9-2

 

『スナック ずる休み』

 

 結局、駅に着いてから電車に揺られてここに辿り着くまでにこれといった案は何も浮かばなかった。人通りのない道が幸いし、思う存分二の足を踏めるが、これ以上時間を浪費しても事態は好転しない。

 

(アドリブで何とかなるような人だったら良かったんだけど)

 

 下手な面接官よりよっぽど圧力の掛け方を心得ている。幸は心底深いため息をこぼし、何度か深呼吸をし終えると、意を決して扉の前に立とうとした。

 

「あ」

 

 階段を降りる足音に意識を向けると、女店主が依然と同じようなラフな軽装で立っている。

 

「…これからどこかへ?」

 

「煙草、切らしたから買いに行くんだよ。何か用」

 

「用って、昨日の件で話をしに来たんですけど」

 

「ああ、そうだったな。ちっ、タイミング悪いな。お前、煙草は持ってるか?」

 

「一様、ありますけど。緑のやつ」

 

「あー、まあいいか、今は吸えれば何でも」

 

 女は店のカギを取ってくるといい、再び二階に戻っていった。

 

(一言もあげるなんて言ってないんだけど)

 

 女と一緒にコンビニで買い物をする方が心の平穏を保てそうなので、幸何も言わなずに待つことにした。

 

 

 ◇

 

 

「それで、あいつは直ったのか」

 

 開口一番、女は人の煙草を箱ごとかっさらうと、自前のジッポライターで火を付けて言った。この不躾な物言いにも慣れてきた。寝起きで機嫌が悪そうだが、昨日ほどの差し迫る覇気は感じられない。幸は自分でも驚くほど落ち着いていた。太陽が背中を押してくれているのか、はたまた夜を生きる人間の生気を奪っているだけなのか。そんなことを考えるぐらいには余裕があった。

 

「言い方が気になりますけど、そうですね、昨日見た時に比べればマシにはなったんじゃないでしょうか」

 

「仕事は続けられそうか」

 

「それは、私には何とも」

 

「まあいい、どのみち一度働かせてみない事には判断できん。次の仕事の結果をみて考えるか。」

 

 女はスマートフォンを取り出し、何やらぶつぶつと唱え始めた。抽象的な文言だったが、今の会話と度々でる日付を指す言葉の羅列から、スケジュールを確認しているのが分かった。ああ、また彼女が何処かへ行ってしまう。私がみたことのない服を着させられて、私の嫌いな鼻の付く香水を身に纏い、私に見せたことのない人格を宿して。気が付けば、幸の右手には女のスマートフォンが握られていた。

 

「…なんのつもりだ」

 

 蛇を想起させる眼光は、仕事明けの朝でも衰えることは無かった。身体がすくみ、記憶がフラッシュバックする。まるで昔から残虐な仕打ちを受けていたかのように。思わず滑り落ちそうになるスマートフォンを握る手に力が入る。

 

「彼女、未成年なんですってね」

 

 女の眉根がピクリと動いた。どうやら彼女が高校生であることは間違いないらしい。

 

「それで?」

 

「いえ、ただ未成年の学生をあんな深夜まで働かせているのはいかがなものかと思いまして」

 

「なら訴える?別に構わないけど」

 

「いいえ、私にそんな大人の義務感とか責任感とか持ち合わせていませんから」

 

「じゃあ何がしたいんだ」

 

「彼女と彼女のご両親はこのことを認めているんですか」

 

「意味が分からない。それを知ってどうする」

 

「彼女が、彼女の意思で『カスタムドール』をやっている、ないしご両親の誰かが認知しているのであれば、私から口を挟む筋合いはありません。しかし、彼女が弱みを握られ、家族の誰にも相談ができないような状況下に置かれていた場合、『カスタムドール』を潰します」

 

 幸は一度このサービスを利用している。偽名を使っていたとはいえ、住所やメールアドレス等の情報はあちらに渡っている。それだけの情報があれば、最悪彼女が鍵の複製を行っていた場合なんかは、いくらでも脅しの材料を集められててしまう。実質、全てがあちらに掌握されているといってもいい。

 

「…当人を前にして、随分な啖呵を切る。潰す、か。少し面白そうだ、ぜひ見てみたい」

 

「で、どうなんですか」

 

「残念ながら、どちらも問題ない。アイツは自分の意思で仕事をしているし、母親も了承している」

 

「本当ですか?」

 

「何なら電話してみればいい。アイツの番号は知ってるんだろう」

 

「いや、そっちじゃなくて、ご両親に伝わっているのかって方です」

 

 もし仮に、彼女が弱みを握られている場合、彼女の真意は捻じ曲げられる可能性があった。攻め方とはしていささか捻りのない方法だが、ここは明らかにしておきたかった。

 

「…なんだ、お前アイツから何も聞かされていないのか」

 

 拍子抜けとばかりに肩をすくめた。ため息と共に紫煙を吐き、短くなった煙草を灰皿に擦り付けた。灰皿には口紅のついた吸い殻とついていない吸い殻が入り乱れている。

 

「てっきりそういう仲だと思っていたんだが、珍しく予想が外れた」

 

「いや、勝手に納得して話を進めないでください。今質問しているのはこっちです」

 

「察しが悪い奴だな。言っておくが、私が嘘をついている、不利な状況を避けるため隠し事をしている何て考えているなら見当違いも甚だしいぞ。むしろその逆だ。私は。だから、嘘をつく必要がない」

 

 女はゆっくりと煙草を手に取り、火を付けると人差し指と中指でそれを口に運んだ。覚えの悪い生徒を待つように、その瞳には呆れと退屈が見て取れる。

 

(嘘をつかない方が有利に立てる?そんなはずはない。両親の了承を得ているかどうかを隠すこと、それはつまり彼女以外の親類に『カスタムドール』をやっていると知られたくないから。知れば当然家族の誰かが介入し、彼女に仕事を辞めるよう直談判だってされかねない。メリットなんてそれだけでも十二分にある……)

 

 幸の額から汗が流れ落ちる。『嘘をつく必要がない』、これはそもそもの前提が間違っているとしたら。幸が提示した『両親の介入』という手札、これは女の取り仕切る『カスタムドール』を切り崩す手段として有効と判断したから提示したものだ。しかしこれは、『娘が非合法に働かされていることを容認するはずがない。』という前提の話だ。

 

「あんたが、母親だっていうのか」

 

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