第116話 カーシャと缶コーヒーさん

 会議室の上座に登壇する片井社長の顔は揺らいだ。

 まるで蜃気楼にでも包まれかのように、ぐにゃりと形が変貌する。


 彼が習得した 偽装カモフラという、新しいスキルの存在は知っている。

 それは彼の生配信でやっていたから。

 でも、まさか、地上でもそのスキルが使えるなんて……。


 それは先日入手したオメガツリーから 落とドロップしたアイテム。

  密偵腕輪スパイバングルの力だという。生配信では紹介していない貴重なアイテムだ。

 威力は千分の一になってしまうが、ダンジョンの外でも力が使えるらしい。


 その力を、こんなにも間近に……。始めて見る。


 社長の顔は、ポニーテールだった黒髪美少女から、短髪の男の成人男性へと変わる。


「う、嘘でしょ……?」


 あたしは瞬いた。

 何度も、何度も……。


 今日だって、持ってきてるんだ。


 あたしはカバンから袋に入った缶コーヒーの空き缶を取り出した。


 お守りとしてずっと持ってる。

 

 あれからいっ時も忘れたことはない。


 笑顔が素敵な、

 あたしの心の支えだった人……。


 缶コーヒーの探索者さん。


  翼山車よくだしに解雇されて、私は絶望していた。

 理不尽な社会の仕組みに絶望して、エルフの差別に絶望して、なにもかもが嫌になっていた。

 ハーフエルフのあたしは、半分は人だけれど、あの時は人間不信になりかけていたのかもしれない。


 そんなあたしを救ってくれたのが、缶コーヒーの探索者さん。

 あの寒空の公園のベンチで、あたしが泣いていたら、見ず知らずの探索者が缶コーヒーをくれた。

 

 なんの接点も、なんの損得もない。

 道ですれ違っても、あたしと挨拶すら交わしたことのない、赤の他人だった人。

 そんな人が……。あたしに缶コーヒーをくれた。

 それはあたしが辛そうな顔をしていたから。

 自分も同じような経験をしたからって、缶コーヒーをくれた。


 彼は名乗らずに去って行ったけど、私はそれに救われた。


 曇っていた未来が、まるで神の啓示を受けた先導者にでも出会ったかのように、明かりが射したのよ。


 この缶コーヒーがあったからこそ頑張れた。


 20社以上に書類選考で落とされて、もう本当に挫けそうだったけど頑張れた。


 それは、缶コーヒーさんがいてくれたから。


 あなたがあたしの心の支えだったのよ。


 西園寺社長に気に入ってもらえたのだって、缶コーヒーさんのおかげ。


 あなたのエピソードトークがあったから、あたしは面接で輝くことができた。


 ここまでこれたのは、全部あなたのおかげ……。


 どんな人なのか、心を躍らせていた。

 この世界に神様がいるのなら、きっと、また、どこかで再会させてくれると、ずっと思っていた。


 あの顔は……。

 本当によく覚えている。

 

 優しそうに笑う。

 とても素敵な人。


 透明感があって……。少し童顔な感じで……。


 ま、まさか……。


 片井社長が……。


 

「缶コーヒーの探索者だったなんて……」




〜〜片井視点〜〜


 ふぅ。


「改めて、明けましておめでとう。みんな、今年もよろしくね」


 やっぱり素顔に戻った方が、気楽でいいな。

 映像を転写させているだけだから、質感としては何も変わらないんだがな。

 いかんせん、女の姿ってのがな。


 それに、最近は声を変えれるようになったし、本当に女になったような錯覚にも陥ったりしてな。

 ははは。男の姿で女言葉を使わないかとヒヤヒヤしちゃうよ。


「今日、用意したお節料理はさ。 衣怜いれとジ・エルフィーのメンバーに作ってもらったんだ。彼女らの自信作だから一杯食べてください」


「ふぅむ。エルフのお節料理とは初めて食べるな。これは珍しいぞ」


「ははは。流石の総理でも初体験ですか」


「うむ。片井殿のおかげで貴重な体験ができるな。これは見事な黒豆だ。身崩れを起こさずに艶やかに炊き上げるのは、中々難しいのだ。では1つ……。む! 美味い!!」


 良かった気に入ってくれたみたいだ。

 この黒豆を作ったのは誰だろう?


「き、気に入ってもらえて良かったです……」


 ああ、ネミか。

 彼女は何かと器用な子だな。


「あ、あの 真王まおさま……」


 と、頭を下げる。


 ああ、なでなでか。


 総理に喜んでもらえたらから。


「よしよし」


「……は、初なでなで。あ、ありがとうございます」


 これを見たほかのメンバーたちは眉を寄せた。


 ネネは総理に詰め寄る。


「これネネが切ったんです!」


「う、うむ。カマボコか。綺麗に切れておるな」


「えへへ。食べてください」


「うむ。う、美味い」


「やったーー!  真王まおさまーー!!」


 あのなぁ……。

 カマボコの味は変わらんだろうが。


 しかし、目をキラキラさせているネネを無下にすることもできず。


 彼女の頭をなでなでしていると、他のメンバーたちは総理の前に集まっていた。


「総理! この里芋は私が」

「この人参は私が切りました」

「しいたけは私です!」

「あ、総理! エリンはね。これ作ってないけど食べて。お兄ちゃんになでなでして欲しいの」


 おいおい。

 目的が変わっとるがな。


「おまえたち、総理の腹を破壊する気か?」


「ははは! 片井殿は愛されておるなぁ」


「はぁ……。なんかすいません」


 仕方なく、みんなの頭をなでなでする。


 そんな時だった。


「ひっく……ひっく……」


 と、号泣する女の人がいる。

 

 たしか、西園寺社長の秘書だったな。


「どうかしたんですか? えーーと、す、 須賀乃小路すがのこうじさん……でしたけ?」


「うう……」


「なんで泣いているんですか?」


「うううう……」


 ええええええ!?

