第26話 二人の怒り
その数日後。
四限目の授業も終わり、お昼休みの時間になった。
時々糸魚がお弁当を作ってくれたりはするが、今日はないから学食か購買だ。
学校生活ってある程度刺激がなくなってくると、楽しみがお昼休みくらいしかないんだよねぇ。って、これじゃ監獄だ。
そんなことを考えながら教科書をしまっていると、後ろから肩を叩かれた。
「あの、終夜さん」
「あぁ、万代さん」
振り向かなくても誰かは分かった。このタイミングで話しかけてくるのは万代さんくらいだし。
「これから学食に行くつもりですが、終夜さんも一緒にどうですか?」
「私もちょうど学食に行こうとしてたとこだよ」
「では行きましょう」
というわけで、私達は一緒に学食へと向かうことにした。
前までは帰り以外で一緒にいることなんてなかったけど、最近ではこうやって一緒にご飯を食べることも少なくない。
当然同じことを考えてる人は多いので、人混みを避けながら校舎を出る。
屋外に出たことで直接降り注ぐ日光に目を細める。
「さぁて、今日は何食べようかなぁ」
「そう言えば、今日から期間限定メニューがあるって書いてありましたよ」
「いいねぇ、それにしようかな」
もっとも財布の中の残金と相談してだが。月末に近くなり、あんまり贅沢も出来ない。
そういえば今いくらあったっけ………って、あれ?
「終夜さん、どうかしましたか?」
「しまった、財布教室に置いてきちゃったかも」
ポケットの中を漁るが、財布が見当たらない。
いつもならポケットの中に入れて学食に行ってるはずなんだけど………って、そういえば万代さんに声をかけてそのまま出たから、財布はスクールバッグの中だ。
「ごめん。教室戻るから、先に席取っといてくれない?」
「分かりました」
私は人混みを逆走しつつ、早足で教室に戻った。
小連翹に半殺しにされてから、未だに運動すると若干身体が軋むような感覚がある。
だからあまり走りたくないんだが、万代さんを待たせるわけにもいかないし。
やや身体を庇いつつ教室に着くと、机の横にかけてあるスクールバッグを開ける。
「あったあった」
財布をポケットにしまうと、また学食へと向かった。
席はほとんど取られてしまっているが、万代さんは早めに入ったし取れてるはずだ。
さてと、どこにいるかな………
「って、あれ?いない?」
辺りを見渡しても万代さんの姿が見えない。人の少ない奥の席にも、料理を待つ列にも、扉の周りにもいない。
基本的に結構目立つので、いるならすぐに見つかるんだけどなぁ。
私達が分かれた所からここまで数メートルだし、流石に入れ違いはないはずだが………どこ行った?
こうなったら、こっそりスマホで連絡を………って、真面目な万代さんが校内でスマホ持ち歩いてるわけないか。校則違反だし。
仕方ない、普通に探すか。
と言っても、あの数分で急用なんてできないだろうし、当てもなく歩いてるわけないし、どこかに行く理由もないだろう。
大体、頼み事されたのに放り出すなんて彼女らしくない。何かあったのかな………
「………まさか」
嫌な予感がして、私は慌てて駆け出した。
「ホラ、早く金出せっての!ちゃんとこの前の分も払えよ!」
「ま、待ってください。そんないきなり、きゃっ!」
「ウザいんだよ、黙って言うこと聞けっての!」
学食から少し離れた渡り廊下の物陰に彼女達はいた。
突き飛ばされて地面に膝をついている万代さんを、数人で取り囲んでいる。
「こんなことしても、何の意味もありません。ですからどうか、もうやめてください………」
「うっさい!時間無いんだから、さっさとしろよ!」
取り巻きの内の体つきのしっかりした女子が、拳を振り上げた。
もう止まってる余裕はない。
私は咄嗟に駆け寄ると、割り込んで万代さんの手を掴んで手元に引き寄せる。
「ッ⁉︎よ、終夜さん………」
いきなり現れた私に、万代さんは目を見開いて驚いた。それと同時に、今にも泣き出しそうな程弱々しい声を漏らす。
「ッ⁉︎な、何アンタ?」
まさか人が割り込んでくるとは思っていなかったようで、戸惑っている内に万代さんをすぐに立たせて一歩後ろに引く。
「大丈夫?」
「は、はい………」
「これからは校則違反とはいえ、スマホは持ち歩いてよね。ほら、行こう」
私は万代さんの手を掴むと、早歩きで出て行こうとする。
正直言いたいことは山のようにあるが、これ以上この場にいたくない。吐き気がする。
しかし出て行こうとする前に、万代さんに詰め寄っていた女子達が私の前に立ち塞がった。
「何勝手に連れて行こうとしてるわけ?」
「まだソイツから貰うもの貰ってないんだけど」
向こうの方がやや背が高いこともあり、見下ろされるような形で睨まれた。
「そんなの私の知ったことではないので」
スパッと話を打ち切って戻ろうとしたが、グループの中から派手な金髪の女子が、私の肩を押して戻す。
