第25話 砕けた花を癒す手

 授業が全て終わった放課後。


「〜〜〜♪」

 いつものように中庭にある花壇の水やりをしていた。

 いつもなら一緒に終夜さんがいるが、所属している図書委員のお仕事が遅くまであるとかで、今はここにはいない。

 一緒には帰れないということで、今日は一人で帰ることになりそうです。

「これでよし、っと」

 水やりを終えてある程度雑草も取り、帰ろうとした時のことだった。


「ねぇ」

 後ろから声をかけられて振り向いた瞬間、身体が強張った。

 そこにいたのは同じ学年の女子が数人。全員この前絡んできた人達だ。私の周りを取り囲んで腕を組んでいる。

 高圧的な視線に若干身がすくむが、それでは良くないと思い声を絞り出す。

「な、何でしょうか………?」

「ちょっと付き合いなさいよ」

 挨拶も無しの命令口調で、逆らいがたい威圧が迫ってきた。

 とても友好的には見えない様子に、私は思わず逃げ出したくなる。


 でも、彼女達は悪くない。原因は………私、ですから………

「は、はい………」

 話し合えばきっとわかり合える。

 そう信じて、私は頷いて立ち上がった。




「ホラ、慰謝料払えよ」

「お、お願いですから………もう、こんなことはやめてください………!」

「うっさい!」

「きゃっ⁉︎」

 学校近くの細道に連れ込まれた私は、思いっきり蹴飛ばされて地面に転がった。鈍い痛みが全身に広がり、身体が痺れる。

 それを見て、私の周りを取り囲んでいた女子達がクスクスと笑う。

「アンタがアタシの男盗ったんだから、さっさと金出せ!」

「す、すみません………し、しかし、こんなことをしても、皆さんのためには………!」

「言い訳すんな!」

「早く出せよ!」

 複数人の女子が私を蹴り飛ばし、スクールバッグを取り上げた。

「この中にサイフあるんじゃね?」

「もう持ってっちゃおうよ」

 無理矢理お金を奪おうと、雑な手つきでスクールバッグを開ける。

 そのせいで、バッグについていたストラップが地面に落ちた。小さな花があしらわれた、私の宝物。


「あぁ?何これ?」

 それに目をつけた女子の一人が、つま先で小突いた。

 自分はどうされようとも構わない。けど、それは………

「や、やめてください!それは、大切な物なんです!」

「はぁ、何急に?ウッザ」

「それ壊しちゃおうよ」

「やれやれ〜!」

 何とか取り返そうとするが、4、5人程の人に押さえつけられてしまった。さらに周りが面白がって煽っている。


「お願いします!お金なら渡しますから!それだけは………!」

「うわぁ、めっちゃ必死じゃ〜ん。ウケる〜!」

「こんなダサいのつけるとか、センス無さ過ぎ」

「そんなに大切な物なら、こうしてやる、よっ!」



 最初に私を蹴り飛ばした女子が脚を振り上げると、躊躇うことなくストラップを踏みつけた。

 バキッと嫌な音が、私の耳を貫く。



「いやぁぁぁぁぁ───────ッ‼︎」

 目の前で宝物が踏み潰されて、私は声をあげた。けどそんなことをしても、事実は変えられない。

 呼吸が浅くなり、脳が蝕まれていくように、視界が涙でぼやけていく。


 泣き崩れた私を、彼女達は冷めた目で見下ろす。

「何マジで泣いてんの?引くんですけど」

「冷めたわ〜、もう行こうよ」

「うん、行こ行こ」

 私のバッグを放り投げると、彼女達は笑って出て行った。


「あぁ………そんな………」

 私は壊されたストラップを掬い上げた。砕けた破片が散らばり、もう治せるような状態じゃない。


 結局私は、彼女達の怒りを抑えることができなかった。

 自分のせいで起きたことなのに。私が何とかしなければならないのに。敵対せずとも、人間なら話せば分かってくれるはずなのに。何も出来なかった。

 そのせいで、大切な宝物まで………

 全部、私のせいだ。






 週末


