第47話 ハーフエルフは解雇される
〜〜カーシャ視点〜〜
「おまえはクビだ。ブヒョ」
突然の解雇通告に視界がグニャリと湾曲した。
ここに来るまでにどれほどの勉強をしたのだろうか?
今までの努力が、全て水の泡になった瞬間である。
──
日本人とエルフのハーフだ。
黒髪で色白肌。
耳の形は母親譲りで気に入っている。地球人の耳よりは少しだけ尖っているだろうか。
エルフを雇用するのは、今の社会では常識だ。差別撤廃の活動家の影響もあって、エルフは優遇されている。
しかし、起用されるのは見た目を重視した職が強い。
モデル、俳優が多いだろうか。
大学を主席で卒業して、すぐにここへ来た。
環境省直属。ダンジョン探索局。
エリートしか入れないという特別な公務員だ。
しかし、その上司は酷かった。
体重は200キロ以上あるだろうか。
体は肉の塊で、例えるならば、太り過ぎたガマガエルのよう。
吐く息はまるで瘴気。
頬はブルドックのようにだらしなく垂れていて、その声は不気味。
「ブヒョヒョ」
と、笑う。
こんな人間が上司だなんて絶望しかない。
思わず、眼の周りに付いている眼輪筋がピクピクと痙攣してしまった。
しかし、我慢しよう。
国家のため、謂わば日本の為に尽力しようとこの職についたのだから。
母が生まれ育ったファンシーネイバーと、父が育った日本。
そして、なれた。
なれたというのに。
その初日に洗礼を受けてしまった。
局長の悍ましい通過儀礼を。
「ブヒョヒョ。カーシャくん。君を採用したのは他でもない。君の見た目が美しかったからだよ」
ああ、一番言って欲しくない言葉をサラリと言う。
しかし、ある程度の我慢は必要だ。
「肌は真雪のように白く。髪はエルフには珍しい黒髪だ。しかし、サラサラとして日の光を受けて輝いているではないか。プロポーションは言うにおよばず。ブヒョヒョヒョ。モデルや映画女優さながらの雰囲気だよ。君はワシの部下として相応しい逸材だ」
はぁ……。
見た目より能力を誉めて欲しい。
などと呑気に考えていると、局長は右足の靴下を脱いだ。
はい?
汚い素足をドカッと机の上に置く。
悪臭が部屋中に充満した。
「ふぅむ……。汗をかいた。ブヒョヒョ」
え?
右足だけ机に乗せているけど。
な、なんなのこの悪態?
「ブヒョブヒョ! さて、通過儀礼だ」
「は?」
「ブヒョヒョ。なぁに。最終試験とでも思えばいい」
そう言ってパチンと指を鳴らす。
すると、先輩の女性社員がやって来た。
その人は金髪の美しい容姿をしたエルフだった。
え?
な、なにが始まるの?
試験は合格したはずなのに。
「ブヒョヒョ。君はこの局に採用されたのは実力だと思っておるだろう?」
そりゃあね。
難しい筆記試験をクリアしたのだから当然でしょう。
「クックックッ……。違うんだなぁ、それが」
「?」
「採用権は全てワシが持っておるのだよブヒョヒョ」
「……しかし、
完璧。
「ブヒョヒョヒョーー!! その自信いいねぇええええ!! 最高だよぉ!!」
なんのことだかさっぱりわからない。
とにかく不気味だ。
今すぐにでもこの部屋を出たいわ。
「カーシャくん。ワシほどの権力者ともなるとな。錬金術師になれるのだよ」
そんな職業はおとぎ話だ。
なにかの比喩?
「グフフ。金なんかな。ワシのアイデア1つで腐るくらい湧いてくるのだよ」
そういうことか。
そういえば、環境省の噂話を耳にしたことがある。
環境省の錬金術師とは局長のことだったのか。
「金が有れば全てを買うことが可能だ。綺麗なエルフだってなぁ。グフフ。金の力で奴隷にできてしまう」
「…………」
最低だな。
見た目どおりの醜悪さだ。反吐が出そう。
「ブヒョヒョ! 良い顔をするねぇ。君を採用した甲斐があったというもんだよ。ブヒョヒョ」
「どういう意味なのですか?」
「筆記試験の結果などどうでも良いのだよ。あんなもんは建前にすぎん。君のテストが0点だろうと、君は採用されたのさ」
な、なにぃいいい!?
