第32話 覆い尽くす嫌悪
結局大して眠れなかった翌日。
登校した私は、いつものように校庭の花壇に水をあげていた。
私の気持ちとは裏腹に空は快晴で、水を浴びた花達が輝いている。
今の私にとっては目が痛くなるような輝きから逸らすように、重い腰を上げて教室へと戻る。
「あっ、おはよう」
「おはよう、ございます」
教室に入ると、先にいた終夜さんがやってきた。
普通に接しようとしても、昨日のことが頭をよぎってぎこちなくなってしまう。
当たり前だが、終夜さんに変わったところはない。いつも通りの気怠そうな目を追いかけても、私から分かることなんて何一つ無い。
「ん?どうしたの?」
ついジッと見すぎたのか、さすがに終夜さんも首を傾げた。
しかしいい機会だ。聞きたいことをここでしっかりと聞けばいい。
「あ、あの………昨日って………」
感情に押されるように言葉が出てきた。でも急に頭が冷めて、今の自分が普通じゃないことを思い出す。
その先を言ってもいいかどうかが分からず、言葉が喉に引っかかる。
「昨日?」
「その、な、何してたのかな………って」
どうしても直接的に言うことが出来ず、曖昧な聞き方になってしまった。
しかし終夜さんは特に気にすることなく首を傾げる。
「えっとね。普通に委員会の仕事して………あぁ、その後ペアの先輩とちょっと買い物したなぁ」
「ペア、ですか」
ようやく一つ、疑問が解消された。
ペアとは、昨日の朝連絡していた人のことだろうか。
終夜さんは滅多に人と連絡先を交換しないと言っていたから、珍しいと覚えていた。
あの人が、昨日一緒にいた人なんですね。だから、あんなに慣れ親しんだ様子で………
「あっ、そうだ。それで一つ万代さんに………」
終夜さんが言いかけた時、SHRのチャイムが鳴った。同じタイミングで先生が入ってきて、みんなが席に着く。
「おっと、タイミング悪いなぁ。まぁいいや、また後で」
「は、はぁ………」
あまり長々と話しても迷惑になるため、終夜さんは自分の席へと戻っていった。
SHRが終わり一限目の授業の準備をしていると、終夜さんがこっちにやってきた。
「おーい、万代さん。さっきの話だけど………」
「あっ、すみません。移動教室なので、行かないと………」
「あぁ、そういやそうだっけね」
「それでは………」
私は教科書と筆記用具をまとめると、そそくさと教室を出た。
その後、結局休み時間などで話すことはなかった。
終夜さんは悪くない。話すタイミングはあったのに、私が何となく話しかけにくく感じてしまい避けてしまった。
嫌な態度を取ってしまっているのは自分でも分かってるし、話したいとは思ってる。
でも何て話したらいいか分からず、結局放課後まで会話することはなかった。
今話したら、おそらく自分の中に溜め込んだものを全てぶつけてしまう。そんなこと、ただの迷惑でしかない。
そう思ったら、つい会うことを避けてしまった。
いつもなら放課後に一緒に帰ることになる。だからそこでじっくりと話せばいい。
でもそんな日に限って、今回は私が委員会の集まりが入ってしまっていた。
そっちを放り出すわけにもいかず、しかも今日は金曜日。月曜日まで顔を合わせることは無くなってしまった。
自分のせいだと分かっていても、それが余計に私を不安にさせる。
「一体どうすれば………」
「………ちゃん、万代ちゃん!」
「ッ!」
自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきて、私はハッと我に返る。
声をかけてくれたのは、委員長の
私とは対照的に華やかで、近くで見れば化粧をしているのが分かる。
栗色に染めた長髪を揺らして、ぱっちりと開いた目でこちらを覗き込む。
「す、すみません!何でしょうか?」
「委員会終わったけど、帰らないの?」
そう言われて周りを見渡すと、他の人達は荷物をまとめて教室を出て行っていた。
考え事をしている間に委員会会議が終わっていたようだ。
定期報告をしていた辺りまでの記憶はあるが、それ以降の話がぼんやりとしか覚えていない。
「大丈夫?何か今日ずっとボーッとしてたみたいだけど」
「え、えぇ………少し、寝不足で………」
「へぇ、万代ちゃんでも寝不足なことってあるのね」
「申し訳ありません、ご迷惑を………」
「まぁそんな日もあるでしょ。気にしない気にしない」
落ち着かせるように肩を撫でると、先輩は朗らかに笑った。
人の和を大切にする先輩は、どんな時でもムードを明るくしてみんなをまとめてくれる。頼りになる方だ。
