第27話 それと、もう一人の笑み
「何なのアイツら‼︎」
「ちょっと
「うっさい!」
万代からお金を巻き上げるつもりだった彼女達は、不機嫌なままお手洗いに入った。
華奈と呼ばれた金髪の女子に至っては、終夜に睨まれて怒りが収まらず、近くにあったゴミ箱を蹴飛ばした。
「あぁ〜!ムカつく‼︎」
「マジそれ〜。偉そうにいいヤツぶってさぁ、馬鹿じゃね?」
「おかげで昼ご飯買いそびれたし、サイアク〜!」
みんなして文句を並べながら、何人かは洗面台の前で化粧を直す。
「だったらさ、中庭の花壇めちゃくちゃにしてやらない?ほら、アイツいっつも水かけしてんじゃん」
「あぁ、そういや大切そうに世話してたもんね。ぶっ壊したらマジ泣きするんじゃね?」
「おぉ、めいあ〜ん!華奈、放課後にやっちゃおうよ!」
泣き崩れる万代の姿を想像して、華奈はニヤリと笑った。
「っしゃ!ついでに帰ってるとこ囲んで慰謝料払わせて、物理的に苦痛も味あわせてやろうよ!」
「えぇ〜、まだやんの?ww」
「当たり前っしょ。万代の顔面、ブサイクになるまでぶん殴ってやるっての。そしたらもう男寄りつかないっしょ!」
「うわ、ヒデ〜wwあの地味なヤツも?」
「なんか左腕折れてたし、ついでに右腕も折って勉強できなくしちゃわね?」
「キャハハハッ!それサイコー!あのスカした顔ぐちゃぐちゃにしてやろ〜!」
「だったら午後の授業サボらね?どうせダルいし〜」
その会話を最後に、友達が話す事はなかった。
「あぁ~、お腹減った。ねぇ、今から購買で何か買わない?」
化粧を直し終わった華菜が手を洗いながら提案するが、背後から返答がない。
「ん?お~い、無視すんなって………あれ?」
後ろを振り向くが、さっきまでいたはずの友達がいなくなっている。
「ねぇ、みんなどこ行ったの?」
ガタンッ!
辺りを見渡して探していると、隣から音がした。
驚いてふと隣を見た瞬間、彼女の背筋が凍りついた。
そこには、さっきまで一緒に話していた友達の一人が床に倒れていた。
目を開き痙攣しながら、頭と耳からは鮮血が流れている。
「ひぃッ⁉」
倒れた友達を見て、青ざめた彼女は悲鳴を上げた。恐怖で体の力抜けて後ずさる。
「ちょ、ちょっと、何して………」
ガタンッ!
今度は後ろの洗面台から音がした。
反射的に振り返ると、そこには別の友達が血塗れになって倒れていた。
顔は刃物で斬られたようにズタズタになっており、直したばかりの化粧を血が覆っている。
「きゃあぁぁッ⁉」
顔色が真紅に染まり、苦しみに悶えたままの表情の彼女は、どう見ても演技のようには見えない。
心音が耳の奥まで響くほど高鳴り、動悸が激しくなる。
「な、何なの………」
ジャーッ!ガタガタガタッ!
「きゃッ⁉︎」
今度はトイレの一番手前の個室の中から音がした。たしか水が詰まるからといって使用は禁止されているはずなのに。
しかし水の音と中で誰かが暴れているかのような音が響き、ピタッ止まる。
「ね、ねぇ、誰かいるの?」
反射的に手を伸ばすと、何かが寄りかかったように扉がいきなり開いた。
中から出てきたのは、首から上までが水浸しになり真っ青になった友達だ。
便器には水が溜まっており、そこに顔を押し込まれたのは容易に想像がついた。
「ッ⁉︎」
もう彼女は悲鳴をあげる余裕もなくなり、腰が抜けて崩れ落ちる。
「み、みんな、どうしたの………?だ、誰か!誰かいないの‼︎」
必死で声をあげるが、外に誰もいないのか返事はない。
ガタンッ!
そしてまた一人
ガタンッ!
