3-2
幸はコンビニ出入口付近に差し掛かると、橋本寧々の後ろ姿を見つける。栄養ドリンクコーナーの品出し中だったのか、床にはプラスチックケースの乗った台車がそのままになっており、指には何本もの栄養ドリンクが器用に挟まっている。どう見ても品出しをしている店員には見えなかった。群衆から、スキャンダルになった芸能人を一目覗こうと集まる野次馬のよう。
「これ、仕事もしないで何しとるか。」
「あてっ。」
柔らかそうな頭にチョップをきめた。力は込めていない。寧々はあからさまに痛そうに、にやにやしていた。
「いや、別に遊んでた訳じゃないですよ。ただ、何か変な子がいるんです。」
「変な子?」
「はい、制服見た感じうちの学校の子じゃないんですけど、なんかキャリーケース横にずっと駐車場のところで座ってて。最初は綺麗な子だな~って見てたんですけど、ちらちら目が合って、その度に逸らされるんです。コンビニの中を覗いているような、誰かを探しているような、ってさっちゃんさん?頭抱えてどうしたんですか?」
寧々は売り物の栄養ドリンクを一つ差し出してきた。幸は大丈夫と、やんわり断った。
聞きなれた電子音。音の発生源は、幸の、鞄だった。嫌な予感がする
外に目をやる。彼女はスマホを耳に当てている。嫌な予感しかしない。
電話に出た。嫌だった。
「もしもし」
『今日、あなたの家に泊めてくれませんか』
「……マンションに行ってて」
『それはOKってこと?』
「いいから、行け」
プチっ。
通話を終了するには、あまりに余計な圧力でスマホをタップした。
「さっちゃんさん?すごい血相ですよ、やっぱり具合が悪いんじゃないですか。ほら、私の奢りですから!」
寧々は、普段なら絶対に買わない少し値の張る栄養ドリンクを差し出した。『プレミアムゴールドロイヤルスターリッチ
栄養ドリンクを一気に飲み干す。常温だったそれは、酷く舌に残り、喉をへばりつくように流れていった。人間が作り出した、酸味とも甘味ともいえる独特な味に、薬品のケミカルな匂い。子供の頃、何が美味しくてこの液体を飲んでいるのか、父がまとめ買いする意味が理解できなかった。今なら分かる。だってこの味を、嫌いになれくなってしまったから。
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コンビニを出て踏切を渡り、小型スーパーを通り抜けたあたりで彼女の後ろ姿が見えた。この時間は電車の本数が多く、追いつくまでに結構な距離を歩かされた。
ガラガラ、ガラガラ、ガラガラ、ガラガラ。
夕暮れがもたらす穏やかな静けさに似つかわしくない騒がしい車輪音を響かせ、周囲の視線を集めている。夕飯の買い物に訪れるサラリーマン、大学生、主婦と視線の数はあの夜の比ではない。彼女はそんな視線に一切に気にする素振りもなく、まるで身体の一部のように、キャリーケースと歩いていた。
幸はスマホを取り出し、人通りの少なくなった路地に出たあたりで電話を掛けた。バイオリンのカルテット。パッフェルベルのカノンだった。
(やっぱり、聞き間違いじゃない。)
彼女はスーツケースからスマホを取り出した。
「もしもし」
『「今日、あなたはどこに泊まるつもりですか?」』
彼女はこちらに気付き、くるっと振り向いた。相手が幸としってか知らずか、彼女はすぐに通話終了ボタンを押した。
「何故かしら、人に真似されると無所に虫の居所が悪くなる。」
「度量が小さい証拠だ。」
幸は彼女を追い越し、彼女もそれに続いて歩いた。
ガラガラ、ガラガラ、ガラガラ、ガラガラ。
やはり、首が楽をできていい。彼女自身も十分に人目を惹く、女としての魅力を持っているだろうが、後ろを向いた人間の気は引けない。その点、彼女のキャリーケースは魅力的で、大物だ。
「ねえ、結局、今日泊めてくれるの?」
「……」
「ねえ、聞こえてる?もしかして難聴?」
幸は一切振り返らず、反応しなかった。幸はスマホの着信履歴から一番上の履歴をタップした。再びパッフェルベルのカノンがかかる。
『「外で私に話しかけないで」』
『「どうして」』
『「あなたと一緒にいるところを見られたくないから。」』
『「ああ、そういうこと。」』
彼女は納得した。
『「援助交際を疑われるからね。」』
『「誰がそんなこと気にするか。」』
幸はため息をついた。深く、大きく、後ろにいる彼女に見せつけるように。振り返らなかったが、少しだけむくれている彼女が想像できる。
『「じゃあ何で。」』
『「目立ちたくない、知り合いだと思われたくない、キャリーケースの音がうるさい、その他諸々。」』
『「……へぇ」』
嫌に含みのある間があった。鋭い視線を向ける彼女の姿が容易に想像でき、背筋が寒くなる。
『「人の事、『度量が小さい』という割には、あなた随分気が小さいのね。」』
『「…あなた、以外に根に持つタイプ?」』
さあ?と言って彼女から通話を終了した。したり顔を浮かべる彼女を想像したが、疲れるのでやめた。
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