第62話 総理と現場責任者

 これは、片井と一文字曹長が出会う前のこと。


 15時30分。


 首相官邸では、1人の男が険しい表情を見せていた。


「私は今……内閣総理大臣として、苦渋の決断を強いられている」


 総理と名乗ったこの男は仁王のように厳しい面構えだった。

 歴代総理でも初めての長髪。それは後ろでしっかりと束ねられてある。

 髪型はオールバック。額から見えるのは太い眉毛だった。

 ギリギリと奥歯を噛み締めて呟く。


「暗奏に連れ去られた2280人を犠牲にして、国家の平和を維持する。この選択は避けられぬのだ。どうかわかって欲しい」


 男はドン! と机を強打した。



「第105代目。内閣総理大臣、 大和やまと  先達せんだつの名において命ずる。国家指定災害級ダンジョン、暗奏を封鎖せよ!」



 彼の命令によって大勢の部下が動いた。

 それは防衛省を動かし、やがてはダンジョン自衛官、曹長の一文字 凛を動かすことになった。

 

 大和の隣りには 翼山車よくだし局長がいた。


「ブヒョヒョ。総理。この件はマスコミを規制するのが最優先でございますよ。2280人を犠牲にした選択をテレビで報道するのは絶対にまずい」


「テレビを規制したところで、ネットで広まるのがオチだろう」


「ネットで広まるのは憶測にすぎません。事実は政府の公式発表にあるのです。2280人を犠牲にして国の存続を選択したことが国民に知られては総理の支持率がガタ落ちですぞ」


 大和の支持率は歴代総理大臣史上1位の94%だった。

 

「ブヒョヒョ。テレビの普及率は国民の9割以上もあるのです。つまり1億人以上の国民がテレビの情報を必要としている。テレビ離れという現象があっても、まだまだテレビの威力は絶大なのですよ。ネットで広がるのは配信者の映像のみでしょう。たかだか100万か200万人レベルのチャンネル登録者。視聴者数は知れている。テレビの比ではありません。ブヒョヒョ。公式発表さえしなければ総理の支持率は下がらないのです」


「しかし、暗奏の存在は既にテレビで報道されているぞ」


「安心してくだされ。テレビで報道されているのは、政府が千人の探索自衛官を投入して、暗奏の対応に尽力されたことまでです。彼らが音信不通であること、安否が不明で救出が不可能なことまでは報道されておりません。よって、国民は、今も探索自衛官らの救出活動が続いていると思っておるのですよ。ブヒョヒョ」


「……ダンジョンの中にいる2280人は、この国のために命を落とす。謂わば英霊だ。テレビ報道を通じて、正確な情報を国民に周知して、その最後を見届ける義務があるのではなかろうか?」


「そんなもので国民は納得しませんよ。犠牲者が出るなんて知ったら暴動が起きるやもしれません」


「ううむ……」


「それに、暗奏が急成長をすればオーストラリアのように国が1つ滅ぶかもしれないのですよ。そんな情報を流せば地域一帯は大パニックです。避難の住民で道路は大渋滞を起こし、事故やトラブルが巻き起こるでしょう」


「ううむ。そうなれば更なる犠牲者が出るのか」


「かといって、暗奏を野放しにしてSS級認定を受ければ、日本は諸外国の介入を受けることになる。そうなれば事実上、北海道と沖縄は他国に侵略されてしまうでしょう。これらを比較すれば、暗奏の封鎖は絶対なのです。2280人の命が犠牲になるのは止む事無きこと」


「国民の理解は……。得られぬか?」


「無理です。ダンジョンの中にいる2280人は生きているかもしれない。それを生き埋めにするのですよ? 国民感情がそれを許しません」


 大和はドン! と机を叩いた。


「ぐぬぅううう!! どうしても、どうしてもその方法しかないのか!?」


「政府の公式発表は暗奏の封鎖後に解禁すればよろしい。もちろん、内容は付け加えますよ。ブヒョヒョ。ダンジョンの中に囚われた2280人はモンスターの餌になった。だから、全員既に死んでいた、とするのです。そうすればなにも問題はありません。疑念を抱く国民がいても時間が解決するでしょう」


「…………すまない。ああ……。皆の者、すまない!」




 一文字曹長は防御魔法が使える探索者を集めていた。

 暗奏を防御魔法によって封鎖するためである。

 その数は100人。その1人が片井  真王まお

 しかし──。



 時は現在に戻る。


 21時30分。


 暗奏ダンジョンの周辺には照明が当てたられていた。

 その灯りは、まるで日中のようにダンジョンの入り口を煌々と照らす。


 現場を指揮するのは1人の少女だった。見た目は小学5年生。なぜか軍服を着ており、そのサイズは大きいのだろう。ブカブカで、なんとも締まらない。


 名を桐江田 萌という。


 暗奏から少し離れた所に彼女の専用テントが設置されていた。

 一文字曹長がその中へと入る。


「凛ちゃん。お疲れ。防御魔法の使える探索者集まった?」


「はい。無事に」


「んじゃあ、早速、封鎖にかかろうか」


「お待ちください桐江田一尉。SS級認定をするWSOの監査官が到着するまでにはあと30時間ございます」


「ほえ? 今は一刻を争うんだよ? 総理の命令だしね」


「S級探索者の光永さんは24時間で最深部にまで到達しました。まだ、暗奏を駆除できる可能性はあります」


「ええっ!?」


「わずかですが、可能性はあるんです」


「で、でもさ。誰が入るの? 千人の探索自衛官だって音信不通なのにさ」


 一文字曹長は不敵に笑う。


「鉄壁さんとイレコさんです」


「ええええええええええ!? 福音ダンジョンの英雄じゃん!! ここに来てるの!?」


 一文字曹長は現場の統括責任者ではない。

 暗奏を囲む、数千人の自衛官を統括しているのは、この小学生のような女。桐江田一尉なのである。

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