また一人
ガタンッ!
また一人
さっきまで話していた友達が、次々と凄惨な姿で自分の目の前に倒れてくる。
その度に恐怖でパニックに陥ってしまう。
「い、いや………何なの、だ、誰なのよ!出てきなさいよ‼︎」
喉が痛むこともお構い無しに金切り声をあげると
「よぉ」
背後から声がした。心が凍てつくような低い声。
誰もいなかったはずなのに、まるで瞬間移動でもしてきたかのように、突然人の気配が背中を襲う。
「ひッ⁉」
背筋が凍りつき、咄嗟に振り向いた。
そこにいたのは、さっきまで痛めつけていたクラスメイトだった。
しかし鋭い光を宿した瞳に、さっきまでの天使のようなお嬢様の面影はない。
「よ、万代………アンタがこんなことを………?」
「だったら何だ?」
誰と話すのにも敬語だったはずの彼女の変化に、華奈は息を呑む。
怒りと呼ぶには生優しすぎるほどの殺気が、自分の身体からジワジワと力を奪っていく。
それでも、いじめた相手に怯むことは彼女のプライドが許さなかった。恐怖を誤魔化すように喚き散らす。
「こ、こんなことして、タダで済むと思ってンの!全部先生にチクって、ネットにバラまいてやる‼︎アンタも、あの地味女も終わりよ‼︎いつもいつもアタシより目立ちやがって、アンタは
「………あぁ?」
低い声と風を切る音が同時に耳に届いた瞬間、華奈は肉薄していた彼女に首を掴まれた。
「がはッ⁉︎」
一瞬で壁に叩きつけられて、頭を強く打ちつけた。
自分とあまり変わらないくらい細い腕。でもその力は異常なまでに強い。必死にもがくも、振り払う事はできない。
あっという間に呼吸が出来なくなり、息苦しさが華菜の身体を蝕む。
「どうした?先生に言いつけるんだろ?声が出てねぇじゃねぇか」
「がッ!あ゛ぁぁッ‼︎………ぐっ………!」
「お人好しの薬になると思って見逃してたが………まぁ、いつも通りか」
「な、何言って、がぁッ⁉︎」
首を絞められたまま、華奈は長い髪を掴まれた。無理矢理顔を上げさせられて、殺気の篭った瞳に射抜かれる。
「いいか?
その目はもはや人間の目ではなかった。
酸欠で頭が回らず、刻みつけられる恐怖だけが頭の中に響いて埋め尽くす。
怒りもプライドも全て打ち砕かれて、今にも消えそうになっている自分の命を守ることに必死だった。
「ヒューッ、ヒューッ!………がぁッ!もう、許して………謝る、から………ひッ、フーッ!………ごめん、なさい………」
「へぇ………やりゃ出来るじゃねぇか」
死に物狂いで謝る華奈を嗤うと、首を掴んでいた手を離した。
「かはッ………はぁっ………あ、ありがと………」
ドンッ!