「おいチビ。いい加減にしろよ」
「………万代さんが何かしたんですか?」
「コイツがアタシの彼氏を誘惑したんだよ。おかげでアタシがフラれたみたいになったし、その慰謝料請求してるだけだっつーの。関係ないヤツは引っ込んでて」
すぐに私も敵とみなしたみたいだ。数で脅せば怖がると思っているのか、私達を取り囲んで睨んでくる。
「………理由がなんであれ、言い寄ったのはあなたの彼氏の意思でしょう?万代さんに悪意は無い」
「アクイとか知らないし。人の彼氏奪おうとした時点で、悪いのはコイツなんだよ!」
「………それがこんな事する理由だと?」
「当たり前でしょ!アイツはアタシの彼氏なんだから、そんな顔がいいだけのヤツに目移りするとかあり得ないんだから!」
指を指されて、私の後ろで万代さんが申し訳なさそうに縮こまる。そんな姿を見ても、彼女達は罵倒をやめない。
はぁ………そういうことか………
「………」
彼女の言葉で、心の内に蟠っていたものがゆっくりと溶け出した。それはあっという間に私の頭の中を満たしてしまう。
アァ………イヤダナァ
「オラ退けよ。これ以上アタシらに迷惑かけるなら、アンタからも払うもの払わせるよ?」
さっきよりも強めに肩を押されて、私は後ろに下がった。
本人達はこれで脅してるつもりなのか。こんな感情が………
「はぁ………馬鹿らしい」
「はっ?」
思わずため息が出てしまった。
何だろう、この脳に響かない声は。これなら小連翹の殺意の方が何億倍と怖かった。
言葉とか暴力とは関係なく、脳に響く空気が違う。
丸くて、ドロドロした、所構わず周りに纏わりつくような空気。
こんな空気………
流れ込んでくる悪寒に、私の心はゆっくりと冷えていく。
「馬鹿らしいって言ったの。何も理解してないクセに、ギャンギャン喚いてみっともない」
「アンタ、何言って………」
「自分が愛されてないってだけ。そんなことも分からない?」
自分の言葉で、周りが凍てついたのが肌で分かる。さっきまで私達を嗤っていた彼女達の顔が引き攣った。
「あなたにはもう愛するだけの価値がない。だから他の人に目移りしたんじゃないの?」
「そ、そんなこと………」
「有り得ない?ただ認めたく無いだけでしょ。隣に人がいなきゃ自分を肯定出来ないから。浮気認めたら、自分には何の魅力も無いって言ってるようなものだから」
これはよくない。
自分の中で壁になってたものが、どんどん腐って朽ちていく。そこから真っ黒な何かが溢れ出てくる。
その何かは言葉になって、次の言葉を引っ張りながら流れ出る。
こうして次から次へとドロドロと止まることなく流れて、私の周りを埋め尽くす。
ちゃんと話すのはこれが初めてだし、この際話し合いでイジメも止めれたらと思っていたが………期待するだけ無駄だったか。
「自分は何も持ってない。だから自分を少しでも認めてくれる人ぶら下げて、みんなして依存し合って。本当は周りから愛されてるかなんて、どうでもいいんでしょ。ただ自分の価値を認めたいだけ」
「ち、違う。そんなんじゃ………」
「じゃあ何でこんなイジメするの?自分達のぶら下げてる人が離れたら、自分達を肯定出来ないからでしょ。自分よりも愛される人がいたら、自分の価値を認められないからじゃないの?」
自分の周りの空気がどんどん薄れていくみたいだ。景色が乾いて、凍って、色褪せていく。
「だからみんなして愛されてる人を意味なく痛めつけて、蹴落として、上に立ったような気になって、今の自分達の方がすごいって、魅力があるって認めたい。違う?」
さっきまで威勢よく喚いていた彼女達は、すっかり青ざめて黙ってしまった。
悔しそうに唇を噛み締めて、私が言葉を重ねるたびに、身体をワナワナと震わせている。
「自分の惨めさ晒すのも、人と依存し合って慰めてもらうのも、好きにすればいいけどさ。一つだけ………」
私は金髪の女子へと一歩前に出ると、下からゆっくりと顔を近づける。
鼻先がぶつかる手前まで肉薄すると、揺らいでいる彼女の瞳をジッと睨んだ。
「私の友達は、アンタ達のつまらない自己愛を満たす道具じゃない」
「ひぃッ‼︎」
腹の底に溜まったものを全てぶつけると、彼女達は怯えたように小さな悲鳴をあげた。
息を詰まらせたように呼吸が浅くなり、目の光は失われている。
少しやりすぎたかな………まぁいいや。
「もういい?」
これ以上は関わるのも面倒だ。
声をかけると、彼女達はハッと我に帰る。そして一瞬にして顔を真っ赤にして逆上した。
「………う、うるさい‼︎」
彼女は叫ぶと、私を思いっきり突き飛ばした。
当然貧弱な私がどうこう出来るわけもなく、コンクリートの地面に背中を打ちつけた。
「くっ!」
「終夜さん!」
片腕が使えないため受け身が取れず、鈍い痛みに身体が痺れる。
しかしそれだけでは怒りが収まらないようだ。
