9-1
自分でも見切り発車の自己満足なんだと幸は思う。
明日が仕事のこととか、時間が空くと決心が鈍るとか、微々たる理由は数あれど、一番は利己的な感情の発露。具体的な解決方法など何一つ思い浮かばなくて、とりあえず目的地には行ってみるが、結局扉の前で二の足を踏む未来が見える。事前準備をしていない就職面接に似ていた。最低限の準備を済ませ、口八丁手八丁、その場のノリとアドリブで切り抜けようとする、多分、世界中の半数以上が愚かしくも選ぶしかなかった道。
幸も他に漏れず、同じ道を選択していくのだろうと、起床後の取るに足らない悲壮な想いはシャワーのお湯と一緒に流れていった。
不思議な目覚めだった。扉を隔て、蛍光灯の光さえ刺しこまない部屋の中は、時間の概念が取り払われた異空間のよう。スマホを見て、ようやく朝であることを認識するが、身体が覚醒していく様子がない。幸は部屋の電気に手を伸ばし掛け、彼女の寝息が聞こえたので手を止めた。
(よく眠ってる)
彼女にまとわりつく黒い髪を払い、彼女の寝顔を観察する。寝息が聞こえ、鼻が軽く動き、赤身がかった唇は柔らかな弧を描いている。幸はその表情を崩さないよう、静かに部屋を後にした。
シャワールームで溜まった疲労と汗を洗い流し、スニーカーのワッペンがあしらわれたグレーのTシャツに着替える。ロビーで販売されているTシャツの生地は値段に反して肌によく馴染み、着心地が良かった。
全ての支度を整え終えると、部屋番号の書かれたカードキーを手に一階に向かった。彼女の分の支払いを先に行えるのか心配だったが、問題なかった。どうやら経過時間に応じて適した料金プランに設定される仕組みらしく、先払いでお会計を済ませる場合は延長が行えず、残り時間分の料金を払っておけばもう一人は会計をせずにそのまま退室できるしくみようだった。
(あと三時間もあれば余裕をもって帰り支度までできるだろ)
幸は昨日までの料金に、追加で三時間分の料金を払った。アメニティとシャワー利用料金もカードキーに記録されているため、合計金額は一拍の宿代よりも高くついた。クレジットカードでお会計を済ませ、幸は店を後にする。
店を出て仲通りを少し過ぎると、ビルの合間からようやく光が刺した。懐かしい太陽の光を浴び、熱湯だけでは覚めきらなかった脳がようやく覚醒を始める。目的地にたどり着くまでに時間はいくらもない。というのに、見慣れぬ街の朝顔へと視線が揺れる。都会の中心に来ても、早朝からやっているお店は喫茶店とコンビニばかり。不思議なことに、どのお店にもカウンター席には新聞を持った人間がいて、今日が日曜日であることを思い出す。
片側三車線の都道に面した横断歩道を渡ると、正面に見えた宝くじ売り場の頭上、小さな背丈の看板にはホストクラブの広告看板が掲げられ、四人の細顔男性が横並びで掲載されていた。そのうちの一人に『主任』と役職が記載されており、どこの業界にも役職があるのだなと思って、そんな可笑しな事を考えている自分に呆れた。
やけに影が濃くなっている道の途中で頭上を見上げと、新宿バルト9のビルが他のビルよりも一層高く、道路の半分に存在の影を落としていた。存在の影から逃れたコンクリートだけが太陽の熱を段々と帯びていく。歩けば歩くほど、都会には空白がないと思った。空いたスペースに積み木を敷き詰めたような、景観も奥行きも感じられない窮屈な世界。いずれ人類は空をも侵す民になるのだろう。空域まで犯した末に手に入れるものが小さなドラッグストアのチェーン店でないことを願った。
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