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 彼女を尾行し始めてから一時間。コンビニから最寄り駅まで戻り、電車を二回ほど乗り継ぎようやく電車移動が終わった。途中、彼女を追いかけるに残高が足りず、乗車中に急いで交通系ICにチャージした。売店で適当に購入したサングラスとマスクがいかにも不審者に映ったが、彼女を見失なわず電車を乗り終えた。

 

 幸は三号車、彼女は四号車から降車し、彼女の後ろに付ける形で尾行を再開する。時刻表、休憩室を通り抜け、出口と記載のある案内板に従い階段を降りていく。彼女はエスカレーターを使い、幸は彼女との間に三人の人間を挟んだ。そのいずれもがスーツ姿の中年男性だった。

 

 その駅は幸の最寄り駅とは二段階ほどスケールが違って見えた。駅構内の本屋を通り過ぎ改札を抜けると、ショッピングモールのフロアマップが掲載されている。大型商業施設と駅改札が繋がっており、駅から出ることなく全てのお買い物が可能で、幸とは反対に位置する改札から直接店内に入店できる構造だった。

 

 (もしかして、ここには買い物をしに来たのか?)

 

 フロアマップに掲載されているお店はどれも見たことのあるものばかり。スーパーに喫茶店、ファッションに化粧品、眼鏡に生活インテリアまで存在する。この半径一キロ圏内で、およそ考えられる十分な新生活が始められそうだった。

 

 しかし、施設入口の扉から見えるのはシャッターばかり。一番手前に位置するコーヒーチェーン店だけが明るい。彼女は施設に入ることなく、そのまま北口の通り過ぎて行ってしまった。どこかに立ち寄る素振りも、迷うそぶりもなく。

 

 駅を出て向かいに位置する、スーパーに沿った裏路地に向かった。駅での賑わいとは裏腹に、いくつものシャッターが立ち並び、日の当たらない壁には黒い汚れがくっきりと見えた。立ち並ぶシャッターに挟まれて、チェーン店の牛丼屋、町の自転車屋も見受けられたが、それを過ぎると閑静な住宅街に移り、店の一つも見当たらなくなった。

 

 道は細く、人通りは少ない。幸い、交差点とコインパーキングは所々に点在していたため、彼女の視認できるギリギリの距離を保ったまま尾行は続いた。幸は耳に掛けたサングラスをクイっと下にずらし、意味深な行動のように振る舞ってみると、昔母と見た昼ドラの再放送を思い出した。


 (それにしても、どんどん人通りの少ない方へと進んでる気がする。)

 

 もしかすると、家に帰るのかもしれない。スマホの地図アプリを確認する。彼女の方角にあるお店と言えば、レンタルビデオ店が一店だけ。幸の核心は色濃いものとなっていった。

 

 幸は目を見張った。

 

 彼女を追いかけ、細い道から少し道幅の広くなった通りに出た。ベージュ、ホワイト、ブラウンとややくすんだ色合いのアパートが立ち並び、どの建物もそれなりに綺麗に見えた。見事なまでに所狭しと敷き詰められた住宅の中におよそ飛びぬけて目立つ家もなく、足並みを揃えているようで気持ちが悪かった。

 

 そんな中、彼女の入った二階建ての建物は時代から取り残されたように孤立していた。

 

 かつて小屋だったものの面影を残す、むき出しの錆びた鉄骨。一階左手にはガラス張りの木製の引き戸が三枚連なっており、ガラスは所々割れてしまっている。中の雑多な品々(ゴミにしか見えない)が隠れもせず、堂々と転がっていた。右手はコインランドリーになっており、欄間ランマのついたアルミサッシが閉じていた。こちらは割れていなかった。古い型の縦型洗濯機に手摺のない樹脂製の四脚椅子。椅子程の高さの、知らない銘柄が刻まれた赤いスタンド灰皿。


 客は、誰一人いなかった。

 

 (あれ、確かにここに入っていったはず…)

 

 ふと、頭上に目をやった。掲げられた看板が目に留る。

 

 看板には『コインランドリー 200円』、『ゆ・あったかい湯』の縦二行。

 

 隣家を見ると、『あったかい湯』と書かれた赤い暖簾と、暖簾の傍には料金表と丸時計が掲げられており、奥にはダイアル式の荷物入れ。何故、コインランドリーと銭湯が並んで存在しているのか。幸は看板の文字を疑った。しかし、看板から少し先に見える、電柱とは頭一つ抜けて高くそそり立つ煙突があり、『あったかい湯』と銭湯の店名が刻まれていた。

 

 (煙突がある銭湯って初めて見た。)

 

 彼女は温泉に入りにきたのだろうか。銭湯の方へ少しだけ近づいてみると、暖簾手前にある受付窓口に卓上プレートで『番台』と書かれている。しかし窓内側からカーテンがかけられており、『準備中』の張り紙が添えられていた。

 

 彼女がこの場所に入っていったのは間違いない。しかし、コインランドリーにも銭湯にもその姿はない。幸はサングラスを下にずらしてみた。薄墨の幕が明け、視界だけが開けた。

 

 「どちら様ですか?」

 

 振り返ると、そこには一人の女性がいた。くっきりと刻まれた皺、浮かび上がるのシミの数々、姿勢はやや俯き気味で七十代前後に見えた。銀色に染まった髪はかんざしでまとめられ、袖のないダウンジャケットにデニムジーンズと身なりはとても若々しく、手には竹ぼうきを構えていた。

 

 「あ、えっと、お風呂に入ろうと思って銭湯を探してたら、この煙突が見えまして。それでさっき、このお店の中に誰か入っていくところが見えたので、もしかして営業しているのかなと覗いていたんです。」


 幸はマスクとサングラスを乱暴に仕舞い、一般客を装った。身振り手振りを交えることで、少しでも取ってつけた言い訳の信憑性を上げようとしたが、かえって挙動不審と化してしまう。

 

 「ああ、そういうことですか。でも今は営業時間外でね、ちなみにどんなお客さんだったか分かる?」


 ゆったりと抑揚のついた声に、張り詰めた空気が弛緩した。幸の呼吸もそれに合わせて落ち着きを取り戻し、脳へと酸素が運ばれる

 

 「黒髪の、キャリーケースを持った人でした。」

 

 「ああはいはい、それは身内ですので。」

 

 女性は幸の告げた人物に、すぐに思い当たったようだ。声の抑揚に少しだけ変化が付いたように思った。

 

 「なるほど、そういうことでしたか。」

 

 「申し訳ないね、わざわざこんなボロい銭湯に来てもらったのに。」

 

 「いえ、こちらこそ早い時間にお邪魔してしまい申し訳ありません。今度は是非、営業時間にお伺いさせてください。」

 

 会社員時代、三日だけ研修した胡散臭いビジネスマン口調が出た。幸はそのまま来た道を引き返すように、その場を後にした。

 

 

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