第130話 カーシャの合否
あの缶コーヒーのお守りを出してから、急に空気が変わった気がする。
闘志が湧き出して燃え盛っているんだ。その熱気に私の皮膚まで火傷しそうだよ。
「そんなに一生懸命になれるのは、お守りの力かい?」
彼女は少しだけ笑った。
「この缶コーヒーをくれた人物は、多くの人々を救っているんです。私なんか全然……。この人の足元にも及びませんよ。だから今、必死なんです。私は……。どうしても、トロッコの衝突から6人の作業員を守りたいんです」
やれやれ。
蓋を開ければ、全員を助けるために画策していたのか。
私が最も悪手だと思っていた選択だよ。
全員を助けるなんて答えは絶対に不合格なんだ。
「続きの情報を教えてください。B路線にいる作業員の交友関係はどうでしょうか? なにかトロッコを止める手がかりが欲しいんです」
なんて子だ……。
交友関係から上司、会社の関係者、設備点検業者にまで波及しそうな勢いだな。
本来はそんな時間なんてない問題なんだ。
トロッコが猛スピードで近づいているのだからな。
彼女は相関図を書きながら呟く。
「家族構成は6人が同じ……。じゃあ、会社の上司は? 修理技師は?」
フン!
くだらん。
実に底の浅い思考方法だ。
では私が終わらしてやろう。
君のその努力が無駄ということを思い知るがいいさ。
私はこの世界の神なのだ。ここは私が創った世界。
ルールは私が決めるのだよ。
追加ルールを提示してやる!
さぁ、絶望しろ!
「回答するのに制限時間を設ける!」
さぁ、絶望しろ!
自分の甘さを認識するがいい!!
出題者は私なのだからなぁああああああ!!
3分。……いや1分にするか。
ククク。
汗を滝のようにダラダラと流して、焦りまくるがいいさぁあああ!!
さぁ、1分と提示してやるぞぉおおおおおお!!
いわば、私とおまえが関係を保てる時間といっても過言ではないだろう。
なんの実績も持たない22歳の小娘が!
本気で探索局のトップに君臨できると思っているのか!?
人生はそんなに甘くないのだよぉおおッ!!
さぁ、死ね!
絶望しろ
おまえに与えられた時間。
その制限時間は残り1ぷ──。
「却下ですね」
……え?
き、聞き間違いか?
「な、なんだと?」
「制限時間を設けることは却下させていただきます」
「なにぃいいいいいいいいいいいッ!? 貴様ぁああ! 何様だぁぁあああッ!!」
「一般の回答者です」
「だったら、出題者に意見をしてるんじゃあぬぁあいッ!!」
「意見ではありません。回答者としての権利を主張したまでです」
け、け、
「権利だとぉ!?」
「そうです。家族想いで好青年ということまで情報があるのですよ? なにを基準に好青年なのですか? どんな交友関係で? 提示したのは出題者です。出題者はそれらを伝える義務があります。よって、制限時間を設けるのは、その条件を満たしてからになるのではないでしょうか」
「ぬぐぅうっ!!」
やられた!
彼女はこれを狙っていたのか!
質問が会社員や技術者から始めると、直ぐにでも、私が制限時間を儲けてしまう。それをされたら打つ手がない。だから、性格や家族構成から聞いていたんだ。
これは完全に私のミス!
時間制限を早めに設定するべきだったんだ。
彼女を困らせてやろうと『好青年』などと条件をつけてしまったのが裏目に出てしまった。
私は好青年と提示した、その理由を説明する責任が生まれているんだ!
彼女は正論を語っている!
ああ……。
これは……。
もう……。
「まずは会社の上司からいきましょうか。どんな人物か詳しく教えていただけますか?」
どう考えても無理だ。
「できるだけ詳しく。前日になにをしていたかも教えていただけると助かります」
彼女の質問攻撃から逃れる術がない。
……いや、まだだ。
よくよく考えれば、そんな状況は出題者の都合で答えればいいんだ。
なにせ、この世界を創ったのは私なんだからな。
適当に条件を提示して、時間制限を設けるように仕向ければいいんだ。
フン!