許されたと安堵したのも束の間。掴まれたままの髪が引っ張られて、洗面台に顔面を叩きつけられた。
「がぁッ⁉︎」
一撃で自分の顔の奥から嫌な音がした。
脳が揺れるほどの痛みの後に、赤黒い鼻血がポタポタと流れ出す。
「な、何で………?」
「悪いなぁ。お前にいっぱいさせられたから………謝罪の言葉は聞き飽きたんだよ」
自分を見下ろす冷たい目が、心を絶望で覆い尽くす。
「そ、そんな、ぐふッ‼︎」
腹を蹴られて、華奈は膝をついた。上から押さえつけられて逃げることも出来ない。
「さて………お前はどうしてやろうか?」
「がはッ‼︎」
「コイツみたいになりたいか?」
髪を引っ張られて、血を流す友達の姿を見せつけられた。
溢れ出る血溜まりが自分にも流れてきて、じっとりと制服を濡らす。
「それともコイツか?」
次に見させられたのはズタズタに斬り刻まれた別の友達の顔。
血塗れになった友達の力尽きた表情に、思わず胃の中身が込み上げてくる。
「こっちもいいよなぁ?」
溺れた友達の顔には、悶えた様が貼り付いている。
充血して見開かれた目がこちらを向き、彼女の苦しみが伝播するようにさらに息苦しさが増す。
「い、いやぁ………お、お願い、やめて………!」
「ヒッ、ヒャハハハハッ!いい顔だ、お前にお似合いだなぁ………!」
そこで華奈はようやく気がついた。
自分が痛めつけていた者は、人間じゃないと。
「な、何なの………アン、タ………」
もう首は絞められてないはずなのに、呼吸が上手くできない。
肺の中に残った僅かな息で、震える声を絞り出した。
「俺か?俺は………」
髪を引っ張り顔を近づけると、口の端を吊り上げて嗤う。
「
そして悪魔の笑みが、全てを奪った。
「………さん。おーい、万代さん?」
「ん………?」
聞き馴染みのある声に呼ばれて、私は目を覚ました。そこにいたのは………
「終夜、さん?」
「おはよう。ほら、お昼ご飯買ってきたよ」
終夜さんは手に持っていたビニール袋を見せてくれた。ふわふわしていた頭の中がゆっくりと整理されていく。
「ごめんね、購買も結構混んでてさ。時間かかっちゃった」
そう言って買ってきたパンを私の机に出した。
そうだ………私、お昼ご飯を食べようとして、それでまた揉め事に巻き込まれて、終夜さんが助けてくれて、それで………
色々思い出した私は自分の服装を確認した。
さっきまで濡れていた制服ではなく、私がロッカーの中にしまっているジャージになっている。
私、いつ着替えて………いや、さっき着替えた………のでしょうか?
首を捻って思い出そうとすると、ロッカーを開けた記憶が片隅でぼんやりある………ような気がする。
いけませんね。寝ぼけているせいか、記憶が曖昧です。五限六限もあるんですから、しっかりしないと。
「それにしても珍しいね。万代さんが学校で寝るなんて」
「そう、ですね」
「あぁ………やっぱり、さっきのことで疲れてる?」
さっきのことを気にかけてくれているのか、終夜さんは不安そうに私の顔を覗き込む。
「い、いえ。少し休んだらすっきりしましたから、もう大丈夫です」
「そう?ならいいけど。さて、お昼休みそろそろ終わるし、さっさと食べようか。パンこれでいい?」
「ありがとうございます。あっ、お金払いますよ。いくらでした?」
「いいよいいよ。小銭ちょうど使い切れてよかったから、ね?」
「そう、ですか」
近くの席を引っ張ってくると、終夜さんは私の向かいに座る。
「「いただきます」」
手を合わせるとパンの袋を開ける。
「万代さんって普段こういうの食べるの?」
「そういえば、全然食べないですね。普段の食事をしていると、あまり食べる機会がないので」
「おぉ。お昼によく食べる私としては、中々に効くセリフだなぁ」
私はパンを食べつつ、チラッと終夜さんを見る。
いつもと変わらない気怠そうな目元、動かすのが面倒と言わんばかりに最小限に動く唇、やや猫背気味の姿勢。
私のよく知る終夜さんだ。けど………
『私の友達は、アンタ達のつまらない自己愛を満たす道具じゃない』
そう言った終夜さんは、いつもとは何か違う雰囲気がした。
相手の心情を射抜くような鋭い目つき、重く突き刺さる言葉、そして心の奥底から湧き出ているかのような冷気。
守られた私ですらも息が詰まった。
一体何が、終夜さんをあそこまで変えたのでしょうか?
私はまだ終夜さんのことを何も知らない。だから予想もつかない。
手を伸ばされる事はあっても、私は手を伸ばせない。
当たり前のことなのに………そう考えただけで、心の奥で何かが痞える。
「あ、あの、終夜さん」
「ん?どうしたの?」
「その………パン、美味しいです」
「おっ、それはよかった」
終夜さんはモソモソと動かしていた口元を少しだけ緩めた。
こうして言葉を積み重ねれば………いつか、私の手はあなたへ届くのでしょうか。
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