第178話 元老院では

 その建物はジーストリアの都心部からかなり離れたダンジョンの中にあった。

 しかし、その外観は美しく、整備された庭園と綺麗な水が流れる噴水がある。

 庭の植物はどうやって育っているのだろうか? 薄暗いダンジョンの中で光合成ができるのだろうか? そんな謎を秘めながらも、その不思議な建物は存在する。      

 堂舎の入り口には薔薇の紋章がデカデカと装飾されていた。


 ここは 元老院セナトゥスの本部。


  粘土使いクレイマンは会議室の机を叩いた。


「マジで強かったんだってば! 俺っちが力負けしたんだぞ!!  粘土使いクレイマンのこの俺っちがだ! こんなことは始めってだってばよ!」


  元老院セナトゥスのメンバーは、彼の苛立ちをなだめることなく静観していた。


「おいジミー! おまえ何者だ!? いい加減に吐きやがれ!!」


 ジミーとはS級ダンジョン栄華の入り口を警備していたのっぽの警備員である。

 彼は手錠をはめられて拘束されていた。


「で、ですからぁ! 私はなにも知らないんですってば!! 栄華の中に入ったことなんか一度だってないんですからぁ!」


「おまえの相方。小太りのさ。たしかトッチョといったか。あいつが証言してんだよな。おまえが栄華の入り口に片足を突っ込んだってよぉ」


「そんなこと、一度だってありませんよ! 私の仕事は入り口の警備なんだ。ダンジョンに入らないのはルールで決まっている。私はルールを守って仕事をしていますよ!」


「やれやれ。でもよぉ。野良猫を虐待してんのはマジだろ? タバコの吸い殻を投げつけたり、腹を蹴り上げたりよ。そういうのは動物虐待なんだぜ?」


「そ、そんなのは私の勝手ですよ! 仕事のルールとは違う。私は誓ってダンジョンの中には入っていませんからね!」


「どうだかな? 猫を虐めるやつは信用できねぇぜ」


 メンバーは各々に考察を述べる。


「ジミーに特別な力があるとは思えんな」

「家宅捜査は異常なし。出てきたのは麻薬とポルノDVDくらいさ」

「携帯の通話履歴も問題がない。飲み屋の女を口説こうと熱烈にメールを送っているくらいだ」

「あとはベロファー様の判断に委ねるしかないわね」


 みんなは上座を見つめた。

 そこは空席になっていて誰もいない。


  粘土使いクレイマンは何度も机を叩く。


「クソ! クソ! 俺っちが負けるなんてよ!! あり得ねぇっての!! 俺っちはSS級探索者 粘土使いクレイマンだぞ!! 一体あの野郎は何者なんだよ!!」


 すると、上座の方から声がする。

 いつの間にか、1人の少年が座っていたのだ。

 

「そう怒らないでよ 粘土使いクレイマン。君の怪力で机が壊れてしまうじゃないか」


 一同は背筋を伸ばす。

 この少年はベロファー。年は15、6歳くらいだろうか。しかし、みんなからは様付けで呼ばれて尊敬されているようだ。


「それでジミー……。もう一度確認しておくけどさ。君はダンジョンには入ってないんだね?」


「も、も、もちろんですよ。ベロファー様に嘘はつきません」


「そうか。じゃあ、猫を虐めていたのは本当かな?」


「そ、それは……。ト、トッチョがやれって言ったんですよ! 私は嫌がったんですけどね。あ、あいつが面白がって私にやらせたんです!」


 ベロファーは眉をピクリと動かした。


「……ジーストリアの固有種は1つだけでね。真っ黒い体色をしたロードハウナナフシというんだ。島の高地の草陰に隠れていてね。世界的に見ても貴重な生き物さ。一方、猫は外来種でね。島外から持って来た動物なんだ」


「は、ははは! だったら蹴ったっていいでしょう! 外来種なんて碌なもんじゃない。貴重なナナフシを食べてしまうかもしれませんよ! ここだけの話ね。蹴り殺したことだって何回かあるんだ。ククク」


「猫を生息させているのは、島内のネズミを駆除するためだ。ネズミは輸入物資に混ざっていくらでも入ってくるからね。ネズミが沸くのは市街地だけだ。だから、野良猫は人のいない高地にわざわざ行ったりしない。つまりはナナフシと接点がないんだよ。猫たちは我々のために効果的に働いてくれている……。君よりね」


 その瞬間。

 ベロファーの姿は消える。

 それは音もなく、風も立たない。

 誰も、彼が立ち上がった姿は見なかった。


 気がつけばジミーの横にいた。



「君には失望した」



 ベロファーは舌を出してニンマリと笑う。

 その舌の中央には薔薇のタトゥーが彫られていた。


「あれ……?」


 ジミーが違和感を感じた時にはもう遅い。

 彼の頭は胴体からするっと落ちる。


ゴトン……。


 床に転がったのは彼の首。その切り口からは鮮血が噴き出していた。

 

 首はどうやって切断されたのだろうか?