「偉そうに、何様のつもりよ‼︎」
「舐めたこと言ってんな!」
「さっさとどっか行け‼︎」
口々に叫ぶと、取り巻きの内の一人が持っていたペットボトルのキャップを外して、私に向かって投げた。
中身の液体が飛び散って、目の前に迫る。
その瞬間、万代さんが私達の間に割って入ってきた。ペットボトルの中身は彼女にかかり、制服や髪を濡らす。
「ッ⁉︎よ、万代さん………!」
ペットボトルは私を守ってくれた万代さんにぶつかり、地面に転がり落ちる。
髪の先から雫を垂らしながらも、万代さんは一歩も動かなかった。代わりに強く拳を握る。
そんな姿を見下して、女子達はクスクス笑う。
「馬鹿じゃねコイツ。何やってんの?」
「………ください」
しかし、万代さんは罵倒の言葉に反応することなく呟く。
「あぁ?何言って………」
その瞬間、顔を上げた万代さんが目を吊り上げて大声を上げた。
「謝ってください!今すぐ、終夜さんに謝ってください‼︎」
さっきまで丁寧な口調で落ち着かせようとしていた万代さんが、彼女達に向かって吠える。
学校ではいつも大人しくて、怒鳴るなんてまずしない万代さんが、誰かに声を荒げるなんて初めて見た。
「はぁ?何マジになってんの?」
「私はあなた方を傷つけたかもしれない、だから何をされようと構いません。しかし………終夜さんを傷つけるのなら、許しません‼︎」
さっきまで自分を痛めつけていた人達に囲まれても、一歩も引かずに叫んだ。
いつもと変わらない、真っ直ぐに澄んだ瞳。でもその中にいつもは見えない力強さが光っている。
「万代さん………」
痛いくらいに真っ直ぐな視線は、強い熱となって私の目を眩ませた。
「うっ………」
それほどまでの万代さんの気迫に、さっきまで強気だった彼女達もやや気圧される。
「チッ………ウッザ、キモいんですけど!もう行こ!」
それでも素直に謝りたくないプライドだけは残っているのか、大声を出してどこか行ってしまった。取り巻きもそれについて行く。
結局何の解決もしていないので、二、三言言うべきだったのだろうが、もうそんな気力も湧かない。
「はぁ………」
すると万代さんも身体の力が抜けたのか、ヘナヘナと膝をついた。
「万代さん、大丈夫?」
「は、はい………」
若干痛む身体を庇いつつ、手を貸して私達は立ち上がった。
「終夜さんこそ大丈夫ですか?ただでさえ怪我してるのに、また………」
「ちょっと転んだだけだよ。ほら、特に怪我は無いから」
「そうですか。その………すみませんでした、私の問題に巻き込んでしまって」
「自分で勝手に突っ込んだんだし、気にしなくていいよ。ただまぁ、期間限定メニューはお預けかな」
さっきからそこまで時間は経ってないが、もう学食でご飯を食べるのは無理だろう。席埋まってたし。
「けど、仲良くない人達と人気のない所に行くのは感心しないかな。こうなるの分かってたでしょ?」
「………しっかりと話し合えば、分かると思ってたんですが」
万代さんは悲しそうな目つきで、彼女達が去っていった曲がり角を見つめる。
散々傷つけられて、大切なものまで壊されて、それでもまだ諭そうとするか。
「よくあんな人達をそこまで信用出来るねぇ」
「これまでもずっとそうでしたから。どんなに酷いことをする人でも、きちんと話し合えば分かってくれました。だから今回も………」
「ふーん、そんなものかぁ………」
私は頷きながらも首を捻った。
たしかに何事も話し合いで穏便に済ませられるなら、それが一番だ。意思疎通で解決する、最も人間らしいやり方。
でも『言葉が通じる』と『意思疎通ができる』は全くの別物だ。言葉が理解できても、人の意思を汲み取れない人なんて山のようにいる。
万代さんは、そんな人達にも平和を振り撒いて手を差し伸べると言うのか………
「まぁいいや。それより万代さんだよ。服汚されちゃったけど、大丈夫?」
私を庇った万代さんは当然まだ濡れているし、これで午後の授業を受けるのは嫌だろう。
「ロッカーに体操服がありますので、問題ありませんよ」
「なら着替えてきなよ。私は購買で何か買ってくるから」
「えっ?いえ、それは申し訳ないですよ」
「いいのいいの。私も自分のご飯買わないといけないし、ついでだよ」
とは言いつつも、そもそも万代さんが汚れちゃったのは、半分くらい私のせいだし。一応罪滅ぼしってことで。
「そう、ですか………」
「適当にパンとかでいい?」
「はい。すみませんが、よろしくお願いします」
「うん。着替えたら教室で待っててよ」
それだけ言って、私は万代さんと分かれて購買へと向かった。こっちはこっちで急がないと売り切れる。
だから、彼女の目がゆっくりと閉じたことに気がつくことはなかった。
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