第135話 須木梨の謝罪【前編】
私は立ち上がって、胸を張っていた。
その鼻からは荒々しい息を吐く。
まるで戦地に駆け出そうとしている興奮した馬のように、その筋肉の躍動たるや、全身に鳥肌が立っていた。
こんな状況は自分でも初めてで、頭が真っ白になりそうだ。
そして、あろうことか、『そんなことはできない!!』と宣言してしまった。
いやいや。
真っ白になっている場合ではない。
人生が終わるぞ。
私が積み上げてきた25年の政治家人生が終わってしまう。
冷静になれ私。
この姿勢は絶対に間違っている。
目の前にいる方は横島社長なのだ。
大会社、横島建設グループの社長。
与党に対する年間の政治献金はグループ総勢1億円。選挙の応援票は1万票である。
いわば、太客。
政治家ならば、誰しもが大切に扱わなければならない存在だ。
そんな人物に対して、鼻息を荒くして仁王立ちを見せている場合ではないのだ。
彼が
そうだ、私は間違っている。
ちっぽけな正義感は間違っているんだ。
そうだ。これは社長と彼女の問題なんだ。
私は2人がゆっくりと話せる場所を提供するだけ。
ここに違法性がどこにある?
な、ない!
違法性の『い』の字すらない。
そうだ!
神に誓えるぞ!
愛する家族にだって胸が張れる!
私は間違っていない!
断じて間違っていないんだ!
私はいつも正しい。
私は優秀な政治家だ。
大和総理が信頼する右腕なんだ。
絶対の、絶対、ぜーーーーーーーったいに間違った行動はしないんだ。
そうだ。
だから、落ち着いて座るんだ私。
「す、
「…………」
そうだ。
落ち着け私。
座るんだ私。
社長はタバコに火をつけた。
禁煙の部屋でプカプカと吸う。
「プハーー。あーー、さっきの言葉は聞かなかったことにしてやるよ。君は愛妻家の真面目人間だからなぁ。そういうのが苦手なんだろう。うんうん。プハーー。でもなぁ。君も政治家なら我慢せんといかん時があるだろうよ。なぁに、別に犯罪をしろと言ってるんじゃないんだぞ? 彼女と勉強会をするだけじゃないか。大人の話。それはわかるよなぁ? プハーー」
そうだ。
犯罪じゃないんだ。
で、でも……。あ、脚が曲がってくれない……。
「私は君に頼んでいるだけじゃないか。カーシャと私が、2人でゆっくりと話せる状況をセッティングしてくれと。頼んでいるだけだよ。それが君が私にできるテイクじゃないか」
「…………」
わ、わかっている。
頭では十分にわかっているんだ。
でも……。か、体がいうことを聞いてくれない。
「とにかく座りたまえよ。私が見上げて話すのはおかしいと思わんかね? 君の姿勢は敵対をする構えだろう。どう考えてもおかしいんだぞ?」
そ、そのとおりだ。
こんな失礼なこと。社長に対して絶対にやってはいけないんだ。
でも、やっぱり体が動かない。
き、聞かねば……。これだけは絶対に確認せねば……。
このことが確約できるまでは座ることができない。
「しゃ、社長……。た、単刀直入に言ってしまうのですが……。す、
「はぁああああああん? なんのことだねぇええええええ?? なにを言ってるのか、さぁーーーーっぱりわからんのだがぁ?」
遠回しに言うのは時間の無駄だ。
率直に私の意見を言おう。
「あなたが女性に対して睡眠薬を使うという噂は聞いております。
「おいおいおーーーーい。物騒なことをいうのはやめてくれたまえよぉおおお!! これは侮辱罪だぞぉお
そういって、吸い殻を缶コーヒーの中に入れた。
缶コーヒーの空き缶。
あれを見ると、
純粋で真面目で、その強い意志は政治家になったばかりの私と被る。
彼女は私が出題したトロッコ問題で、トロッコの突進から全ての人間を守った。
登場する6人の作業員。そして、出題者である、私の心。
トロッコ問題は誰かが犠牲になる問題だ。たとえ想像上でも、気分のよくない結末になる。
その結末を出せば、私の心が傷つく。そんな私の心さえも
彼女は全てを救ってくれた。22歳の実績もなにもない若い女の子が。精一杯、思考を張り巡らせて、6人と私を助けてくれたんだぞ!
トロッコの突進から全てを防ぎきったんだ!!
私だってやってやるさ。
部下が太客から攻撃を受けているんだ。
防いでやるさ。
守ってやる!!
それが私が正しいと思う信念だからだぁああああああ!!
私は正座をした。
「社長。大変に、大変に失礼な行動。申し訳ありませんでした! どうか、どうか! 私の部下である彼女だけは勘弁していただけないでしょうか?」
政治家になって25年。
こんな態度は初めて見せる。
こんな行動は仕事ができない無能がとる仕草だからだ。
これは償いの姿勢。
元来、仕事とは、こんなことがないように、思考を張り巡らせて務めることなのだ。
よって、こんな姿勢は愚の骨頂。
無能の仕草といっていい。
だが、今はこれが最適解なのだ。
この方法しかない。
私は額を畳に沈ませた。
深々と土下座する。
「社長。どうか、お許しください」
こんな情けない姿……。
家族はどう思うだろうか?
妻の美津江は、私に失望するだろうか?
結婚を控えている賢太は?
大学受験を控える里英は?
こんな父の姿をどう思うだろうか?
みんなすまない。
こんな情けない姿を見せて。
それでも、どうしてもやらざるを得ないんだ。
これが私の信念なんだ。
正しいと、信じる道だ。
土下座をすることが、信念だなんて……。本当に情けないと思うがな。
今は……。
これが正しい行動だ。
私は再び、頭を深々と下げた。
畳に私の額が減り込むほどに、ググゥっと下げた。
「どうか、どうかぁあああ!」
「あーーーー。
「大変。不躾で申し訳ありません。他の要望を提示していただけないでしょうか? 私にできることならば、どんなことでも尽力させていただきますので」
「ふむぅ……。政界でも堅物と有名な君が土下座をするとはな。前代未聞だねぇ」
人生で初めての土下座だ。
「くだらんな」
え?
な、なんだと?
「
「…………」
「私は横島建設グループの社長だよ? 年間、何百人もが私の前で土下座をするんだ。もう1万人以上は土下座されているだろうな。そんな私に土下座を見せて響くと思うかねぇ?」
……いや、それでも、これが今取れる最適解なんだ。
年間1億円の政治献金と、1万票の選挙票。そして、
私の土下座は間違っていない。
「
……否定はできない。
しかし、なんとしても全てを守らなければならないんだ。
私は信念をかけて、全てを守る!!
私だってやってやるさ!
25年の政治家人生をかけてな。
社長の攻撃を全て防ぎきってみせるさ!
年間1億円の政治献金と、1万票の選挙票。そして、自分の部下、
────
缶コーヒーさんの意志は伝わる。
果たして、
乞うご期待!
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