第137話 総理と須木梨

「年間1億の政治献金。そして、1万票の選挙票を失いました! この失態。どう責任をとっていいかわかりません! 誠に、誠に申し訳ありませんでした!!」


 私は総理に向かって深々と頭を下げた。


 ああ、こんな失態は初めてだ。

 部下を守るとはいえ、政治家としてはあってはならないこと。

 大和内閣にとっては大ダメージ。

 横島社長に反旗を翻した私は政治家としては失格だ。


「更迭で責任が取れるのならば、今すぐにでも処分をお願いいたします。本当に申し訳ありませんでした!!」


須木梨すきなし……」


 と、大和総理はゆっくりと口を開く。


「本当に、本当に、申し訳あり──」


須木梨すきなし!」


 彼は私の謝罪を打ち消すように叫んだ。

 そして、ゆっくりと言う。


「顔を上げろ」


「は、はい……」


 うぐ……!


 す、凄まじい形相だ。


 まるで鬼神。


 総理は怒っていた。


 まるで周囲に炎でも纏っているかのように、憤怒の表情を見せる。


 ああ……。

 お、恐ろしい……。

 こんなにも怒りの表情を私に見せるなんて初めてのことだ。


 私は……。自分でいうのもなんだが、この人にとって優秀な右腕だった。

 環境大臣として、総理から信頼されていることに自負していた。

 それが私のアイデンティティだ。


 それが今……。

 崩壊した。


 この怒りの表情。

 間違いない。

 失望されたんだ。


 政治家としてあり得ない行動。

 誰でもわかる選択肢。


 優先するのは部下ではない。

 年間1億円の政治献金。1万票の選挙票。

 その確保。


 私は選択を誤ったのだ。


  須賀乃小路すがのこうじくんと横島社長を2人で合わせるべきだった。

 それが政治家としての最適解。


 後悔はしていない。

 と、いえば嘘になるだろうか。


 明らかに選択を間違ってしまった。

 その責任は重い。


 もう一度、謝ろう。


「総理! 誠に、誠に、申し訳──」


須木梨すきなし!!」


 と、またも、大声で私の言葉を遮った。


「顔を上げろ 須木梨すきなし


「は、はい……」


 やはり、憤怒の表情だ。

 まるで阿修羅。


 ……もしかして私は殺されるのか?


 それはあり得る話だ。

 それほどまでに間違った選択をしてしまったのだからな。


 総理は大きく息を吸ってから叫んだ。





「バカもんがぁあああああああああああああああああッ!!」





 その怒号は凄まじい風圧だった。

 娘が誕生部プレゼントに買ってくれたネクタイピンが外れるほどの勢い。



 こ、殺される……。


 いや、しかし、これは覚悟の上だ。


 私は間違った選択をしてしまったのだから。


 謝ろう。

 それが、今できる精一杯の誠意だ。


「総理、本当に申し訳あ──」


須木梨すきなし!! 謝罪はするな!!」


 ……え?


「し、しかし……」


「信頼する部下の選択で、大きな損失が出た。しかし、そんなことで責任を追及する私ではなぁあああい!!」


「い、1億円の政治献金と1万票を失ったのですよ!?」


「だからなんだというのだバカモンがぁあああああああ!! 私を見くびるんじゃなぁああああああああいッ!!」


「し、しかしぃい、損失額がぁ」


「額の問題ではない。信念の問題だ」


 し、


「信念……?」


「部下を救うために、おまえは正しいと思う選択を取った。それはおまえにとって、部下であるカーシャが大切な存在だったからだ。おまえは上司として大切な部下を守ったんだよ」


「…………」


「おまえは私の部下だ。部下を守った部下を、私が責められると思うのか?」


 そ、総理……。

 目頭が熱い。


「おまえは、政治家としては間違ったことをしたかもしれない。おまえを蔑む政治家もいるだろう。だが、私の部下としては満点だ。おまえは間違っていない。だから、もう謝らなくていい」


