3-5

 

 コンビニの一番の売れ筋商品はどこにいってもタバコだ。加熱式タバコ、電子タバコと老若男女問わず、時代に応じて手にしやすい形へと変貌した。

 

 しかし喫煙者は(ここでは紙タバコを吸うスモーカーの事を指す)、夏に飛び交う蚊の数ほどいる。どれほど高額な税金を課せられていようとも、どれほど利用場所が制限されようとも、どれほど体に悪い影響を及ぼすとしても、どれほど首を絞められようが気が付けばそこにいる。一カートン十箱の値段で安いウイスキーなら六本、そこそこのものでも一本買え、一か月の光熱費と水道代を支払える程度の金額だとしても、彼ら彼女らは買い求める。

 

 しかし、間違っても勘違いしてはいけない。彼ら彼女らは二十歳を超え成人しただけであり、英国紳士のように葉を詰めパイプをくゆらすことはしない。皆が一様に揃って眺めるものは決まってスマホだ。タバコの煙を楽しむような、嗜好品としての面影はなく、ストレスを緩和させるだけの薬物でしかない。

 

 そう、紳士でなく、一種の患者だ。そうでなければ「いつものって言ってるだろ!」とか、「メンソールライトって言えばマルボロ八ミリに決まってんだろ!」とか、「何年この仕事やってんだ!」とか、口が裂けても言わない、絶対に。初めて見た客の、いつも購入しているタバコの銘柄のタール数を言い当てるなんて、いったい何年コンビニ勤務したら習得できるスキルなのだろうか。思考盗聴とか、その手の怪しい通信講座でも取らなければいけないのだろうか。

 

 (駄目だ、あのジジイの事を考える度イライラしてる。)

 

 タバコを吸うと、煙だけでなく毒を吐くこともうまくなるらしい。幸の脳内を蝕む毒は、勤務が終了した今でも居座っている。

 

 「さっきから難しい顔しているけど、どうしたの?」

 

 「……最近、イライラすることが多くてね。」

 

 「そう、大変ね。」

 

 彼女はくるくると、手順にそって器用に手巻き寿司の海苔を巻いている。自分が渦中の人間だと、まるで疑わないような口ぶりだ。幸もネギトロの手巻き寿司を一つ取り、ビニールをはがしてくるくると巻いていく。彼女のに比べると、いささか平べったい三角形になってしまった。

 

 丁寧に、淡々と巻いていく彼女に感心していると、幸はある部分が気になった。

 

 (随分派手なネイルしてるな。)

 

 彼女の爪にはネイルアートが施されていた。ベージュの付け爪に、細い線で星や円などの模様が描かれている。すべての爪に別々の種類の模様が描かれており、とりわけ派手だったのが、爪全体を銀色のラメ模様にコーティングした右手人差し指。幸はその手のファッションにてんで疎かったが、原宿という言葉が似合う爪だった。

 

 (それにチョーカーまで。)

 

 細く、黒いチョーカー。透き通るアクアマリン色の雫型の宝石が、彼女の首元に鎮座している。一口、また一口と首を動かく度、それは小さく揺れ輝いた。

 

 彼女はこちらの視線など一切気にせず一巻き食べ終え、次に手を伸ばしていた。

 

 正直、ずっと同じ服(多分制服)を着続けていたから、そういっためかし事に興味がないと思っていた幸は、心底以外でならなかった。

 

 テーブルにはマグカップと湯呑、そしてスーパーで買ってきた五つの手巻き寿司が入ったプラスチックのトレイが一つ。三回目の来訪となると、テーブルの周りは整理され片付いていた。未だ段ボールの数に変化はないが、二人で食事ができる最低限の部屋模様を保っている。そこにモノを置いてはいけないと、無意識に考える様になってしまった。

 

 朝番勤務を終え、昼過ぎごろにコンビニを後にした幸。世界人口の半数以上は働いているであろうこの時間に、彼女はいた。そこにいるのがいつもの事のように、いた。

 

 黒いブレザーではなくベージュのカーディガンを羽織り、ボタンは開いていた。それ以外はいつもと変わらない、ごてごてしいキャリーケースを携えた黒髪美少女だ。キャリーケース片手にスーパーをうろつく彼女の姿は、あまりに異質さを放っていたが、一度家に帰る手間を考えると致し方なかった。

 

 「学校行ってないの」

 

 当然の疑問をぶつけてみた。幸は彼女のパーソナルの部分に、あえて触れてこなかった。聞いたところでどうもできないし、下手に入れ込むほど親しくもない。ただ、ここまであからさまにネタをちらつかせられると、聞かない方が不自然だと思った。お笑い芸人のボケ振りをスルーしているようなものだ。

 

 「行ってる。今日はたまたま行ってないだけ。」

 

 学校を休む理由に『たまたま』と言った人間を初めて見た。風邪と称し、実際は『面倒だから』、『ダルイから』とサボる友達はいたが、偶然休みを取る人間はいなかった。多分、言いたくないか、からかっているのだろうと察した。真剣に答える気がないのが答えだった。

 

 会話がなくなった。今日は長く話していた方かもしれない。食事の時、いただきますを言わず、黙々と食べる彼女に幸は話しかけない。彼女も食事を終えるまで、一言も発することはない。マンションに済む住人も、この時間はほとんど出かけているのか物音すら聞こえない。

 

 (テレビでも買おうかな。)

 

 一人暮らしになってからテレビのない暮らしが当たり前になっていた。部屋の角におかれた机と椅子、それとノートパソコンとブルーライトカットの眼鏡。これだけあれば一日はあっという間に過ぎていく。それでも一人暮らしを始めた頃は、音のない部屋が無性に苦しくて、インターネットラジオを朝までかけ続けていた。その日の寝起きは特に最悪で、薬でも盛られたかのように身体が怠かった。それでも、喧騒恋しく夜中苦しむよりは幾分ましで、数か月は同じ生活を続けた。

 

 独りに慣れてしまった幸にとって、テレビは無用の長物だ。テーブルの向こう側にいる彼女との間には、きっと深淵に近い空白がある。きっと埋まらないし、埋められない。彼女は、こちらに歩み寄ることはない。都合が悪くなれば、また同じ人間を見つけるだろう。あのコンビニの時のように、近寄る獲物を見つけて。

 

 (あれ、何でテレビが必要なんだっけ。)

 

 考えているうちに手巻きずしを食べ終えてしまった。ネギトロの味も、何故テレビを買おうとしていたのかも、よく分からなくなった。ひとまず空腹満たそう、そうすればどうでもよくなって、忘れる。

 

 幸は二つ目の手巻き寿司に手を伸ばす。プラスチックのトレイには『生わさび』の袋が二つ。モグモグと口をもぐつかせる彼女と視線が重なる。しっかりと咀嚼し、飲み下した後で一言。

 

 「ご馳走様でした。」

 

 「…お粗末様。」

 

 食後の挨拶だけは、手をそろえて頭を下げるまで、懇切丁寧にちゃんとしていた。

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