4-1


 深夜番勤務が終わり、街が薄っすらと太陽に照らされ始めた頃に、幸は最寄り駅前のマクドナルドにいた。

 

 お昼時には二階へと通じる外階段にまで長蛇の列ができる店も、今は誰もいない。キャッシュレス決済の取り扱い種別が張られた自動ドアをくぐり、店内に入る。欠伸をこぼす店員の一人と目が合った。必死に噛み殺そうとしたが間に合わず、初めてスマイルを学んだぎこちない表情をしていた。

 

 幸は迷わずカウンター席へと足を運んだ。競馬新聞を読む、四つ先の席に座るおじ様を除けば誰もいない二階席。大抵の客は注文窓口のない三階席に行く。窓ガラスの席からは最寄り駅が覗け、よく日が当たる。日中は照り付ける日差しと、注文を待つ長蛇の列がうっとおしい席だが、この時間だけは特等席だ。

 

 幸はモバイルオーダーでコーヒーを注文する。砂糖、ミルク不要のチェックボックスをタップし、登録済みのクレジットカードの暗証番号を入力すると、すぐに注文は届けらた。


 「お待たせいたしました。」


 先ほどのスマイル店員が緑色のトレイ片手に運び「それでは失礼いたします。」と言って、店員は足早に去っていった。そこには先ほどのぎこちないスマイルは見られなかった。

 

 幸は両指を交互に交差させ、小さく前に腕を伸ばした。凝り固まった身体をほぐすと同時に、節々に溜まった疲労を確認する。どこもかしこも重ダルイ悲鳴を上げているが、頭だけはハッキリと覚醒していた。


 (はぁ、やっぱり変な感じがする。この生活初めて一年は経ってるのに。)

 

 幸は一年前までホワイトカラーとして働いていた。別にグリーンカラーになったからといって、社会人で無くなったわけではないが、今の仕事には定時というものが無い。午前九時から午後六時、内休憩一時間の規則的な就労ではなく、空いた時間にシフトを入れる、大学の履修登録の要領で働いている。

 

 コンビニで働き始めて早一年。しかしそれでも、いまだホワイトカラーであった頃の月日が長い幸にとって、この時間はどこか懐かしいものだった。通勤ラッシュの時間帯を避けるため早起きし、朝食は食べる時もあれば、コンビニや出かけのお店で済ませる時もあった。早朝にやっているお店など、チェーン店の喫茶店とハンバーガーショップ、それと牛丼屋。朝は小食で済ませるため、必然的にお店の選択肢は軽食を提供しているお店に限られる。

 

 この時間はまさに、朝起きてから会社に向かう前の食事をする時間帯。

 

 疲労の積み重なった足は階段を嫌がり、睡眠を欲する脳は布団以外に向かうことを拒むが、シャツにこぼれたコーヒーのように、染み付いた習慣というのはなかなか抜け落ちない。幸の身体は今も尚、会社に向かおうと準備していた。

 

 幸はコーヒーの入った紙カップ両手に、息拭かれ舞う白い煙を眺めていた。立ち上る湯気を、閉じた瞼に当たるようにと顔を移動させ、蒸気アイマスクの効果を期待してみたが、バカバカしくなってやめた。

 

 カウンター席には幸と、端っこの席に座り競馬新聞を真剣に眺め、番号の書かれた出走馬の箇所を何やら赤マーカーで書き込むおじ様の二人だけ。日曜日は必ずと言っていいほど、競馬新聞を丸めた六、七十代のおじ様が、カップコーヒー一つを注文して席に座っている。砂糖とガムシロップがトレイの上で散らかり、紙カップとっくに空になっていた。

 

 (日曜でも、駅に向かうスーツ姿の人は見かけるもんだな。)

 

 朝、駅近くに立つこのお店から見えるのは、最寄り駅へと向かう人の流動。その流れは一方通行で、まず駅から降りてくる人はいない。ここは東京のベットタウン。誰もが東京に出稼ぎ、安い住宅街に帰り身を休める。それは幸も例外ではない。ただ、東京に向かう必要のなくなった今でも、その住処は変わらずだった。理由は、リビングに所狭しと並ぶ段ボールの数が物語っている。

 

 (ん?あれは…)

 

 長い黒髪、一つ折のブレザーに、チェックのスカート。顔まではよく見えなかったが、遠くからでも一層目立つ、一回りも大きいキャリーケース。


 彼女だった。

 

 改札前の段差を、キャリーケース両手に降り、どこかへと向かう様子だった。ガラガラ、ガラガラと、やはり周囲の視線を引き付けて歩き出す。ガラス越しで届かないはずの音が、まるで直接耳に当てられているぐらい、その音ははっきりと聞こえた。

 

 上から俯瞰してみるとよく分かる。とても、良く目立っている。一度は自転車で通り過ぎた男性が、気になって後ろを振り返り、危うく転倒しかけていた。

 

 (こんな時間にどこ行くんだ。)

 

 彼女の生態は未だ謎に包まれたままだ。幸は、彼女が高校生なのか、こじらせコスプレイヤーなのかも知らないし、名前すら聞いたことがない。仕事終わり、コンビニの駐車ブロックに座る彼女しか、幸は知らないのだ。

 

 幸はコーヒーを飲み干し、急いでごみを分別して店を後にした。流し込んだコーヒーは熱く、左胸がじんわりと灼けるように熱かった。

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