第3話


「ちょっと霧島先生」

「は、はいっ」


 背中から嫌な汗がどっと噴き出た。首筋がチリチリとしびれるように痛む。

 声を聞くだけで、全身が恐怖にわなないてしまう。

 千佳だ。知らぬ間に背後に立っていた。あまり関わらぬよう、なるべく距離をとっていたのに。自身の危機管理の至らなさが恨めしい。


「ぼさっとしてないでよ。さっさと次の準備を始めてくれない?」


 月初めから変わらぬ高圧的な物言いだ。いばらのように刺々しい口調に、心臓がきゅっと締め付けられる。

 次の準備とは、外遊び終了後の活動についてだ。本日の予定の場合、各自の水筒で水分補給後、きいろ組保育室にてダンスを踊る。そのため、今のうちに室内を片付けろ、という意味である。スムーズに活動を移れないと、子ども達の集中力が途切れる可能性が高まり、喧嘩や事故など怪我に繋がる事案が発生してしまう。理屈も役目も理解しているのだが、執拗に叱責されているように感じて辛い。心が荒みそうだ。

 それとなく「もっと言い方があるでしょう」と、伝えたい気持ちはあるものの、言える立場ではないし、言う勇気もない。低姿勢で「分かりました」と答えると、足早にきいろ組へ向かう。

 距離を幾分離したおかげか、速度を増していた心臓の鼓動が下降していく。胸の痛みも徐々に和らいでいく。

 風の噂という名の、園職員同士の井戸端会議で聞いた話によると、千佳の態度は昨年度から問題視されていたとのこと。受け持つ子ども達を思い通り従わせようとした、とか何とか。そのためベテランと組ませて再教育しよう、という目的もあって、きいろ組に配属されたらしい。新人を抱き合わせてクラス運営させるのは、流石に無謀でだったのではないだろうか。現に、子ども相手か同僚相手か問わずに、彼女の言葉は凶器の鋭さを保ったままだ。新人が言うのはおこがましいかもしれないが、噂が事実とするなら、園上層部の人事は大失敗としか思えない。

 やはり、彼女は苦手だ。

 勝山千佳という人物自体そりが合わないのは当然のこと、中学生時代のトラウマが刺激されるのも大きいだろう。

 なるべく目立たず波風立てずを信条にしていた当時。努力の甲斐かいなく、女子グループのお山の大将に目をつけられてしまった。苛烈ないじめを受けたせいで不登校になった黒歴史だ。おかげでその主犯格にそっくりな、高圧的な女性が大の苦手になった。関わる度に寿命が縮まる思いだ。あと一年弱でどれくらい減るのか、今から怖くてたまらない。





 ランチタイムはお洒落しゃれなお店で一休み。仕事の疲れはリフレッシュ、午後からの業務も元気もりもり頑張るぞ!

 そんな社会人一年目だったらどれほど良かっただろうか。

 保育の現場のランチタイムに安寧あんねいなど存在しない。僅かな癒しすらなく追撃の責め苦が訪れる。

 それが給食の時間だ。もはや戦争、いつ爆発するともしれぬ火薬庫である。

 咀嚼そしゃく嚥下えんげが未発達のため、誤飲の可能性が常に付き纏い気が抜けるはずもなく。嫌いな食べ物を前にへそを曲げてぐずる暴虐無人ぶりを発揮する可能性も大。そこに食物アレルギー持ちの子が加われば、もはや張り詰めた綱渡りの曲芸状態だ。そんな中で誰が落ち着いて食事ができようものか。食物を胃袋へと流し込むだけの栄養補給の時間と化している。


 食べ終わればすぐに午睡、お昼寝の時間だ。三歳児以上なら途中で遊びの時間が挟まるのだが、二歳児クラスの場合間髪入れずぐっすり夢の中が基本になる。早食いの子から自分の布団へ、遅い子はいつまでも席に残って食べ続けている。そして担任総出で寝かしつけをして、落ち着いた頃合いに給食の片付けをする。ご飯粒が床一面に散らばりのり状になった惨状は目も当てられない。おかずが納豆和えなら尚更だ。端的に言えば地獄。放置すれば虫が湧くし、臭いが酷くて耐えられない。消臭スプレーが必須だ。

 全員眠ればやっと一息つける。と、安心するのはまだ早い。子ども達が無事睡眠がとれているか、十分おきに呼吸の確認をする使命もある。また、昼寝中は連絡帳を記入する貴重な時間だ。予定より早く起きてしまう子もいるため、休憩を挟む余地は殆どない。


「今日はこの子達の分をお願いね」


 柔和な笑みを浮かべた真矢子が連絡帳の束を手渡してくる。目元の小皺が深い。長年保育に携わる人にありがちだ。よく笑うため、皺がくっきり刻まれていく。外遊びによる日焼けで肌が劣化したとか、重労働のストレスで老化が早まったとか、身もふたもない諸説もある。ともあれ、職歴の年輪と言えるだろう。

 連絡帳の記入は三等分、一人六人分がノルマだ。園児それぞれの、今日の姿を書き記していく。例としては、「砂場で山を作っていました」とか「三輪車がお気に入りみたいです」とか。他愛のない内容ならいくらでも書ける。一日の、正確には午前中の様子を、ありのままに伝えればいい。文章を組み立てるのは大変だが、題材自体は簡単なので苦痛はそれほどない。

 困るのは、保護者から育児相談を受けた場合だ。


「あの、馬場先生」

「もしかして、また金剛君のお母さんから?」


 申し訳なさいっぱいに、おずおずとくだんの連絡帳を渡す。

 うららからの育児相談はこれで二度目だ。「桃華に比べて言葉を覚えるのが遅くて心配だ」「いつもぼんやりしており何を考えているか分からない」といった調子で、金剛の発達に不安を抱いているらしい。

 確かに無口で大人し過ぎるのは保育士目線でも気になっている。また普段の、何もない場所をじっと見つめている姿は、フェレンゲルシュターデン現象を想起させる。猫が何もない空間を凝視しているのは、そこに幽霊がいると察知しているからだ、という有名なデマだ。気を揉む親心は理解できる。

 しかし、子どもの発達は人それぞれだ。早い子は早いし、遅い子は遅い。過度な不安は子どもにも伝播でんぱしてむしろ悪影響だ。大学の授業でも度々議題に上がっていた。

 しかし、そのまま伝えてはいけない。「心配し過ぎです」などと突き放す書き方をすれば、保護者との関係に亀裂きれつが入り、余計な軋轢あつれきを生む結果になる。かといって、相談を無下にするのもはばかられる。

 こういう時、どう返せばよいのだろうか。せめて研修期間に教えて欲しかったがそんな期間はなく、就職後すぐに実戦投入されてしまった。現場で身につけていくしかない。

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