 万代さんのことは不安に思いつつも、私がどうこうできる問題じゃない。

 というわけで、とりあえずは様子を見ることにした。

 本来ならそんな面倒な事はせずに、さっさと解決すれば良いのかもしれないが、被害者である万代さんが『別にいい』と言ってるんだし。

 それにこの手のイジメ問題は、解決する時にどうしても被害者にもダメージが及ぶ。

 具体的には露見することによる周りからの視線や噂。理不尽な話だが、それが当たり前なのが学校社会というものだ。

 まぁそれをダメージと捉えるかは、人それぞれだが。

 だからとにかく、万代さんの言ってることを優先したい。とりあえず今は。



 そんなことを思ってから数日が経った。

 その日は学校が休みで、特に家でやることもない私は………


「よっと………ねぇ、本棚ってここでいいの?」

「はい。細かい調節は後でしますから」


 万代さんの家にお邪魔していた。

 というのも、この前買った新しい家具が届いたのだ。

 一人で組み立てて設置するのも大変だろうし、せっかくならということで手伝いに来た。

 本棚の設置が終わった私は、空いた段ボールを解体して束ねた。縛るのは片手じゃ無理なので、万代さんに任せよう。

 比較的動きやすいワンピースを着ている万代さんは、設置し終わった棚に食器やティーパックをなどを並べている。

 運び込まれた物を段ボールから出して、説明書を見て組み立てて設置する。その繰り返しだ。


「すみませんね、こんな事まで手伝わせてしまって」

「一人じゃ大変でしょ?片腕だから、出来ることは限られるけどさ」

「人手があるだけで非常にありがたいですよ。大きい物は、一人だと組み立てにくいので。我ながら、面倒なことをしてしまいましたね」

「まぁストレス発散なら、大きい物を壊すのは最適解だけどさ」


 自虐気味に笑う万代さんに、私は苦笑いで返す。

 もっとも、人手があっても貧弱な体の女子高生二人なため、力仕事となると結構手こずるのだが。

 おまけに私は腕一本折れてるし。こうして生活してみると、改めて両腕動かせるありがたみが分かってくる。

 他の傷の治りが思ったより早かったのが、唯一の不幸中の幸いだ。

 こんなことなら糸魚も連れてこればよかったかな。経緯がバレると面倒だから、何も言わずに来てしまったのは失敗だったか。

 まったく、壊した張本人小連翹が責任持って手伝ってくれたらまだ楽なんだが、出てきそうにないし、出てきても手伝ってはくれないだろう。




 数時間後

「ふぅ、これで全部片付いたかな?」

「えぇ、ありがとうございました」

 作業もひと段落して、私は大きく伸びをした。正午くらいに始めて、かれこれ三時間くらいかかったな。

「ちょうどいい時間ですし、お茶にしませんか?」

「いいの?ありがとう」

「少し待っててください、今お茶淹れますから。って、ローテーブルは畳んでしまっていましたね」

「あぁ、たしかクローゼットの近くに置いてなかったっけ?」


 万代さんがいつも食事などをする時に出しているローテーブル。

 これも小連翹が壊してしまったので、さっき新しいヤツを開封して近くに置いておいたはずだ。

 数時間前の記憶を辿って見回すと、折りたたみ式のローテーブルを見つけた。

「あったあった………って、ん?」

 クローゼットの扉が僅かに開いており、その中がチラッと見えた。

 そこにあったのは、いつも万代さんが持っていっているスクールバッグだ。

 特に飾り気のない普通のバッグだが、一つだけストラップがぶら下がっている。

 私が初めて小連翹と出会った時に、拾って返した物だ。万代さんはすごく大切そうにしていた記憶がある。



 しかし綺麗だったストラップは、汚れてボロボロになっていた。

 リボンには踏みつけられたような跡があり、特徴的な小さな花は砕けてしまっている。



「終夜さん、お茶菓子のクッキーはチョコとバニラどちらが………」

「ねぇ、これどうしたの?」