周囲の人と馴染むのが得意じゃない私は、そんな鳥座先輩のおかげで前向きに委員会に取り組めていた。
でも今日はそんな気分にもなれなくて。慰められてしまい、沈み気味だった気持ちが余計にへこむ。
やるべき事にも身が入っていないなんて、学生としていいわけがない。
気分が落ち込み俯いていた時、体育館の方から何やら歓声が聞こえてきた。
気になって覗いてみると、体育館の前に人集りができている。
「あれは………?」
「ん?あぁ、きっと
「鼎?」
私の視線の光景を見て、先輩が呆れながら肩をすくめた。
場所からしてバスケ部の様子を眺めているようだが、バスケ部員なのだろうか。
「みんなの王子様だよ。えっとね………ほら、あそこにいるよ」
先輩が指し示す先には、バスケ部のユニフォームに身を包んだ人が体育館の窓から見える。
「ッ⁉︎あの人は………!」
彼女の姿が目に入り、私は思わず目を見開いた。身体が震えて手に力が籠る。
間違いない。昨日終夜さんとデパートで一緒にいた人だ。
服こそ違うが、その爽やかで整った顔立ちは嫌でも頭に残っていた。
「なに、万代ちゃんも知ってるの?」
「えっ、いや………と、友達が、委員会でペアらしくて………」
「あら、図書委員なの?」
体育館の中ではバスケ部が練習しており、鼎先輩がボールをシュートするとまた黄色い歓声が上がった。
「人気、なんですね………」
「そりゃ、あれだけカッコよければねぇ。それにほら、誰に対してもすごく優しいから」
たしかに、彼女の容姿や身のこなしは凛々しく美しい。私には無い、強靭な強さが滲み出ているようだ。
それに見ている人達から手を振られると、にっこりと笑って振り返している。
あれが優しいことかどうかは置いておくとしても、悪い人じゃないのは何となく分かった。
分かったけど………
「もしかしたら君の友達も、鼎に惚れちゃってたりしてね」
「ッ………‼︎」
冗談めかして言った先輩の何気ない言葉が、ふわふわ漂って胸を抉った。
初めて気がついた。脆くなっているんだ、私が。
いつもと変わらない普通の言葉なのに、受け止めた私の心があまりにも脆い。
自分でも知らない内に、弱くなっていたんだ。
「そんなの………!」
「ん?どうかした?」
「………いえ、別に。それでは、お先に失礼します」
「えっ?あぁ………うん」
今はもう、学校にいたくない。
私はさっさと荷物をまとめると、戸惑っている鳥座先輩を置いて逃げるように教室を出た。
学校を出た私は、いつものように公園に寄った。花を眺めながら、花壇に水をあげる。
ゆっくりと日が傾き初めて、朱色の夕日が落ち込んだ私に当たり影を作る。
花を見ていれば少しは心が癒えると思ったけど、全然良くなりそうにない。
水やりを終えた私は、ふと休憩所に腰掛けた。
終夜さんといる時はたまに座って話したりしているけど、一人の時に座るのは初めてだ。
「………」
私はただ俯くだけで、ため息をつく元気も出ない。
さっきの先輩の言葉が頭の中で反芻され続けている。
終夜さんの中で、少しは特別な存在であると思ってた。だから今のままなら、ずっと一緒にいれると思ってた。
けど、別にそんなことはなくて。周りにいる友達と変わらない。
そんなの、当たり前のことなのに………
自分の中でいつの間にか出来ていた芯が、ポッキリと折れてしまったみたいだ。
先輩の言葉に深い意味は無くて、冗談言っただけなのでしょう。
でも………全然笑えない。
終夜さんの中で誰かが特別な存在になる。そう考えただけで、心臓が絞られる様な痛みが走る。
痛くて叫びたい。でも頭がそれを止めようとする。言葉に出来ない痛みは心に残って、無視出来なくなる。
心の底から湧き出てくるドロドロとした暗い感情。昨日から今まで、耐え難い嫌悪感が胸の中に渦巻いている。
「はぁ………なんで、こんな気持ちに………」
私は何をここまで嫌がっているのでしょうか。
鼎先輩なのか、それとも終夜さんなのか………
「いや、違いますね………」
私が本当に嫌なのは、自分自身だ。
わがままな独占欲、理不尽な怒り、目も当てられない嫉妬。そんな醜いものに支配されている自分が情けなくて、嫌で嫌で仕方がない。
それなのに湧き出た感情を押さえつけようとすればするほど、それはどんどん大きくなっていく。
無くさないと………このままでは、いつか抑えられなくなって溢れ出てしまう。
こんな感情………
「邪魔でしかない」
口から出た言葉が脳を覆い尽くし、私の意識は暗転した。
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