3-4
電子レンジの外装も、その下に配置した冷蔵庫も真っ白で、それらは全て新品に見える。しかし、電子レンジの中だけは別だ。横開き式の電子レンジのドアを開けると、あちらこちらにタレが飛び散っていた。
電子レンジの中にはお弁当が二つ。白身魚と唐揚げ弁当がマイクロ波を浴びながら、仲良くターンテーブルの上でくるくると回っていた。幸は立ったまま、メッシュ越しにオレンジ色をただ眺めていた。
時折リビングに視線を向ける。以前と同じクッションの上に、凛と座している彼女がいた。何をするでもなく、パーティクルボードあたりに視線を落としている。木目を数えているか、彼女に見えない何かが映っているのか。どのみち、追及するようなことでは無かった。
軽快なメロディーがキッチンに響き渡る。電子レンジのドアを開け、二つのお弁当を取り出した。同時に温めたせいか、常温よりもほんのり温かく、芯まで熱が通っていない、そんな温かさだった。
「はい、好きな方とって。」
幸はお弁当をテーブルに並べると、すぐさま冷蔵庫に行き、緑茶がはいった大きいペットボトルを取り出した。マグカップと湯呑に並々注ぎ、テーブルに持っていく。彼女は自分の手元に白身魚のお弁当を寄せ、反対の座席に唐揚げ弁当を置いていた。彼女はどうやら魚派のようだ。
幸はマグカップに注いだお茶と割り箸を彼女に手渡し、反対側のテーブルに腰掛ける。安っぽい割り箸を不格好に割り、お弁当の蓋を開けた。炊き立てとは程遠い、薄っすら見える湯気だったが、唐揚げの黒コショウ香るスパイスは空腹にたまらなかった。
「それじゃ、いただ…」
モグモグ、モグモグ、モグモグ、モグモグ。
手を合わせた先には、白身魚のほぐし身を咀嚼する彼女の姿。綺麗に両断された割り箸を丁寧に扱い、咀嚼と同時並行で魚肉と骨を分けている。その手並みは見事なものだった。
「…いただきます。」
幸は一人、手を合わせた。子供のころから当たり前だった『いただきます』が、あたりまえでないと知った。別に強要するほどのものじゃない。言わない事を選ぶことだって自由だ。
だけど、少しだけ、ほんの少しだけ、物足りないと、そう思ってしまった。しかし、彼女はそんな事気にも留めず、ただ食事を続けていた。
(あれ?)
彼女の肩に、くすんだ金色の線が見えた。真黒なブレザーにその金色はあまりに不格好で目立つ色だった。長く金色の不格好な髪は彼女の黒髪とも、ましてや幸の茶髪とも似てもに付かない。
(彼女にだって学校の友達の一人や二人いるか。)
幸は、何故そんなことが気になったのか、自分でも不思議に感じていた。無意識に、彼女を孤独の存在と認識していたのだろうか。
「ねえ」
彼女のお弁当のご飯がちょうど半分消えたていた。白身魚も寸分たがわず、半分だけ残していた。
「ん」
「さっきここに来るとき、すごい綺麗な女の人とすれ違った。」
「ああ、翠さんのこと。」
「知り合い?」
「お隣さん。202号室の。」
「芸能人か何か。」
「ただの大学生だよ。」
ただの、と称するには誤謬があるだろうか、と少し考えた。しかし、それ以上の説明が思いつかず、訂正はしない。
「…どういう関係。」
「どういうって、ただのお隣さんだよ。」
幸は彼女の質問の意図が分からなかった。隣に住む大学生と知り合いになることが、それほど珍しい事だろうか。たまたま隣に引っ越し、たまたま酔いつぶれ、たまたまその介抱をして、一緒にお酒を飲んだ関係。
(いや、かなり稀有な出来事、かも?言われてみればここ数年、翠さん以外の住人と会話したことすらないな。)
「…そっか。」
彼女はそれ以上何も聞かなかった。再び魚、白米、お茶と、整った配分で食べ進める。彼女の食事はプロセスを踏むように、流れていくようだった。お箸の扱いから口に運ぶまでの一連の動作。情景反射の域に見えるほど、根強く習慣化されていた。
今の質問は、彼女にとってバグとでも言うべきものかもしれない。向かい合う人間の存在が、彼女のプロセスに組み込まれていないのだ。
(梅干しや唐辛子を口にしても、無表情で食べ終えそう。)
その日、幸は彼女の服についた髪の毛の事も、そもそも彼女が何故また幸の家に訪れたのかを問いただすことなく眠ってしまった。朝目を覚ました時、寝袋は綺麗に袋に仕舞われ、冷蔵庫には朝食がラップされたお皿が入っていた。
「今日の朝ごはんは卵焼き」と、ぼそっとつぶやく。
水滴の付いたラップを外し、一つを摘まんで口に放り込んだ。
彼女は、出汁派だった。
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