「あ……あああああ……」


 な、涙が止まらない。

 うううううう……。心の底から涙が溢れてきて止まらない。


 悔しさと申し訳なさと、それになにより……。


 ああ、嬉しい……。


 私は、こんなにも素晴らしい上司に仕えていたんだな。


 私の目に狂いはなかった。

 大和総理は本当にすばらしい総理大臣だ。


 この人の部下になれて良かった。

 本当に良かった。


 ああ、涙が止まらない。


 恥ずかしいくらいに流れてくる。


「総理。ありがとうございます。あなたのおかげで心が救われました。政治家人生25年。本当に清々しい気持ちです」


「うむ」


「しかし、責任を取らなければなりません。損失に対する責任は、政治家としては絶対です」


「うむ」


「私を更迭し、人脈のある政治家を後任につければ、献金の損失額は少しは回復するかもしれません」


「うむ」


「今ならば、 翼山車よくだしの任命責任とする名目で更迭も自然な流れでしょう。国民も納得してくれるはずです──」


 私は深々と頭を下げた。


「──よろしくお願いいたします」


 さぁ、あとは総理の決断に従おう。

 妻の美津江にも謝らなければならないな。

 更迭は政治家として恥ずべき処分だ。決して名誉ではない。


 私の愛する家族よ。

 情けない父ですまない。

 子供の指標になるような、立派な父でありたかったがな……。

 人生は難しいもんだ。


 私が部屋を出ようとすると、総理はそれを止めた。


「待て。 須木梨すきなし


「は?」


「……私の命令には従うか?」


「……当然です。どんな命令でも従う覚悟があります」


「では、パワハラをする」


「は、はい?」


 パ、パワハラ??


「これから言う言葉を復唱しろ」


「は、はい?」


「復唱しろ、と言ったんだぁああああ!!」


「は、はい!」


「うむ。ではよく聞け……」


 総理は私のことをまっすぐに見つめながらこういった。




「失った損失は、血反吐を吐いてでも取り戻します。……だ。さぁ、言え!!」




 な、なんだと?

 そ、それって……。


「さぁ言わんか!! これは完全なるパワハラだぞ!! 『失った損失は、血反吐を吐いてでも取り戻します』、だ。さぁ言え!!」


 あああああ…………。


 そんな……。


 涙は止まったと思ったのに……。


「うう……。ううううう………」


「言えぬのなら、そのまま立ち去れ。これは完全にパワハラなんだからな」


「うううううう……。い、言わせていただきます。うううう………。わ、私、こと 須木梨すきなし 精到は、自分のミスにより失った損失は、血反吐を吐いてでも取り戻します」


「うむ!! よく言った!!」


 総理は不敵に笑ってから、


「私も血反吐を吐いてやろう」


「え? そ、総理!?」


「私もおまえと一緒に吐くと言ったんだ!!」


「そ、そんな! いけません! これは私が出した損失なのです!!」


「バカモンが!! 部下の失態は上司の失態!! 私も吐かんで上司が務まるかぁああああああ!!」


「総理…………」


 ああ……。

 この世に生を受けて55年。

 こんなにも泣いたのは生まれて初めてだ。


 申し訳なくて、情けなくて、それよりもなによりも、嬉しい。


須木梨すきなし。真っ当な政治とは難しいなぁ」


「はい。本当にそうですね」


「清廉潔白に行こうとすると、弊害が大きい……」


「はい。本当に……」


 総理は満面の笑みを見せた。

 

「よぉおおし。それじゃあ、今から泊まりこみで仕事だぞ! 一睡もできんと思え!」


「はい!」


「まずは、横島建設グループの献金を受けていたピックアップからだ。この問題が波紋を広げるより先に、私たちで先手を打つんだ!」


「はい!!」


「もう腹が減ったわ! 夜食は牛松屋の特盛牛丼弁当にするか!」


「はい!! すぐにでも宅配を注文いたします!!」


「やるぞ!  須木梨すきなし!!」


「はい!! お供します!!」


 この夜。2人の漢が寝ずに仕事をしたのだった。








 数日後。


ーー片井ビルーー


「片井さま。大和総理についてお伝えしたいことがあります」


 と、くの一のみやびが片膝をつく。


「片井さまと総理は友人の仲。少々、お節介とも思ったのですが、忍びの組織としても情報が流れてくるのでございます」


「ああ、それはありがたいよ。それで、総理がどうかしたの?」


「実は──」


 みやびは一連の流れを伝えた。

 それはカーシャを救った 須木梨すきなしのこと。

 年間1億円の政治献金と1万票の選挙票の消失。


「ふぅん……。じゃあ、総理は苦しい状態だね」


「損失を取り戻そうと、毎日、寝ずの仕事が続いているようです」


「そうか……。報告ありがとう。今後も動きがあったら知らせてくれ」


「御意」


 片井は眉を寄せた。


「紗代子さん。横島建設グループってうちと仕事してたっけ?」


「はい。随分と契約がありますよ」


「じゃあ、全部、ピックアップしてリストをくれるかな」


「はい。承知しました」


 片井はニヤリと笑ったあと、誰にもわからないように呟く。


「俺の元部下に手を出そうとしたあげく、友人の総理を攻撃するとはいい度胸だな……」




────


次回、横島社長に不穏な影が!

お楽しみに!

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