従うべき予見
「匂いもまた、食事のスパイスになるからね」
“支配人”は余りに残酷なことを言う。コンビニエンスストアで買った惣菜パンの香り漬けに、駅弁を拝借する貧相この上ない姿が瞬く間に頭の中で描かれたのだから。
「……」
あまりのバツの悪さに閉口し、徒然と立ち尽くしていると、“支配人”は本分である未確認の事件事故に赴く為に、新幹線へ乗り込むようにワタシを手引きし始めた。地上を快適に移動する為に作られた新幹線の流線形は、空気力学的諸問題と向き合った結果であり、海面に鼻を出すイルカさながらになめらかだ。乗り込めば、統一感のある青い色味でもって椅子が整然と並んでいる。
「えーと」
“支配人”は携帯電話の画面と睨み合いながら、指定された座席をつぶさに確認しつつ、足を進ませる。ワタシはそんな背中を黙々と追い、ぶら下げた袋が虚しく左右に揺れる様を見つめていた。
「あった」
山荘を目指す上でワタシが“支配人”に進言することは一つもない。首輪を繋がれた犬畜生さながらにワタシは、“支配人”の手が届く範囲を常に留意し、直面する不足の事態へ抜け目なく対処できる位置を心掛けた。それ故に、道程は全て支配人に任せっきりで、飛び方を知らぬ雛のように後ろをついて歩く。もし仮に道に迷うようなことがあれば、景色から正しい道順を読み解こうと、血眼になって共々首を振り回すだろう。
公共交通機関を利用する際、ワタシは窓側の席に座りがちだ。頻繁にとある生理現象を催す“支配人”の下事情によるところが大きく起因しているものの、わざわざ理由を尋ねて気分を害されては困る。日本人ならではの空気を読むという行為に甘んじるところだ。
「本当にいいのかい?」
膝の上に置いた袋をまじまじと見つめながら、“支配人”は訊いてきた。素直に甘えてしまえたら、ワタシの人生はもっと違う軌跡を描いていただろう。しかし、自ら敷いてしまったレールの上を意固地に歩こうとする悪癖は、目の前にある分岐点をみすみす見逃し、のちになって悔恨へと変わる。
「えぇ、大丈夫です」
これを「不器用」と称して身の処し方を説明すれば、ワタシは自分の馬鹿さ加減にはほとほと呆れる。傍目に見ると可愛げがない滑稽な態度に映るだろうが、生来の性質なのだから仕方ない所だ。
「そうですか」
ワタシは謂わば、荷物の一つとして新幹線に乗り込んだ旅のお供だ。「はい」か「いいえ」の単純な受け答えに徹して、“支配人”の望む通りに手足を動かす。絵に描いたような受け身を演じるワタシの使命感とは、この目に映らない神通力を発揮する“支配人”の予見にある。
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