 顔を覗かせた万代さんに、私はクローゼットからスクールバッグを取り出して見せた。

「ッ!………えっと、それは………」


 壊れたストラップを見た万代さんは、明らかに動揺して目を逸らした。

 万代さんが嘘をつけないような性格で助かった。

 これだけなら、何かのミスで自分が踏んでしまった可能性もある。でも、それならここまで動揺したりはしないだろう。

 ってことは、やっぱり………


「もしかして、まだいじめられて………」

「いいんです!気にしないでください!」

 慌てた万代さんはバッとスクールバッグを取り上げると、背中を丸めてしまった。

「これは、その………事故と言いますか、ちょっと行き過ぎただけですので………」

 バッグを抱き締めると、しどろもどろになり言い訳をしてそのまま動かない。

 身体を隠すように縮めたままの万代さんに、私は不信感を覚える。


「万代さん、ちょっとごめん」

「えっ?きゃッ⁉︎」


 私は万代さんの右腕を掴むと、こっちに引き寄せて壁に追い詰めた。

 やっぱり片手だと結構キツいな。

「あ、あの、何して、ひゃあッ⁉︎」

 変に抵抗されても面倒なので、私はすぐに万代さんのスカートの中に手を潜り込ませる。

 訳がわからないままいきなり服の中に手を入れられて、万代さんの顔が一瞬にして真っ赤になった。


「ちょッ、よ、終夜さん⁉︎何を………?」

「大人しくして」


 そっとスカートを捲ると、予想通り太ももにはアザがあった。袖を捲ると、そこにもアザができていた。

 元が白い肌が故にとても目立ってしまっており、痛々しく感じる。

「これも事故?」

「あっ………えっと………」

 ジッと目を見つめると、また目を逸らされた。

 知られたくなかったことを知られたからか、隠してることを後ろめたく思ってるのか。

 その表情は、まるで怒られてる時の小さな子供だ。

 そんな顔しないで欲しい。万代さんは被害者だし、攻めたって仕方ないんだから。

 だからここまでしてしまったものの、なんと言えばいいのか分からない。

 まぁまたいじめられることは予想してたけど、こんな攻撃的になってるとは思ってなかった。

 しかし万代さんは掴まれた腕を振り払うと、アザを隠してしまう。


「本当に、大丈夫ですので」

「こんなことまでされてるのに?」

「それは………元の原因は、私ですから」

 俯きながらもきっぱりと言い切った。

 この前からずっとこの一点張りだ。

 自分が言い寄られたから、だから自分が悪いなんて………馬鹿馬鹿しい。


「もうそんなこと関係ないって、ただのイジメだよ。それにそのストラップ、大切な物なんでしょ?」

「そう、ですけど………」

 私としても初めて万代さんと話すきっかけとなった、思い入れのある物。

 無くした時、あんなに必死なって探してんだ。そんな大切な物を壊されてるのに………


「何もしないの?」

「してないわけじゃないです。話し合おうとはしてます」

「そっか………」



 そんなの、意味無いよ。



 腹の底から湧き上がった言葉が、口から紡がれることはなかった。

 だって万代さんが顔を上げて、真っ直ぐ私を見たから。

 一点の曇りもない瞳に、私はそれ以上食い下がれなかった。

「大丈夫なの?」

「どんな人でも、話し合えばきっと分かってくれます。敵対する必要なんてありませんよ」


 実に万代さんらしい、平和で、優しくて、透き通った言葉だ。

 けど彼女の言葉は、私だけに向けられたものじゃないように感じた。まるで自分に言い聞かせているみたいだ。

 万代さんの言葉が、ただの綺麗事だなんて分かってる。

 いくら平和を謳っても、人に優しくしていても、敵は生まれてしまう。

 嫉妬、ストレス、遊び半分。理不尽に人を傷つける理由なんて、そこかしこに転がってる。

 そんな中で優しさなんて、自分の身を危険に晒すだけだ。

 でも………


