8-2-1
電車に揺られること二十分。幸はその間に二つもの問題点を発見した。
一つ目は場所。『スナック ずる休み』の女店主に告げられたのは新宿駅という情報だけ。ホームの中なのか外なのか、はたまた東口なのか西口なのかを教えられていないこと。
二つ目は彼女の恰好。『仕事でへまをした』という女の発言から、彼女が『カスタムドール』の仕事中だったことがうかがえる。そうなれば、幸の知る黒髪で金色の瞳をしたブレザーの彼女か、地雷系ファッションに身を包んだ黒ピンクのメグでない限り判別のしようがない。
念のため、脅迫文が送られてきたのと同じアドレス宛に詳細を問うメールを送ったが、予想通りに返信はない。
(さて、どうしたもんか)
幸は改札を抜けると、一番近くに位置する東口へ向かった。新宿を下ろうとする人並みに逆行する形で人を避けつつ、階段を上り切ったところでようやく外の景色を視界に収めた。
街はいまだ喧騒を振りまき、細長く縦に伸びるテトリスブロックのような商業ビルが横並びで街灯の役割をはたしている。
中でも、近年導入された『クロス新宿ビジョン』(3Dで視聴できる大型ビジョン)に映る巨大な三毛猫の存在感は歪と言わざるを得ない。画面の中を生きる三毛猫が、前足に唾を付けて顔を洗い、退屈そうに身体を前へグッと伸ばしては、そのまま丸くなる姿勢で眠りに入る。
何人もの人間がスマホをモニターに向けて、三毛猫の一挙手一投足を映像に残そうと躍起になっている。自らが横断歩道を遮っている事さえ気づかずに、ひたすら映像を映し続ける画面を覗く姿は滑稽だった。
そんな光景が先に目に入ってしまったせいか、幸は近くで起きている事態に気づくのが遅れた。
駅ロータリーを区切るステンレス性のU字車止めパイプの手前、幸の胸あたりまである赤いポストの近くで人だかりができている。遠目からでも分かる、薄青いシャツに身重のチョッキを着た警官が二人。二人が聴取者を囲い、さらに外から一般人が取り囲んでいる。
その多くはスマホを手に待ち合わせをしている様だったが、時々視線を渦中に向けているのが見てとれる。通行人の視線も同様、立ち止まりこそしないものの歩みを遅らせ、中にはスマホを不自然に構えるものもいた。野次馬という言葉ほど、この世で醜く、かつ人間の本性を言い現した言葉もないだろうと幸は思った。
幸は駅をぐるっと回り、手当たり次第に待合スペースなどの休憩場所を転々と探すつもりだった。女からメールが来ればそれでいいし、もし来なければそのまま捜索を継続。最終手段として彼女に電話を掛けることも止むを得ないと思った、そんな時だった。
人込みの隙間を縫うように、幸の視線がある一点に注がれた。
急いで足を止め、両目をかっぴらく。それでも、すぐさま人の波に覆い隠されてしまい、道が閉ざされてしまった。軽く踵を上げてみても、幸の身長は成人男性の平均身長に届く程度。右往左往から流れる通行人を前にしては、この距離からの目視は困難だった。
気が付けば、幸は人だかりに向かって進んでいた。左右から押し寄せる人間を避け、立往生する人間の隙間を縫って進んだ。時折人を掻き分けてどかし、怒声もお構いなしにつき進んだ。
近づけば近づくほど、密度は高くなり、人間の浅ましさも濃くなっていく。警官の制服が目に映ったあたりでようやく、彼女を視界に収めることができた。
ウェーブのかかった金色の髪をだらしなく宙にぶら下げ、うなだれた頭から不自然な位置のつむじが見える。はっきりウィッグだと分かる身なりのまま、力なく警察の聴取に頷いていた。まともに応答ができていない様子から、警官は事態の詳細が把握できずにこの場で二の足を踏み、群衆が駆けつけてきてしまったのだろう。
「あ、あのすみません。ちょっといいですか。」
幸が声をかけた瞬間、俯いていた彼女の顔が勢いよく幸の方を向いた。
肩をぱっくりとあけたベージュのコールドショルダーブラウスに袖なしの黒いネックシャツに、太腿から下を大きく露出させるジーンズのショートパンツ。ショルダーブラウスをパンツに半分入れる形でスタイリッシュに
夏手前の季節とはいえ、よる風が肌身に沁みるこの時期に、彼女の恰好はあまりにも寒々しく見えた。それでなくとも彼女の唇は黒々と血が固まった跡があり、腫れぼったい目をしていて、ただならぬ様子がうかがえる。
「あなたは?この子のご家族の方ですか。」
「いえ、友達です。」
幸は気丈に振る舞った。ここで淀むようであれば、関係性を疑われるどころか仔細をつぶさに問われる可能性もあると考えての行動だった。たとえ嘘をついてでも、それだけは避けたかった。
「うーん、どうしよっか。ご家族の方であればすぐにでも引き取ってもらうんだけど、ねえ?ちょっと、普通じゃないでしょ。」
白髪交じりの男性が訝しげに問う。言葉を濁したが、言わんとしていることは伝わった。
彼女は、少なくとも自発的ではなく、悪意をもった誰かに拳を振るわれた跡がある。新宿の、これほど往来がある中で一人、誰かの目を引くように。勘ぐるなと言う方が難しい。
「実は彼女から、最近できた彼氏との事で相談をしたいと持ち掛けられていたんです。というのも、ここだけの話、DV気質らしんです、彼氏。多分、私と会う前にも彼氏と会っていたんだと思います。」
警察官の耳元に近づいて、声を潜めて話す。事の重大さを伝えるため、彼女に細心の気を使っていることを示唆するように。
「できれば彼女のためにも大事にはしたくないんです。私の方で彼女を自宅まで送り、彼氏の件含め可能な限り力になるつもりです。ですので、どうかこのまま解散させていただけませんか。」
幸は言葉を終えると同時に深々と頭を下げた。しらじらしいと思いつつも、日本の警察は人情に厚いらしく、迫真の幸の演技に感化された警官は「彼女の力になってあげてね。」と言い残し、野次馬の群れを散らすように去っていった。
幸は急いで彼女の手を取り、その場から逃げるように歩き出す。改札と反対方向に走り出したのに理由はない。一刻も早くその場を去りたいと急いたこと、何より冷え切った金属のような手を握った瞬間、身体が動いていた。幸たちは温もりを求めて街中の飲食店を見回し、一番近いお店に駆け込んだのだった。
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