 ここにいる誰もが、彼の首が斬られた事実を見ていない。

 

 しかし、誰も慌てることはなかった。

 そればかりか、この常規を逸する光景に 粘土使いクレイマンは呆れるだけ。


「あーーあ。天罰だなぁ。猫は虐めるし、仲間を売るしじゃなぁ。救いようがねぇって。ベロファー様に失望されるのもわかるってもんだ」


 再び、上座にはベロファーが座っていた。

 移動した姿は誰も見ていない。それどころか、彼が座る仕草さえ見えていなかっただろう。


動物使いアニマルレディ。掃除してくれると助かるよ」


 すると、犬歯の鋭い女は喜んだ。


「わーーい。餌だぁ」


 女がパンパンと手を叩くと、床から大きなトカゲが現れた。


「げぇえ……。この前はワニだったのによ」


「コモド大トカゲだよ。ワニはさ、意外と骨を残すんだよね。その点、トカゲは骨まで全部食べてくれるからさ」


 コモド大トカゲは3匹現れていた。


「骨まで全部食べるのってすごく健康にいいらしいよ。カルシウムたっぷりみたいだしね」


 トカゲたちはジミーの遺体をムシャムシャと食べてしまった。


「あーーあぁ。結局、誰かがジミーに化けてたってことでしょう? 一体誰なんだっての?」


  粘土使いクレイマンの言葉に、ベロファーは舌を出して笑う。


「君の証言だけでも粗方の目星はついた」


「マジですか!? 流石はベロファー様だぜ! 一体、誰なんです?」


「おそらく、みんな知ってるさ」


 一同は彼の言葉に注目した。


「魔法壁を強化して、その上、拳で殴って飛ばすなんてできる人間は限られているさ」


「そうなんですよね。あんな芸当、普通はできませんよ」


「魔法の強化は性質が変わってしまうからね。性質を変えることなく、シンプルに魔法壁の強度だけを上げる。しかも、空中固定の魔法壁をフリー状態にして拳でぶっ飛放すんだからな」


「あり得ませんよね。普通は殴った拳が骨折しますよ。空中固定と状態フリーを維持するなんて普通は無理っす」


「こんな特別なことができるのは、世界でも彼だけしかいないさ」


「も、もしかて……」


 みんなはベロファーの言葉に目を見張る。


「鉄壁さん。彼しかいないよ」


「んなバカな! あいつは日本人ですよ。日本は入管規制の対象国だ。おいそれとジーストリアに来れるはずがない。この島の日本人は風間 潤志郎だけでしょう!?」


「ジミーそっくりに化けていたんだろ? だったら変装スキルを持っているのかもね。入国者の誰かに変装して入って来たんだろう」


「げぇ……。誰かに変装できるスキルっすか。聞いたことありませんよ。そんなスキル」


「我々と同じくユニークスキル持ちなんだろう。おそらく、SS級モンスターを倒した時に得られる 畏怖恩恵フォーミバルベネフィットで習得したんだ。トッチョが見たという奇行をとったジミーも、彼が変装していたんだろうな」


「……あれ? でもおかしくないっすか? 地上で魔力は使えないっすよ?」


「…… 密偵腕輪スパイバングルを持っているのかもしれないな」


「ええええええ! 我々以外にもあれを持ってるやつがいるんすか!? 厄介だってばよ!」


「推測だけどね。彼には以前に入会の勧誘を断られている。こんな形で遭遇するとはな」


  飛行使いジェットレディは眉を寄せた。


粘土使いクレイマンがやられた後に私が追ったんですけどね。消えたようにいなくなっていました。あれは変装スキルと関係があるのでしょうか?」


「……いや。関係ないだろう。おそらく別の力。転移魔法とかね」


「魔力の痕跡はありませんでしたよ? 感知スキルを使いましたから」


「じゃあ、アイテムだな。一瞬で違う場所に転移するアイテムを持っているんだ」


「そういえば、日本人の 翼山車よくだしは転移アイテムを使って魔の国に行ってましたね。あれと同じ物でしょうか?」


「うーーん。詳しくはわからないな。どちらにせよ未知のレアアイテムさ」


「や、厄介ですね」


「変装スキルに未知の転移アイテム。しかも、 密偵腕輪スパイバングルまで持っている。魔法壁を自在に操る強力な探索者。そんな存在に魔炎石の採掘を見られてしまったんだぞ。これがどれだけ危険なことかわかるだろう?」


 みんなは汗を垂らす。


「ジミーに変装していたのはなにかを探るためだ。敵対するなら 粘土使いクレイマンを殺している」


 ベロファーの顔が曇ると、みんなに緊張が走る。


「全力で調べあげるんだ。鉄壁さんが変装していそうな人物を見つけろ」


「「「 はい! 」」」


「……目的を知りたいな。彼が敵なのか味方なのか?」


 と、呟いたかと思うと、彼の姿は消えていた。

 気がつけば 粘土使いクレイマンの後ろに立つ。


「採掘場の持ち場は君の役目だったはずだぞ。 粘土使いクレイマン


「ひぃいいい!」


「僕を失望させないでくれよな」


「は、はいいい!」


 ベロファーが舌を出して笑うと、薔薇のタトゥーは舌の赤さに映えた。

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