8-4

 

 リニューアルオープンと看板が掲げられた赤渕、白背景の看板が目印の建物だった。ざっと数えて十階建。全ての窓にはブラインドが掛けられており、入口の派手派手しい装いとは一転していた。店内は外観に負けず劣らずの様相で、大理石を連想させるホワイトグレーの床、目をつぶりたくなるような輝きを纏ったシャンデリア、レンガ壁をモチーフにしたブリックレッドの壁タイル。清潔感を通り越して鬱陶しい内装に息がつまった。隅に配置された飲み物とアメニティーの自動販売機がいかにも場違いで、幸にとっては安らぎだった。

 

 「二人、レディース用の個室を一つ、部屋はダブルサイズで。あ、ポイントカードあります。」

 

 彼女が慣れた口調で料金プランと部屋の選択を終えると、部屋番号が見えるようにカードキーを掲げた。

 

 「404号室だって。行こ。」

 

 彼女に先導されるようにエレベータに乗り、案内板を見ることなく部屋の前まで幸を誘導した。

 

 「何となくわかってたけど、やっぱり来たことがあるんだな。」


 「うん、仕事帰りで終電がないときとか、良く使ってる。」

 

 幸は終電がないときについて聞こうとして、野暮だと思いやめた。

 

 部屋の中はシンプルというより質素という言葉が似あう部屋だった。壁は一面真っ白で、黒いフラットマットと相まってより一層白んで見える。足を伸ばせるだけの高さを持ったミニデスクと、デスクトップパソコンに液晶モニター。二人が部屋に入り扉を閉めると、エアコンの空調音がはっきりと耳に届く。

 

 幸と彼女は近くのファミレスで遅めの夕食を済ませ、帰宅するのも億劫になっている幸を見かねて彼女に連れられてきたのはインターネットルームと呼ばれる場所だった。漫画喫茶とは違い、漫画やビデオの娯楽の類は一切なく、防音の個室の中でインターネットを自由に楽しめる施設。個別に端末の持ち込みの可能で、一人で遊びたい人や仕事で集中したい人などを対象にサービスを展開している、とクリアファイルの一ページ目に記載されていた。

 

 「シャワー、カレーの食べ放題、ドリンクバー、寝泊まり用のアメニティーグッツ、パソコンにはOffice系のソフトも一式備わってる…。一部有料サービスもあるけど、至れり尽くせりだな。」

 

 何十ページにも渡ってサービスの内容が紹介されているクリアファイルを閉じる。いつもならこの手の初めて訪れる施設のサービスには目を光らせ、試しにと注文してみる幸だが、今は重い瞼を懸命に持ち上げるので精一杯だった。

 

 気が付けば、彼女は部屋から姿を消していた。扉が開くと、何やらビニールに入った布のようなものを持って戻ってきた。粘着質の部分をぺりぺりとはいでいくと、中身にはタオルケットが入っていた。靴を整え、キャリーケースを入口の向かい側に寄せると、タオルケットを羽織って横向けに眠ってしまった。途中、何か違和感に気が付いたのか、ウィッグを取り外して棚に置き、再びに横になってしまう。

 

 「…私も寝よう。」

 

 幸は電気を消し、買い物袋を机に置いてから彼女のタオルケットを半分借りて横になる。互いに背中合わせで、僅か数センチの空白を保ったまま、寝返りを打てずにじっと眠りに努める。フラットマットは反発が強く、汗を吸い込んだTシャツと柔軟性にすぐれないジーンズは眠るのには全くもって快適とは言い難い。

 

 (明日、朝一番にシャワー浴びて、Tシャツだけ買い替えよう。)

 

 幸が睡魔に意識を委ねようとした、その時だった。

 

 「ねえ、起きてる?」

 

 壁に跳ね返って伝え聞こえるその声に耳を澄ます。「起きてるよ。」と返事を返すと、また彼女の声は聞こえなくなった。何度か同じやり取りを繰り返す。何か用があるのだろうが、幸の意識は限界を迎えようとしていた。ようやく踏ん切りがついたようで、彼女は本題を切り出す。

 

 「また、家に泊まっても、いい?」

 

 どこか他人行儀で、いままで土足で踏み込んできたのが嘘のように弱々しかった。思えば駅であってから、終始彼女には覇気がない。喫煙所で少しは肩の荷を下ろすことができたかと思っていた。いいよ、の一言が実におもばゆく、自然を繕うよう考えたが、そんな気力も体力も残っていなかった。

 

 「私、明日の朝少しよるところがあるから。」

 

 「…そう。」

 

 「だからこれ、よろしく。」

 

 幸はポケットの中のキーホルダーを取り出し、肩を上げて後ろ手に彼女へと差し出す。彼女は勢いよく起き上がると、タオルケットが大きく乱れたので、幸は自分の方に抱き寄せよう引っ張った。

 

 「え、これ、どういう。」

 

 「だから、私は明日の朝行くところができたから、それで留守番よろしく。」

 

 「…私に、預けちゃっていいの?」

 

 「それなくてどうやって留守番するんだよ。あ、冷蔵庫何にも入ってないから、買い物もしておいて。」

 

 幸は顔が隠れるようにタオルケットを覆った。いったそばから、自らの言動のしゃらくささに顔が熱くなった。彼女がその後ボソボソと何か口にしたが聞き取れず、タオルケットを引き寄せて横になった。明日することの億劫さから逃げ出したい気持ちと、彼女とのつながりに、決して強固ではない掛け橋を設けられた事の安堵が入り混じり、幸は脱力するように眠りに落ちていった。

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