたウサギか。これまた随分と上手い」


 ネーヴェルはもう一枚の画用紙に描かれているウサギの絵を見て感心する。

 それと同時にどこか見覚えのあるものだと違和感を抱く。


「このうさぎしゃんだよ」


 そう言いながらぺちぺちと駆けていく。

 すぐにエミリーは戻ってきたが、その手には先ほど持っていなかった大きな本を持っていた。

 幼女であるエミリーの上半身全てを隠してしまうほど大きな本。その薄さや可愛らしい表紙から幼児向けに作られた絵本であることが一目瞭然だ。


 エミリーは絵本を床に置いてからページをめくった。

 一枚、二枚、三枚、四枚とめくり、ようやくその手が止まる。目的のページに辿り着いたのである。


「これ! これ! このうしゃぎしゃん!」


 宝物を見せる時の嬉しそうな表情を浮かべながら、そのページに描かれているウサギを見せた。

 エミリーが画用紙に描いたウサギと瓜二つのウサギ。違いがあるとすれば線が滑らかではないというところ。もちろん線が滑らかではないのは画用紙に描かれたウサギの方だ。


「見覚えがあると思ったら……なるほど。だったのか」


 水面に一滴の雫が落ちたかのような静かな声でネーヴェルが言った。

 その声はメディカルベッドに座っているセリシールと背後にいるメイドには届かなかったが、正面で満面の笑みを浮かべながら絵本を見せているエミリーには届いていた。


このえほんみたことあるの?」


 年齢は違えど同じ幼女なのだが、エミリーはネーヴェルのことを年上に扱う態度で扱った。

 それが自然と出たのだからそれだけネーヴェルは見た目に反して大人びているということになる。


「いや。読んだことはないよ。最近出版された絵本だということは表紙を見たときにわかったけどね」


 ネーヴェルは絵本のページをペラペラとめくり始めた。速読し情報をインプットしているのである。

 そして十秒もしないうちにその絵本はパタンッと閉じられる。

 幼児向けの絵本とは言え十秒以内に読める内容ではない。それだけネーヴェルは情報をインプットするのが恐ろしく速いのである。


「とても面白い内容だったよ。丁寧でわかりやすく、起承転結がしっかりしている。幼児向けの絵本に相応しいね」


 ネーヴェルは絵本をエミリーに返しながら言った。

 エミリーは絵本を受け取り後、絵本の面白さを共有できたことへの喜びを噛み締めていた。


「さて、シールくん。具合の方はもう大丈夫かい?」


「具合と言いますか、ちょっと驚いて腰が抜けただけですよ。もう大丈夫です! だって私は超絶有能な助手なんですから!」


 豊満な胸の前でガッツポーズを取り元気アピールをするセリシール。

 その姿があまりにもポンコツで、そしていつも通りで、ネーヴェルは安堵の息を吐いた。


「では仕事を終わらせに行こうか」


「仕事を終わらせに……って、まさか! 犯人が分かったんですか!?」


 踵を返したネーヴェルの背中に向かってセリシールが叫んだ。

 ネーヴェルは振り向くことなくゆっくりと歩きながら口を開く。


「そうだね。十分な情報は手に入ったよ。犯人は――」


 ネーヴェルが犯人の名を言いかけた瞬間、その言葉を遮るが如くセリシールが騒ぎ始める。


「この豪邸を狙ったマフィアとかですか? それとも恋敵!? 恋敵に狙われてるとか? いいえ、二股! 二股相手から逆恨みを受けてるとかですか? あっ、そうだ! 恨み! 恨みで思い付きました! 恨みを持ったメイドさんがこの中にいるとかかも! どうですか? 私の推理は当たってますか?」


「シールくん。キミの頭の中にはいつも驚かさせるよ」


 騒がしいポンコツ助手に思わず振り向いたネーヴェルは皮肉を言った。


「超絶有能な助手ですからね。真実を見抜けて当然ですよ。それでどれが当たってましたか? やっぱり恋敵? いやでも、マフィアの可能性も……あっ、新手の詐欺集団という線も浮上してきました!」


 ネーヴェルの皮肉を皮肉だと気付かず照れた様子で犯人が誰なのかを考え続けるセリシール。

 そんなセリシールに構うことなく、ネーヴェルは止めていた足を動かし始める。


「あっ、ちょっと、ネーヴェルさん! 待ってください! 犯人を教えてくださいよー!」


 セリシールはメディカルベッドから飛び降りてネーヴェルの後を追った。

 そんな二人の様子を見ていたエミリーは――


「なんかおもしろそう! えみりーもいく!」


 と面白いことが起きる予感を察知し、二人の後を付いていこうとする。

 しかしネーヴェルをここまで案内したメイドがそれを止めた。

 ネーヴェルたち情報屋の邪魔をさせないため。もといパンの――クロワッサン一家の安寧を保つためだ。


「エミリー様、お絵描きなどはいかがですか?」


「やだ! おねーちゃんのところにいきたい!」


 駄々をこねるエミリーと引き下がらないメイド。


「絵本を読んで差し上げますよ」


「やだ! うしゃぎしゃんもいっかいさわりたい!」


「ケーキもご用意してますよ」


「やだ。うしゃぎ……けーき!?」


「はい。エミリー様の大好物であらせられますチョコレートケーキでございます」


「ちょこれーとけーきだいすき! たべたい! たべたーい!」


「はい。承知いたしました。すぐにご用意致します」


 大好物のケーキに釣られてしまったエミリー。純粋無垢で無邪気な笑顔をメイドに向けた。

 エメラルド邸のメイドはエミリーの機嫌取りも上手かったのだった。

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