小娘のロジックに翻弄されるところだったよ。
愚か者め。
回答者の権利だと?
そんなモノは微々たるものにすぎんのだよ。
創造者が優位。この問題は出題者である私が圧倒的に有利にできているんだよ。
回答者の権利なんてもんはな。創造者の条件でいくらでも覆るのさ。
ククク。22歳の小娘が! 貴様の浅知恵で私が倒せるもんか。
私は政治家になって25年なんだぞ。
おまえが生まれる前から政治家として戦ってきているんだ。
経験や実績の積み上げ量が圧倒的に違うんだよ。
そんな私が、小娘ごときに負けるわけがないだろうがぁああッ!
この勝負は絶対に私が勝つ!
私の用意した答え以外の行動をとった時点でおまえの敗北なんだよ。
おまえは負けだぁあああああああ!!
「全員が同じ家族設定……。好青年……」
…………。
「22歳……。なにか、なにか手掛かりが欲しい……」
…………。
「どうやったら全員を助けられるんだろう?」
「…………」
……なんて真っ直ぐな目をしているんだ。
本当に……。どうしても、心の底から彼らをトロッコから守るつもりなんだな。
「大臣。質問の回答をお願いします。今は情報が欲しいです」
一点の曇りのない、澄んだ目。
正しいと信じる道に進む時の目だ。
人の命を助けようとする信念を感じる……。
……25年前を思い出すよ。
政界に入ったばかりの私と同じ目だ。
あの時の私は、キラキラして、純粋で、本当に国民のために命を捧げようと思っていたんだ。
「なにか、なにか手掛かりは……」
ああ、必死じゃないか……。
私も……。あの頃は必死だったなぁ。
国民のため、弱者のため。私は必死になって働いていたんだ。
……どうして、
どうして、こんなにも狡くなってしまったんだろうか?
敵対勢力を破壊し、勝つことに尽力した。それは権力を持つためだ。
利益を求め、実績を求め……。更に大きな権力を求めて……。
なにか大切なものを見失ったような気がする。
「大臣。作業員たちの上司の情報をください!」
ああ、なんだか今の自分を鏡で見ることができないな。
そこには、きっと悍ましい悪魔の姿が映っているから。
例え、想像上でも、22歳の若者の命をトロッコの衝突によって奪おうとしているんだ。そんな選択を、若い女の子にさせようとしているのだぞ?
これじゃあ、スーツを着た悪魔だよ。
一方、彼女は命を救うために必死だ。
A4サイズのメモ用紙にびっしりと選択肢が書かれている。どんな小さな情報でも逃すまいと、彼女は必死になって命を救おうとしているんだ。
なんだこの差は……。
虚しい……。
こんなにも意地悪な気持ちになっている自分が恥ずかしくなってきたよ。
それに、このまま私が彼女を言い負かしたら、過去の自分を否定することになるじゃないか。信念や努力が無駄だと突きつけているようなものだ。私は信念と努力でここまでやって来たんだからな。
私はな。信念と努力だけで環境大臣にまで上り詰めた男なのだよ。
とても……勝てそうにないな。
「……負けたよ」
「え? な、なにかの情報ですか?」
「違うよ。負けたと言ったんだ」
「負けた……? じゃあ、終わり……ですか?」
「ああ、もうおしまいだ」
「で、でも、私は回答を出していませんよ?」
「とても、君の質問地獄から抜け出せそうにないよ。この質問はおしまいさ」
「あ……。じゃあ、他の問題を出されますか?」
「は? どういう意味だ?」
「えーーと。黒田官兵衛の名言にこんなのがあるんですよ──」
なに!?
ま、まさか、軍師の言葉を引用するだと?
