3-1


 彼女がマンションを出て行ってから数日が経った。仕事はいつも通りに進んだ。いや、今日は特に調子が良かったかもしれない。


 なにせ、八時間で仕事が終わったのだ。おまけに廃棄品のお弁当におにぎりにパン、丸ごとバナナ一本使ったデザート『バナナロール』まで残っていた。幸はお弁当を茶色いビニール袋に入れ、そのほかを鞄に詰めた。

 

 シフトは基本、次のシフトとの入れ替わり時間を加味して三十分程度のマージンを儲けて組まれている。幸の場合、今は夕方勤務のシフトメンバーと入れ替わるタイミングだ。


 まだバイトして一か月といった高校生が主にシフトに入る。彼女たちは実に優秀だ。時間に遅れることがない。深夜バイトは駄目だ。時間にルーズで仕事をしない。深夜に働いているというだけで重宝され、昼間の半分の労力で高給取りだ。私のような人間と同種だ、それは仕方がない。

 

 しかしこの時期の高校生バイトにも欠点はある。圧倒的な経験不足なのだ。夕飯時の、お弁当お惣菜を買いに来るお客でごった返す時間帯だと彼ら、彼女らでは捌ききれない。


 店長も頑張ってはいるのだが、基本的にもたもたするのが仕事の彼に期待はできなかった。そもそも、店長以外のシフトメンバーがアルバイトの時点で、この店長の管理能力が十分に機能していないことが分かる。

 

 そのため幸が残業という形で残り、お弁当ラッシュを乗り切ったのを見て退勤するのがお決まりだった。

 

 「いや~、今日はラッキーだったね~。」

 

 「ですね。お店的には悪いんでしょうけど、売上的に。」

 

 「いやいや~、たまにはこんな日があってもいいよ~。アルバイトの子たちもやっと仕事に慣れてきたところだし。あと宅急便のやり方覚えて、行列を捌けるようになれば即戦力だよ。慣れないうちに忙しいのを経験させちゃうと、『キツイな~、めんどいな~』って言って辞めちゃうでしょ、最近の子とか特に。」

 

 「あー、そうかもですね。」

 

 忙しいよりも、何をすればいいか分からず、行列を眺めて立ち尽くしている時の方がよほど精神的に辛い、と言いかけてやめた。人が良すぎて苦労しているこの人に、追い打ちを掛けるようで気が引けた。

 

 休憩室には店長と幸の二人きり。店長はカタカタとパソコン作業をしつつ、時折電話がかかってきては声の調子をワントーン上げて対応していた。

 

 このコンビニには休憩室以外に座って休めるスペースはない。折りたたみ机にパイプ椅子が四脚、そのうち一つは革が破けて黄ばんだクッション材が見えている。冷蔵庫を開ける時、入口側の席に人が座ると扉が引っかかるため、年季の入ったパイプ椅子の位置は必然的にそこに決まった。


 店長のデスクは部屋の角隅に配置されており、このコンビニのすべてが集まっている。監視カメラの映像を映し出すモニター、タイムカードをきるための端末、事務用のパソコン、検品で使うスキャナーターミナルにタブレット、金庫の鍵から倉庫の鍵まで、引出しから机の上からごった返している。考えてみると、幸は店長がコンビニにいない時を知らない。もしかすると、人生の半分以上をこのコンビニで過ごしているのでは?そうなればここに心臓があってもおかしくはない。コンビニ店長に労働基準法は適応されないらしい、としみじみ思うのであった。

 

 「あ、さっちゃんさん、もう帰っちゃうんですか。」

 

 元気のいい、ハツラツとした女子高生の声が休憩室に響いた。橋本寧々だった。学力と引き換えに体力を手に入れたような女の子で、春からアルバイトとして加わったメンバーだ。すらりとした手足と小柄な体躯に似合わずバスケットボール部に所属している。首筋からきめ細かい肌が覗けるぐらい髪は短く、ボーイッシュな印象を与えるが、サイドに髪を編み込み前髪は眉下あたりで整えられ綺麗なすだれになっている。

 

 幸は雑多に張られたコルクボードに連絡事項がないか確認し、更衣室のカギを持っていることを確認した。

 

 「そ、じゃあこのあと頑張ってね。」

 

 「えー、さっちゃんさんとシフト時間被らなくて寂しいです!。店長、なんでさっちゃんさんを夕方勤務にしないんですか。」

 

 「いや~、そういわれてもね~、ごめんね~」

 

 店長は間延びした言葉で濁した。無理もない。学生の働ける時間なんて平日の学校終わりと土日のみ。この時期は特に学生のアルバイト志願者が多い。入学式が終わり、部活やら学校書類の提出やらが一通り済、アルバイトが解禁されたからだ。橋本寧々の学校はこのコンビニから自転車で十分程度。やたら志願者が多い。そして思いのほか覚える業務が多く、その割に給料は安いため、辞めていく学生がほとんどだ。さらに、初めの一か月はお試し雇用期間ということで五十円安い。

 

 店長としては何も知らない純真無垢な学生をあの手この手で懐柔し、よく働く労働社として長時間こき使いたいのが本音。幸としても、年が近いからという理由だけで何度も教育係にされるのは溜まったものではないため、橋本寧々には是非残って欲しい逸材だった。

 

 「平日は難しいけど、土日なら不来方さんと時間合わせることもできるから、ね?それで勘弁ね。」

 

 「はーい、じゃあそれで我慢します。」

 

 店長は引出しから本革のワインレッドのスケジュール帳を取り出した。ペンホルダーにはメタリックブルーが備わっており、その見た目からもモノがいいと伺える。店長はそのたるんだ横頬とクッキリとしたほうれい線に似合わず、身に着けている物に高級感があり、合わせ方も上手い。洒脱、と言っても差し支えないのではないだろうか。

 

 ペロっ

 

 (これさえなければな…)

 

 昔からの癖らしく、店長はものを書く前に筆先を、舐める。幸にはこれが理解できず、初めて見たときはひどく嫌悪した。他人の癖をとやかくいえる程、自らの素行が正しくあるとは思っていない。ただ、他人の唾液が嫌いなのだ。生理的、本能的に受け付けない。それを目にしたら身体に寒気が走り、身の毛がよだち、嫌に脳に残る。

 

 店長はアナログだ。シフト表は基本紙で配るし、給与明細も紙。ECサイト等での買い物は一切せず、どれだけ遠くてもお店で買い物をするらしい。テレビショッピング、カタログでのお取り寄せは例外。最近は泡洗浄もできる高圧洗浄機を買ったらしい。

 

 「えーと、じゃあ来月は不来方さんと橋本さんを土日入れるようにして~っと」

 

 スラスラと書き上げた中に、『07:00~15:00 不来方、橋本』とメモされていた。幸はまだ、来月のシフト希望を出していなかった。どっちにしても働くことに変わりはない。幸は小言を収めた。

 

 「じゃあ私もお仕事に戻ります!」

 

 「あ、寧々。ちょっとそのまま」

 

 「はい?」

 

 「制服の裾、ジーンズの中に入ってる」

 

 幸は寧々の背後に立ち、少し腰を丸めるように屈んだ。服の裾を軽く持ち上げ、ジーンズから出し、制服の皺を伸ばすように軽く払ったあとで寧々の背中を軽く押した。

 

 「より、これでバッチリ。行ってこい。」

 

 「いって参ります!」

 

 寧々は颯爽と休憩室を去っていった。休憩室が静かになった。スタッフ用にと置かれた簡易冷蔵庫と、監視カメラの映像を移すモニターの駆動音が聞こえる。店長と幸は少しの間、視線を交わした。ははは、と苦笑。それだけだった。

 

 これ以上店長といても意味はないので、続いて幸も休憩室を後にした。

 

 

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