「君は写真審査と面接で合格したんだ。素晴らしい見た目を持ったこと。ご両親に感謝するんだな。ブヒョヒョ」
我慢よ。
我慢するしかないわ。
「まぁ、そんなわけだからなぁ。君の実力とか、仕事の出来高だとかはなぁ、ダニの糞ほどにも小さい事なのだよ」
ああ、我慢、我慢。
「ブヒョヒョヒョ。問題を出そうか。エリートの君ならばわかるはずだ。国民が私たちにもっとも期待することは何だかわかるかね?」
ふぅ。
やっとまともな会話ができそう。
「法令の厳守。愛国。そして、国民のために働く奉仕の心です」
完璧ね。
「不正解だ。1つもあっとらん」
え!?
「正解は誠意だよ。誠意無き者に未来は無いのだ」
「誠意ですか? 国民の為に誠意を見せろと?」
意味的には私の答えと同じような……。
「誰が国民に見せろと言った。誠意を見せるのはワシにだ」
え……?
「ブヒョヒョ。君がワシに誠意を見せれば、ワシが国民のために金を作るという仕組みさ。局に金が入ればダンジョンに関係する環境が整備される。国の環境が整えば国民は満足するだろう。そのためには金がいるのだよ。金を産むにはワシが動かなければならんのだ。ブヒョヒョ。だから、ワシに誠意を見せることが、国民の需要というわけさ」
め、めちゃくちゃな理屈だわ。
で、でも……。国費を増やすことが民意であるのは否定できない。
……もちろん、認められるのは正規のルートで増やしたお金だけだけどね。
「ワシはおまえに誠意を見せたぞ。例え、テストの点数がゼロ点でも採用すると言ったのだからなぁ。それほどまでに、おまえを買っているのだよ。カーシャ君」
いやいや。
私はそんな誠意を求めていない。
単純に実力を評価して欲しいだけだ。
「さぁて。おまえの誠意はどんなものかな?」
わ、私の誠意ですって?
局長は先輩の方に目をやった。
「ブヒョヒョヒョ。ディネルア。おまえの誠意を見せてみろ」
「はい」
彼女は無表情のまま、机の方に顔を近づける。
そこには局長の素足が乗っていた。
悪臭を放つ、局長の裸足。
その足を、先輩は舐めた。
ベロベロと、それはそれは丁寧に。
「ブヒョヒョヒョ! 昨晩は飲みすぎてな。2日ほど風呂に入っていないのだよ。ブヒョ! だからな。ブヒョヒョ。綺麗に舐めてくれるのは、ブヒョヒョ。誠意というものだろう」
ひぇえええええええええ……。
じ、地獄だ……。
先輩は局長の右足を綺麗にしゃぶって汚れを舐めとった。
「さて。右足は終わったなぁ。ブヒョヒョ。ディネルアの誠意で綺麗になった」
え? え?
局長は先輩に左足の靴下を抜がせた。
その足をドカッと机の上に置く。
「グフフフ。さぁ、今度はおまえが誠意を見せる番だぞ。カーシャ」
局長の足から黄色い煙りがムワァアっと立ち上った。
う! 臭い!!
「ムヒョヒョヒョーーーー! その顔だ! その顔がいいんだ! 私を蔑んだ顔ぉおおおお! さぁ、その顔のままワシに誠意を見せるんだカーシャァア!! グヒョヒョヒョーー!!」
最悪ね。
完全にパワハラだわ。
しかし、全面的に指摘して争うのはまずい。
仮にも
やんわりと断るべきだ。
でも、ハッキリと私の意思を伝えながら、
「できません」
「ほぉ。随分とハッキリ断るじゃないか」
「そんなことをするために、この局に入ったのではありませんから」
「ほぉ。そんなこととは……どんなことだ? ムヒョヒョヒョォ〜〜」
「ディネルア先輩がやったようなことです」
「ほぉ。ディネルアが……。おいディネルア。おまえはワシになにをしたのだ?」
彼女は無表情で答えた。
「特になにも。事務の一環です」
「ブヒョヒョヒョヒョォオオオオオオオオオ!! だそうだぞカーシャァアア!! 事務の一環だぞこれはぁあああああ!!」
汚い足を舐めるのが事務の一環ですって?
そんなことあり得ないわ。
ハッキリ言おう。
こんなことは許されない。
「できません。絶対に」
局長の笑いは消えた。
やった!
勝ったんだ!
正解はハッキリと断ること。
断る勇気!
そう確信した時、彼は冷たく言い放った。
「おまえはクビだ。ブヒョ」
え?
えええ?
