第6話


 神棚の祀り方としては、日当たりの良い部屋の天井付近で、南または東向きに設置するのがベターとされている。とはいえ、住宅事情によって難しい場合もあり、絶対遵守という訳ではない。敬意があれば十分だろう。

 だが、これは明らかに不敬だ。汚れた倉庫の片隅で、埃の吹き溜まりに転がすなんて、真逆も真逆の冒涜ぼうとく。神様を貶める意図でもあるのか、と勘繰ってしまう。

 更に気になるのはお供え物だ。

 一般的には水、米、塩、お酒などを供えるのだが、皿の上に盛られているのは異物。黒光りする石の欠片かけらがこんもり盛られている。手に取りじっと見てみると、それぞれの表面には筋が走っていると分かる。化石だ。シャッターに似た表面からして、示準化石で有名な三葉虫だろう。かつて理科の授業で習った。その他にも、様々な化石が小さな岩山を形成している。正直なところ、三葉虫以外名前も知らぬ物ばかりだ。古生物学には明るくない。奇妙な形をした石としか表現できなかった。

 何故、神棚をぞんざいに扱っているのか。

 何故、化石をお供え物にしているのか。

 皆目見当がつかない。

 無礼は重々承知の上で、神棚の中も覗いてみる。

 軽々に見るものではないし、これまで機会も興味もなかった。場末の神棚をわざわざ開ける人もいないだろう。

 だが、今日は違った。

 偶然にも扉が半開きなのだ。気になってしまうのも無理はない。閉めるついでに少し確認するくらい、寛大な心で許してほしい。と、己の行為を正当化しながら全開にして、


「……何コレ」


 思考が凍りついた。

 宮形の中には神札しんさつが納められているはず。なのに、出てきたのは、こけしのような小さな置物だ。石を削って作られたようで、掌サイズなのにずっしりと重かった。

 どうして、こんな物が。

 目を引くのは置物の形状だ。頭部にあたるだろう部分には、反り返った二本の角が生えている。まるで羊か山羊やぎの角だ。しかも、置物の表面全体には、複雑な文様がびっしり彫り込まれている。ミニサイズなのに随分と手の込んだ造形だ。熟練の職人技だろうか。


「あれ、もしかして」


 漠然と既視感を覚えて、表面の文様に目を凝らす。

 どこか見覚えのあるパターンだ。石に彫られたそれをじっくり観察していると、パズルのピースが組み合わさっていくように、パチッと脳内で一致する。

 あのマークだ。

 何を模したか分からぬ不思議な印が、水玉模様のように一定間隔で並んでいた。

 一脚多い椅子、保育室の四隅、神棚に納められた置物。

 そのどれにも、同じ印が刻み込まれている。

 奇妙な一致だ。

 地を這う虫の大群が、背筋を一斉に駆け上がっていくかの如き感覚。ぞわぞわとした悪寒で鳥肌が立った。


「……ッ!」


 噴き出す嫌悪感から置物を神棚に叩き込み、中腰姿勢のまま数歩後ずさる。

 この園はカルト宗教、あるいは悪魔崇拝に関係する者が運営しているのではないか。そんな疑念が頭をもたげている。

 詳細不明の“ぬゑらぜ”なる存在を敬い、一方で神道とは真逆の作法で神棚を祀っている。印の意味や席を一つ増やす理由は謎だが、恐らく相応の儀式的な意味があるのだろう。カルト宗教にしろ悪魔崇拝にしろ、一般人とはかけ離れた、突飛な思想に基づいているのだ。あれこれ考えるだけ無駄かもしれない。

 もしかして、反社会的な活動もしているんじゃ……?

 という疑念も湧いてくる。

 仮にこの園が、カルト宗教または悪魔崇拝と関わっているとして。何のために子どもを預かっているのか。

 保育料を活動資金にするため、という可能性もあり得なくはないが、費用対効果が釣り合わないだろう。霊感商法や高額献金による搾取もやってなさそうだ。シノギの線は薄い。


 となると、布教活動が主な目的だろうか。

 幼少期は人格形成に多大な影響を与える大事な時期だ。この数年で基礎が出来上がるし、新しいことをスポンジのように吸収して成長する。そこに歪んだ思想を植え付け刷り込んでいく。大々的にはやらず、サブリミナル効果のように、自然と生活に溶け込ませるように。

 信者を増やして活動範囲を拡げる。その先にあるのは何か。大義名分としては、人々をより幸せにするため、だろう。だが、多くの宗教がそうであったように、大抵の場合正反対の結果が訪れる。戦争や差別、思想の違いからいがみ合うのは、世界の歴史が証明している。カルト宗教や悪魔崇拝となればより顕著だろう。過去に問題を起こした宗教団体を鑑みるに、ろくでもないことが待ち受けている。

 不特定多数の人間を狙ったテロ行為と、それを足掛かりにした国家転覆か。あるいは信者を政財界に忍び込ませて、水面下で国を内部から乗っ取るか。それともマインドコントロールした信者共々集団自殺を図るか。どう転んでも、まともなゴールではないだろう。

 いたいけな園児を集めて、この園はどうするつもりなのだろうか。


「いやいや、そんなはずないよね」


 はっと我に返ると、鈴音はかぶりを振る。

 長々と深掘りの考察をしたものの、一から十まで自分の誇大妄想だ。それ以上でも以下でもない。

 本当にカルト宗教や悪魔崇拝をしていたとしても、現状目立った害がない以上、どうすることもできないだろう。事件が起きなければ警察だって動かない。

 子どもの信教の自由を侵害している、という線も微妙だろう。教義を教え込んでいる様子はなく、近いところを挙げても“ぬゑらぜ”という存在を持ち出した発言くらいだ。それすら別段信じるよう強制しておらず、あくまでも規範意識を芽生えさせるための権威として利用する程度。昔の人の「お天道様が見ている」と大差ないと判断されるのが関の山だ。

 そもそもの話、個人に何ができるというのだろう。直属の上司にすら物申せず、諦め我慢し俯いているばかり。一人で突っ走って「この園はおかしいです」と内部告発するでもするのか。無理に決まっている。やったところで鼻で笑われるのがオチだ。出るくいは打たれ、必死に藻掻もがく者は冷笑される。世の常である。

 子ども達のために最善の選択を。

 心の内には真っ直ぐな信条があるのに、それを貫く勇気も技量もない。

 この件に関しては考えないようにしよう。

 神棚の扉を閉めて、自分の心に蓋をして、教材倉庫を後にする。

 本来の目的である、画用紙を忘れたと気付き再び訪れるのに、そう時間はかからなかった。

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