「上司の弱点を指摘するな」
ほぉ……。
ここで、その言葉を引用するか。
……この言葉の意味は、上司も人間であり、間違いは誰にでもあるもの、上司を指摘することは組織の崩壊に繋がる、回り回って部下の自分にも返ってくる。という趣旨だ。
探索局の上司は環境大臣の私だ。
つまり、私のミスを指摘することは組織の弱体化に繋がる。とでもいいたいのか?
ふっ……。まさかな。22歳の女が、そこまで考えているはずがない。
「この問題……。なかったことにした方がいいのではないでしょうか。おそらく、この形は正式な回答ではないと思います。これでは総理に報告する時に困るはずです。出題者が負けて終わる、なんて問題はおかしいですよ。互いの勝敗ではなくて……。もっと明確な回答が出せる問題の方が印象が宜しいかと」
なにぃ!?
自分のことより、私の評価を気にしてくれるだとぉ!?
出題者のミスを庇おうというのかぁああ!?
やはり、彼女は黒田官兵衛の言葉の真意を理解していたんだ!
「……いや。もういい。十分にわかったさ。合格だよ」
「え? ご、合格ですか?」
「ああ……」
まさか、こんな形で突破してくるとは夢にも思わなかったけどな。
「やったぁ! ありがとうございます!! じゃあ、6人の命は助かったんですね!!」
「おいおい、喜ぶところがそこか? 想像上の人物が助かって喜ぶやつがあるか」
「だって……。良かったですよ。たとえ想像上でも22歳の好青年の命を奪うなんて気分がよくないことですからね。大臣もそう思われますよね?」
やれやれ。
そんなことまで見透かされていたとはな。
私だって、たとえ想像上だってな、人の命を奪う選択なんて聞きたくなかったさ。つまり、私のためにも彼らを助けたと……。
「……完敗だな」
「ふふふ。じゃあ、こうしませんか? トロッコは脱線して6人は助かった」
「おいおい。試験はもう終わったんだぞ? 物語りは、まだ続くのか?」
「終わり方は重要ですよ。大臣が、この問題の世界を作ったんですからね。ハッピーエンドにしてくださいよ」
「う、うーーむ……」
じゃあ、そうだな……。
「トロッコは途中で脱線して6人は助かった。しかも、その瞬間は防犯カメラの映像に残っていてな。鉄道会社から6人には謝罪金が出たんだ。これはいわゆる口封じだな。鉄道会社にしてみれば、トロッコの動作不良を裁判されたら困るのが本当の理由のようだ。なんにせよ、6人の作業員は無傷で特別ボーナスが貰えたってわけさ。みんなは親孝行の家族想いだからな。その金を使って家族で温泉旅行に行って楽しい思い出を作ったらしいぞ。もちろん、彼らに怖い思いをさせてしまった上司には減給があったらしい……てなオチでどうだろうか?」
彼女は手を叩いて大喜び。
「うわぁああ! 最高のハッピーエンドです!! とっても素敵で心温まる物語ですね! それでいて最後はスカッとする感じ! 大臣は作家志望だったんですか? そういうのがスラスラと出てくるんですね! すごいです!」
やれやれ。
まるで天使みたいな笑顔を見せる子だな。
私を気分よくさせて……、一見するとおべっかを使っているようにも思えるがな……。
「ふふふ。良かったぁ……」
いや、きっとそうじゃない。
彼女は本当に心の優しい女性なんだ。
「缶コーヒーさん! やりましたよ
純粋で……正義感の強い公務員か。
まさか、そんな漫画のキャラクターみたいな存在が本当に実在するとはな。
これは理想の公務員じゃないか。
部下にするなら言うことなしだ。
大和総理が推しているだけのことはあったんだな。
このトロッコ問題。まさか、私の正解を押し除けて、正解を作ってしまうとはな。
6人全員を助け、出題者である私の心まで救ってくれた。
彼女の試験結果は百点どころじゃないよ。
「あははは! やった、やったーー!!」
……百万点だよ。
────
トロッコの突進は完全防御!
カーシャは無事に合格です!
ざまぁはまだ残っておりますよ。
そして、2章は終わりに向かっております。
最後までご期待ください。
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