8-2-2


 「にゃーん」

 

 ゴロゴロと喉を鳴らし、視線は何かを訴えかけるようだ。

 

 (流石に、チョイスを間違えたか)

 

 幸が駆け込んだお店は飲食店で間違いない。彼女と二人、丸テーブルを挟んでタピオカドリンクを飲んでいる。

 

 グリグリ、グリグリ。

 

 幸のくるぶしのあたりを、硬質な頭で頭突きしてくる三毛猫の存在。壁際には天井スレスレのキャットタワー、左右にはジャングルジムのような仕掛けたっぷりのキャットウォークが設置されており、フロアに二人きりのせいか予想以上に視線が気になる。

 

 (まさかタピオカドリンク店を兼ねた猫カフェだなんて)

 

 幸がそのお店をただのタピオカドリンク店と勘違いしたのは、店前に大きなタピオカドリンクのレプリカが置かれていたからだ。外から一階フロアを一望できる開けた作りになっており、客が商品を受け取っている姿まで確認した。


 しかしいざ店内で商品を注文してみれば、「ワンオーダーにつき三十分間無料で猫ちゃんと遊ぶことができます。それ以降は十分ごと二百円をお支払いいただくか、またこちらで注文をしていただくと三十分間遊ぶことができます。猫ちゃんの餌も別途販売しているので是非食べさせてあげてください。」と店員に告げられ、気付いたときには後戻りが出来なかった。

 

 お店の一階にはいくつもの液晶ディスプレイが掛けられており、期間限定の商品や建物の見取り図などが掲載されている。一階がレジ、二階から五階が猫とのふれあいスペース、地下一階にはペットショップまで併設されているらしい。如何せん、『なぜタピオカを挟んだのか』がいまいち納得できなかった。

 

 幸はメニュー一番上にあった黒糖タピオカドリンクを選び、彼女にも同じものを選んだ。閉店時間も近いとあってか、二階には幸と彼女以外に誰もいない。先程からタピオカを吸っては噛んで飲み込むの繰り返し。幸と彼女の間に会話らしい会話はない。


「おいしい?」

「猫、多いね」

「夜は寒いね」


 (やばい、トークデッキがゴミすぎる…)


 会話には大きく三つの型があり、それら全てを制するものがコミュニケーションを制する。一つは聞き手に回り、時折相づちを打ちつつ関連する話題を投じる会話。二つ目と三つ目はどちらも自分が話し手として振る舞うもので、その一つが目的をもった会話(仕事、相談事等々何でもいい)。


 そして、最後が他愛もない会話である。箸にも棒にも引っ掛からない、次の日は内容すら覚えていないような、『あなたと会話した時間』だけが残る。一見無駄にも見えるが、人間は話の長く続いた人を『気が合う人』と錯覚する。幸はこの型を、母がママ友と永遠に話続けているのを観察したときに見出だした。


 (こんなことならお母さんの無駄話にもしっかり耳を傾けておくんだった。)


 猫たちには、『弱っている彼女を苛める悪い奴』とでも映っているのだろうか。四方八方の猫目が幸の心を揺さぶった。

 

 (これじゃ外にいたのと変わらないな…)

 

 店員に渡されたストップウォッチは残り僅かとなった持ち時間が表示されている。いっそのこと、リセットを押して帰ってしまおうか。手持ち無沙汰に残り少なくなったタピオカの数を数えていた。


 彼女の前に一匹の猫が立ち止まった。机上の猫は、深い夜の闇を思わせる黒い毛に覆われていた。幸をチラっと一瞥すると、美しい黒毛に映えるように猫の目は鮮やかな金色をしており、まるで貴金属のような輝きが瞳からにじみ出ているかのよう。その目は知識深く、時折優しさを感じさせる一方で、どこか遠い異世界へと誘うような奥深さを秘めていた。

 

 黒猫が幾度か鳴くと、彼女は視線を軽く持ち上げた。猫と見つめ合うように、互いを交錯させる。すると、彼女の方から人差し指を差し出した。黒猫は呼応するように、彼女の指を舐める。何度も、何度も、見えない傷の痛みを和らげるように。

 


 自分には、どれだけ時間を掛けても与えられないものだと思った。



 人間の軸で考えるなら、赤ん坊が母親に与えるような、それ以外の存在には与えることのできない神聖な行い。ただの人である幸には真似できない。そしていまの彼女には最も必要であるとされる行為を前にして、幸は言葉を躊躇ためらった。これまでのこと、これからのこと、話たいことは山ほどあれど、どれも彼女の傷に触れなければならない。それでも選ぶしか無いのなら、答えは一つだ。

 

 (例え、お互いの傷をえぐることになっても)

 

 アラームが無情にも鳴り響き、幸と彼女は席を立った。一階でタイマーを返却した腕に三毛猫の毛が付いており「コロコロをお使いになりますか?」と聞かれ、断った。今は小さな頼りにも、あやかりたい気分だった。

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