7-2
駅から徒歩一分圏内にデパートが三つ。エレベーターで最上階まで昇り、エスカレーターで一段ずつ階を見て回るとそれなりに時間が潰せる。物見遊山ほどコスパが良く運動不足解消になる趣味もない。オンラインショッピングだとついついワンクリックで購入ができてしまうところ、レジに並ぶ&店員と会話をする工程の億劫さに、無意識に購買欲求を抑えることが可能となる。大抵の物は足を止めることなく通り過ぎるが、試遊可能な商品前では足を止める。家具インテリア売り場ではクッションに腰をうずめ、雑貨売り場でアロマディフューザーから拡散されるラベンダーを嗅ぎ、ご当地物産展では試食のソフトクリームを頂く。
二つめのデパートを練り歩いたころには足も程よく疲労がのり、特に何も得ていないのに達成感と満足感だけが残る、はずだった。
(…何か、買いたいな。)
この日の幸の購買欲求は、物見遊山で押さえつけることができないほど大きく膨れ上がっていた。ここまで膨れ上がると誤魔化すことはできない。買う、それも今まで買ったことがない値段の張る代物。必要経費と割り切り、最低限必要性のあるもの、購買欲求が満たされた後に訪れる喪失感を少しでも納得させるものを選ぶ、それしかない。幸は最後のデパートに足を運び、その最上階へとエレベーターで向かった。
中年男性が二人談笑しながらエレベータを降り、幸は後に続いた。休日とは思えない閑散とした家電量販店。商品棚越しから見える店内には、客よりも店員の方が多いように見える。接客をしている店員以外、ほぼ全員が談笑していて楽しそうだった。先ほど降りた男性二人は家電量販店の出入口を通り過ぎ、奥にある極細魚介出汁ラーメン店に向かっていた。
家電量販店としては小さい部類に入るこの店舗は品揃えも無難だ。攻めすぎず、売れ残らない商品を取り揃え、大多数を大手家電メーカー商品でおさえている。家電に興味、こだわりが一切なく、あわよくば型落ち値引き品を買い求められればいいといった一般層をターゲットにしたお店なのだろう。幸も何度か訪れたことはあっても、ここで商品を買ったことは一度としてなかった。
購買欲求を鎮火させるため、ある程度値段のする、日常生活で少なからず使用機会のあるものと考えてここにきた幸だが、早速無駄足に終わるかもしれないと予感していた。
(…どれも家にあるものばっかり。)
テレビ、洗濯機、冷蔵庫の三種の神器は勿論、扇風機にドライヤー、全自動歯ブラシに至るまで全て持っていた(厳密には、買った記憶はあるが未使用のものもある)。値段はピンからキリまで、家にあるのよりも多機能かつ高性能なものはあれど、斬新な目新しさを与えてくれる商品は何一つない。ゆっくりじっくり店内を練り歩いたせいで、手持ち無沙汰の店員に何度も声を掛けられ鬱陶しい。
(これは無理かも。先月買ったばかりだけど、スニーカーでも買って…)
その時、ふと目に留まった商品に心奪われた。
『全自動ゆで卵製造機 エッグスチーマーv3』
小ぶりなトースターぐらいの大きさのそれには、ご丁寧に『新商品!!!大特価価格』のラベルが張られている。五千円の値札が絶妙に購買欲求を刺激した。横に置かれていた説明書に恐る恐る手を伸ばし、『使い方』の項目を開き読み進める。
1:縦横二×三のエッグスタンドに一度に六個の卵をセッティングする。(一つからでも可)
2:個数に応じて水を調節し受け皿に入れた後、蓋をしてお好きな茹で時間にダイヤルをセットする。(固ゆで、半熟、温泉卵に対応)
幸は想像した。あのキッチンでゆで卵を作る自分の姿を。ゆで卵に飽き始め、埃を被るようになったエッグスチーマーv3を。台所スペースを占領するエッグスチーマーv3に嫌気がさし、押入れの奥に押しやってしまう未来を。
でも欲しかった。
高すぎず安すぎない、便利そうで不便、必要そうで不必要、全てのニーズの間を漂うニッチな感じが幸のくすぶった購買欲求に火を付けた。思わずレジに目を向ける。レジ横のアクリルパネルには電子マネー対応表が記載されており、幸の使うアプリもそこにあった。買えない理由も、買わない理由も無くなった。それなのに、手が伸びない。もう一つ、『自ら選んで買った事を否定する理由』が欲しかった。後々後悔するであろう時を考えた、言い訳の理由を。
「お客様、こちらの商品は店頭に並んでいるもので最後となります。
「いかがいたしましょう?」と、こちらの思惑を読んだ、いかにも還暦を超えたベテラン女性店員が背後から忍び寄っていた。目の奥に潜む、カモを狙い定めたと云わんばかりの射幸心が見え隠れしている。店員の売上成績に貢献するようで癪だったが、気付いた時にはもう遅い。幸は『全自動ゆで卵製造機 エッグスチーマーv3』を指差し、店員の後を追いかけるようにレジへと向かった。
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(ああ、なんでこんなものを買ってしまったのだろう)
魔物を沈み込めることに成功した幸は、片手にエッグスチーマーv3入りレジ袋を持ってデパートから出てきた。外はうっすら影を得て、雲にはまだ陽炎が残っている。人数はそれほど変わっていないが、行きがけに襲った耳鳴りのような喧騒はなく、皆一様に流れる時間に身を任せて駅に向かう。幸は流れる人並みの間に紛れ、身を任せた。
「苺大福、本日残り三十個となりました。今から閉店までの間だけ三割引きでご提供いたします。この機会に是非お買い求めください。」
券売機を少し出た突き当り、キャスター付きのガラスショーケースを屋台に見立てたお土産屋さんがあった。それなりに人だかりもできている。どうやら行きがけは人込みに埋もれて気が付かなかったらしい。対照的に、タバコ屋にはご婦人以外の人間は人っ子一人近寄らず、相も変わらず新聞を手に険しい表情を浮かべていた。
幸は苺大福に手を伸ばすことなく、マルボロメンソールライトへと手を伸ばしていた。別に、購買欲求が暴れ出したとか、ご婦人を哀れんでなんて気持ちは微塵もない。ただ、そのタバコにどれほどの価値があるのか確かめてみたかった。その一本で、煙で、どれだけ自傷する事ができるのか、自ら愚行と定める行為に身を焦がしてみたい気分だった。見た目のわりに上品な鼻から、通る声で金額を告げられ、スマホをかざして会計を済ませる。あれほど奇異の対象だったものをあっさりと手にした呆気なさに、頬が引きつった。
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