「い、今、なんて……?」
「クビだと言ったんだ。興が削がれたわ」
まるで、おもちゃに飽きた子供のような顔。
「そ、そんな……。酷い」
「仕事ができん奴をこの局に置いておくほど、ワシは甘くはないのだよ。それに考えてもみたまえ。金を産むのはワシなのだ。そんなワシのやる気を削いでどうする。謂わば国家の損失だ。こんなことは国民の望むところではない。君を雇っているのは税金なのだ。国民の血税が君の給料になっているのだよ。そう思うと国民もやりきれんだろう。君みたいな無能な人間に税金が使われるなんてなぁ。だから、とっとと出ていってくれたまえよ」
「待っ……」
「おいおい。漏らしたんじゃないだろうな? グヒョヒョ。おいディネルア。解雇書類の手続きを取れ」
「承知しました」
あああああああああ……。
そ、そんなぁ…………。
これ、夢じゃないよね?
現実だよね?
ああああああああ……。
それから、どこをどう歩いたのかわからない。
今は12月。
曇り空は、今にも雪が降りそうだった。
私はコートを着ることすら忘れて、ただ項垂れる。
身体中を絶望が包み込むと、自然と涙が溢れていた。
「ううう……。ううう……」
今までの苦労と、現実の理不尽さが頭の中で渦を巻く。
こんな酷いことがあっていいのだろうか?
あんなに醜悪な人間が存在していいのだろうか?
怒りと悲しみ。そして、自分の無力さを痛感する。
また、涙が流れて来た。
「うううううううう……」
何時間、そこにいたのかはわからない。
いつしか涙も枯れて、ぼんやりと景色を眺めているだけになっていた。
コツン……。
と、なにかを置く音がする。
「良かったらどうぞ」
横には男が座っていた。
20代くらいの、穏やかな感じ。
その姿は探索者だった。
これからダンジョンに行くのか。それとも家に帰るのか。それはわからない。
大した傷もなく、汚れもない服装は、男の正体を不思議なモノにした。
「寒いでしょ?」
「あ……」
そういえば……。寒いかもしれない。
急に感覚が戻って来る。
コートを着て、缶コーヒーを持った。
暖かい……。
「い、いいんですか?」
「ブラックの方が良かった? それか紅茶とか? 良かったら買って来ましょうか?」
「あ、いえ! そ、そんな! 全然……。
「そうですか。良かった。ふふふ」
お、穏やかに笑う人だな。
ゴクゴク……。
ああ、甘くて暖かい。
うう……。沁みるぅうう。
「お、おいしいです」
「そう。良かった……。あ、じゃあ、俺はこれで……」
「ま、待ってください」
「なにか?」
だってそんな……。
「ど、どうして優しくしてくれるんですか?」
「……ははは。なんでかなぁ?」
彼は、それを確認するようにベンチに座った。
「……過去のことなんですけどね。俺は、探索者パーティーのメンバーだったんです。仲間を信頼してたんですけど……。追放されてしまったんですよ」
追放……。
まるで今の
「裏切られたとか、誰かの失敗だとか、そういうんじゃなくて……。メンバーと俺との価値観が合わなかったというか。互いの間には、分厚い壁が存在していたんですよ」
「壁ですか?」
「ええ。絶対に除けることのできない分厚い壁。お互いにわかりあえない存在だったんです。それで、1人になった俺は絶望しましてね」
あ、
「自殺なんかも頭を過っちゃったなぁ。……でも、時間が解決してくれるというか。なんとかなったというか」
……この人は辛い過去を乗り越えたんだな。
「
「あ、いや……。そんな……。あの時のことを思い出しちゃったんです。俺も1人で辛かったんで」
「…………」
「人間って単純でね。まぁ、俺が単純なだけかもしれませんが、牛松屋の牛皿をあてにしてね。瓶ビールを飲んだらハッピーになれましたよ」
「……」
庶民派だな。
「自然と優しい仲間も集まったりしてね。ははは。今は、探索業でなんとかやってます」
優しい仲間か。
この人なら集まりそう。
「あ、余計なことを喋っちゃいましたね。じゃあ、俺は行くんで」
「あ……。ま、待ってください……」
ああ、行っちゃったぁ……。
名前……。
せめて名前は聞きたかったのにな。
彼の背中が遠ざかる。
「誰なんだろう?」
ドキドキドキ……。
初めてだ。
こんなに胸が高鳴っているのは。
素敵な人だったな。
絶望していた
さっきまでは絶望して、体が冷え切っていたのに、今はこんなにも胸が熱い。
缶コーヒーを飲んだからかもしれないけれど……。ううん、あの人と出会えたからだ。
あんなに優しい人……。いるんだな。
気づけばまた泣いていた。
今度のは嬉し涙。
今日は……そうだな。
牛松屋で牛皿を頼んで、瓶ビールを飲もうか。それからしっかり寝て。
ふふふ。
明日からは再スタートだぞ。
ああ、元気が湧いてくる。
あの人のおかげだ。
名も知らない素敵な人。
ああ、もう一度会いたいな。
缶コーヒーの探索者さん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます