5-1-2
入口から小さく手を振る上下ジャージ姿の橋本寧々がいた。腰から
寧々は入口の券売機を素通りし、一直線に角を曲がって、四隅にある幸の座席隣まで駆け寄った。
「こんなところで会うなんて奇遇ですね!夕飯ですか?」
「そ、遅めのね。寧々はこんな時間まで部活?」
「こんな遅い時間まで部活やってないですよ、最近はどこの学校もそこんところ厳しくて、居残り届を提出しても二十時で帰らされちゃうんです。熱中症で倒れたりなんかするとやれ『体罰だ』とか、やれ『監督責任だ』とか。先生達も、わざわざ自分たちの仕事を増やしてまで首を絞めるような真似しないんですよ。今日はバイトの方です。」
「あ、食券買ってこないと!」と言って、黄色生地に黒字でブランド名が印字された大きめのリュックを丸椅子に乗せ、ファスナーを横一周滑らせてから、その大きな口を開いた。
「寧々、ちょっと待って。」
幸は黒の長財布から千円札を二枚取り出した。
「この前、私に栄養ドリンク奢ってくれたでしょ。そのお礼、これで好きなの買っていいよ。」
「わーい!さっちゃんさんのそういうところだーい好き!」
寧々は券売機へと一直線に向かい、何やら楽しそうに「どれっにしよっかな~」と口ずさんでいた。寧々は、どこかワザとらしいぐらい大げさに感情を表現する。ただ、その感情が嘘と思えないのは、純真無垢に拍車を掛ける小柄な体躯と、スポーティーな装いをしているからなのだろう。第一印象とは、やはり恐ろしい。幸は、寧々が初めて面接に訪れた時の事を思い返していた。
純白のセーラー服姿に身を包み、今よりも少しだけ背丈が低く、髪が長かった。スクールバックを肩に引っさげ「面接に来ました」と言った。面接の事を知らされていなかった幸はすぐさま店長のいるバックヤードに連れて行った。しかし店長も面接の事を知らなかった。寧々に事情を聴くと「春から高校生になるので雇って欲しい」と持ち掛けてきたのだ。アルバイト募集は常にやっているし、いくらいても困ることはないが、事前に連絡をせず履歴書を携えて面接に来た人間は初めてだった。後日理由を聞くと「多分受かるから、直接行った方が早い」とのことだった。その頃からだろう、良くも悪くも寧々の印象が決定づいた。
幸は既に食べ終えてしまった丼をカウンターに上げ、ポリカーボネート性のウォーターピッチャーから水を注いだ。いつもなら、コップ一杯の水を最後に席を立つ幸だったが、足をパタパタさせ、身体を若干斜めにして微笑む寧々を前にしてやめた。
「よく考えたら、ここで寧々を引き留めるって間違えてる気がする。早く帰りなさい。」
「え~、ここまできてそれ言います。もとはと言えば、交代で来るはずの人が遅れるって言って引き留めた店長が悪いんですよ。本当ならもう少し前には終わってたんですから。」
「あの店長…、学生はなるべく早く帰らせろって言ってんのに。なら、なおさら早く帰らないと。親御さんには連絡してある?」
「勿論です。バイト遅くなって、そしたらお腹空いたのでご飯食べて帰るーって。」
「お腹空いたって、休憩中にご飯食べなかったの?」
「食べましたよ?でも休憩してからもう三時間は立ってますから、そりゃお腹も減りますよ。」
「…ツッコミ待ちってわけじゃ、なさそうだね。」
可愛らしく首をかしげ、コテっとした。さも分からないといった表情だった。幸は、現役JKの胃袋に驚愕し、スープを残した自分の身体がいかように衰えたのか痛感した。
寧々はご両親と仲がいい。寧々との話題に上がるのは、いつも学校か家族の話題だった。お陰で家族構成からクラスでの立ち位置まで、同級生のように知っている。
「寧々は、その、さ、羽振りはいいけど自分の身体を売るような仕事を、友達がやっていたら、どうする?」
何気なく、あからさまにおどけて質問するはずだったのに、その言葉は質量を持って発せられた。特定の、誰でもない何かに対してではなく、明確な誰かを想像してしまったからだ。その姿が、幸を惑わせた。
しかし寧々はいつも通りだった。いつものように幸を目をまっすぐ見つめる。口角を上げて目を細め、そこには一切の圧を感じない。だからこそ、寧々の言葉は幸には衝撃的だった。
「何もしません。」
考えるより先に言葉が出た。思考の余地を挟むことなく、まっすぐに突きつけられた言葉に、幸は二の句が出なかった。
「どうしてそんなことを聞くんですか?」
「どうしてって、別に深い意味はないよ。ただ、ニュースで闇バイトって特集を目にしただけで。」
「へー、そうなんですか。てっきり、幸さんの知り合いにそういう人がいるのかと思っちゃいました。」
寧々の表情は変わらない。バイト中の、世間話でもしている具合に、飄々と言葉を並べる。
「どうして、どうして何もしない?」
「だって、どうでもいいじゃないですか。」
「そんなことはないでしょう。友達なら、なんでそんな事をしてるのか気になったりするものじゃない?」
「本気で言ってます?」
不敵に笑った。認知が歪む。彼女の、正確には初対面の第一印象から遠くかけ離れていた。
「風俗は知りませんけど、私の周りでもパパ活とか平気でやっている人はいますよ。彼女たちが何で自分の身体を売ってるんだと思います?お金が欲しいんですよ、お金が。自給千円のアルバイトが馬鹿らしくて、だけどお金が欲しい欲深い人たちが、十代ってブランド使って効率的に稼いでいるんです。そこに生活的困窮とか、借金の型に我慢しているだとかは無いんです。そんなのは話のネタに困った小説家が、ドラマティックに演出する題材のために過ぎないんです。」
だから、と付け加えた。
「彼女たちのことを『どうにかしてあげよう』なんてのは間違ってます。彼女たちは肌を見せ、すり寄ってくる好色の男性に媚びを売ることでしかお金を稼げない哀れな人と、そう思うことはただのエゴに過ぎません。まあ、助けを求められたのであれば話は別ですけど。」
「…寧々は、その、思っていたよりも」
突き放す言葉が浮かびそうになって口を紡いだ。聞いたのは自分だ、それに対して相手を卑下する言葉を投げるなんて、あまりに自分都合だと思ったからだ。
「冷たいって思いました?」
「そうだな、冷徹って言葉から遠く離れた人間だと思ってた。正直、直感で生きているタイプだと。」
「うわ、ひーどーいー。これでも私、学校では優等生で通ってるんですよ。四月にあった実力テスト、学年三位でした!ブイブイ!」
「…マジ?」
今日あった出来事の中で一番衝撃的だった。思わず低い声を漏らす幸に対し、寧々は両手でVサインを送る。その表情に、嘘は無かった。いつもの寧々が、いつものように振る舞って見せた。コンビニでの彼女を知る幸にとって、その光景は乖離したものに映り、歪にもそれが現実であると知った。
幸はコップの縁を指で摘まに、水を飲んだ。小さく、何度も何度も口に運び、その間口を開かなかった。そうすることで、寧々の言葉の理解を得ようと試みた。途切れそうになる思考のまとまりを、繋ぎとめるように、何度も何度も。
「じゃあ寧々は、私がそういう仕事を隠れてしてるって言っても、何もしない?」
「それは全力で止めます。」
「さっきと違うじゃん。」
寧々はいくらか悩む素振りを繰り返し、「ま、いいか」と改まって幸へと向き直る。人差し指を拳銃に見立て、幸を射抜くために狙いを定めた。
「私、好きな人の身体は独り占めしたい質なので。」
寧々は指で拳銃を作った。それは火を噴いた。銃口から立つ煙を吹き消すようにわざとらしく息を吹いた。
ちょうど注文していたラーメンが出来上がり、寧々はあからさまに興味を移した。これ以上の会話はする気がないらしい。
あきらかに盛りすぎたトッピングに、幸は二千円のお釣りが何故返ってこないのかを理解し、幸は再びコップに水を注ぎまた小さく水を飲んだ。寧々が食べ終わるのに合わせて、何度も、何度も。
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