 俺なんかしたぁ?


 彼女は泣きながら缶コーヒーの空き缶を見せてきた。

 それは綺麗なジッパー付きの袋に入っていた。


「うううう……」


 ああ、なんかわらかんが……。


「これを捨てればいいんですね?」


 缶だから燃えない方に入れればいっか。

 

「違ーーーーーーーーーーーうぅうううッ!!」


「えええ!?」


 なんで!?


「ふふふ。カーシャは以前にどこかで片井さんと会っているそうなんだ」


「俺と?」


「随分と世話になったらしいぞ」


「世話ぁ?」


  須賀乃小路すがのこうじさんって、耳の形からするとエルフと日本人のハーフだよな。

 そんな人と会ってたかなぁ?


「ううう。ひっく……。やっと……。やっと会えたよぉおおお……」


 ……いや、悪いがまったく記憶にないなぁ。


「あ、あたしと……して。去って……行ったから……」


「え?」


 どういう意味だ?


「へぇ……。 真王まおくんと何かしたんだぁ……」


「あ、いや。 衣怜いれ。あのなぁ」


須賀乃小路すがのこうじさんって綺麗な人だね」


「おいおい。なにか誤解してるぞ」


「でも、泣かすようなことを、したんだよね?」


「いや。だから誤解だって」


「はーーーーはっはっはっ!! 鉄壁の探索者にも弱点はあったか!! あっぱれだ!  衣怜いれ殿! なんなら私も加勢しよう!」


「いや。総理ぃ。話を広げないでくださいよぉ」


「はーーーーはっはっはっ!! さぁ、どうやって防御するのか見物だぞ。ネネ! カマボコを持ってこい。酒が進みそうだ」

「はい、ただいまーー!」


 やれやれ。


 しばらくすると、彼女の涙は落ち着いた。

 事情を聞くと、彼女が解雇になった日に、俺が缶コーヒーをあげたらしい。


 そういえばそんなことをしたっけかな?


「あはは! やっぱりね。うふふ。 真王まおくんは底抜けに優しいもんね!」


「おまえ……。俺が浮気したと思ってたろ?」


「そ、そんなこと思うわけないでしょ! し、信じてるもん!」

 

 やれやれだな。


 みんなで楽しい時間を過ごす。


 やがて、話題は俺の支店構想へと移った。


 西園寺社長は腕を組んだ。


「ふぅむ。紗代子ほどに動けるリーダー的存在かぁ……」


「みんな真面目でいい社員なんですけどね。支店を任すとなると責任もあると思うんですよ。希望者を募ったら大勢が立候補してくれそうなんですけどね。どこまで負担をかけていいものやら」


「ふふふ。片井さんらしいな。会社のことより、個人の心配か」


「まぁ、俺の会社はみんなで楽しくが基本なんですよ。誰か1人に負担を背負わすような、キツイ職場は目指してないっていうか」


「なるほど……。新規で立ち上げる支店の運営を軽々と熟すリーダーになり得る存在か」


「ははは。そんな人、いませんよね」


「……いや。1人いるかもな」


「へぇ……」


 やっぱり西園寺社長はすごいな。

 そんな人材を抱えているなんて羨ましいや。


「片井さん。私は暗奏の件であなたに会社を救ってもらった。その報酬を未だに払っていないんだ」


「ああ。別にいいですよそんなの。いつもお世話になってるし」


「いやいや。親しき仲にも礼儀ありだ。流石に今回の借りは大きすぎる」


「借りだなんて、大袈裟な」


「あなたの力になりたい」


「え?」


「きっと、彼女も私と同じことを思っているさ」


「はい??」


 西園寺社長は 須賀乃小路すがのこうじさんに耳打ちをした。


「カーシャなら紗代子に匹敵するくらいの部下になれる」


「どういう意味です?」


「彼女を使ってやってくれ。出向ではなく。移籍という形でな」


「ええええ!? 優秀な秘書なんでしょ!?」


「ああ。西園寺不動産、始まって以来の天才秘書だ」


 そんなに?

 そんな人を……。


「いいんですか?」


「人、1人の移籍が暗奏の報酬だなんて大袈裟かもしれんがな。カーシャの実力ならば、その価値は十分にあるだろう」


 おおお……。

 西園寺社長がこれほどまでに言うんなら間違いないな。

 でも、


「急な話で彼女だって困るんじゃ?」


「あなたは命の恩人なんだぞ。彼女だって、恩返しがしたいのさ」


 そうか、なら良かった……って。


「ううううう………」


「めっちゃ泣いてますよ!!」


「嬉じぃいいいいいい」


 こうして、 須賀乃小路すがのこうじさんは俺の部下になった。

 彼女の希望で、カーシャと呼び捨てにすることなる。


 さぁ、俺の想像が現実になる。支店構想の始動だぞ。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る