「分かった」

「あっ………」

 私は万代さんの腕を引いた。距離を縮めると、そっと背中を摩る。

 嫌がられるかと思ったが、万代さんは跳ね除けるようなことはしなかった。


「万代さんがそれが正しいって思うなら、私は何も言わない。万代さんはそれでいいよ」

「あの、私は………」

「まぁ、私もそうするけどね」


 万代さんに傷ついて欲しくない。

 善人を気取るつもりはないけど、どうしても意地になってしまう。

 友達が自分の手の届く範囲で守れるかもしれないんだ。そこに関しては私も譲るつもりはない。

 同じ目的でも、私達のやり方はバラバラだ。

 けど私は万代さんじゃないし、万代は私じゃない。そう考えると当たり前のことのように思えてくる。


「終夜さん………ありがとうございます」

「おっと?」

 強張っていた身体の力が抜けて、私の胸元に頭を乗せた。吐息が胸元に当たってくすぐったい。

 何となくやってみたのだが、まさか万代さんの方から身を委ねてくるとは。

 この前は手を繋ぎたがったり、意外とこういうスキンシップ好きなのかな?

 清楚でクラスではいつも一人でいる万代さんが、実は人と触れ合うのが好き………

 人によっては喜びそうな情報だなぁ。これがギャップってヤツか。


「誰彼構わずこんなことしちゃダメだよ」

「し、しませんよ!終夜さんだからです!」

「はい?」

「あっ、いや………何でも、ないです」


 大きな声を出したかと思えば、すぐに身を縮めてしまった。忙しいねぇ。

 しかし私だからか。気を許してもらえてる証拠………なのかな?

 恥ずかしくなって目を逸らした万代さんだが、顔を上げると照れ隠しのように笑った。


「何か、万代さんって笑うと年齢下がって見えるね」

「えっ、私子供っぽいですか?」

「いや、元が大人びてるから年相応って意味。いいこといいこと」


 こんな一面を見ることができるのも、友達だからなのだろうか。

 糸魚がそれなりに大きくなって、昔みたいに甘えてくることも少なくなったからか、どことなく懐かしい。

 こうやって自分の色んな面を引き出して感じる。

 ただの『いい人』としか感じなかった万代さんにとっては、自分を安定させるいい考えだと思う。


 人間は色んな面を持つことで、バランスを保ってる。

 けど人は他人にラベルを貼る時、一つの面でしか人を見ない。そしてそれを押しつけられれば、他の面が押しやられ、度が過ぎればバランスが崩れて落ちていく。

 そして落ちた先に何があるのか………万代さんの場合はとても分かりやすい。押しやられたものが、別人格として出てくるのだ。


 誰にでも優しくて、人を傷つけることが何よりも苦手な、清廉潔白なクラスメイト。それが万代さんだ。

 けどそれは、彼女の一面に過ぎない。

 凶暴なところも、甘えたがりなところも、私といる時くらいは見せて欲しい。

 せっかく一緒にいるんだ。一面だけ見てたんじゃつまらない。




 それにしても………いつまでこのまま抱き合ってるんだろう。

 少しずつ冷静になってきて、私も恥ずかしくなってしてしまった。

 しかし万代さんは温かくて心地いいのか、自分からは離れようとしない。

 このままだと、もうしばらくこの状態でいることになりそうだ。


「えっと………もう離れようかなぁと思ってるんだけど、いいかな?」

「えっ?………あっ、は、はい‼︎………ありがとう、ございます………」


 私が声をかけると我に返り、バッと身体を起こしてすぐに私から離れた。また顔が赤く染まってくる。

 表情がコロコロ変わって面白いと思う反面、自分がこんな風にさせてるのかという謎の感慨深さがある。

 よくよく考えたら、私もだいぶ変なことしちゃったな。

 こんな風に触れ合う相手なんて、これまで糸魚くらいしかいなかったのに。

 自分でも知らない内に、万代さんとの距離感がおかしくなっている。


「えっと………お茶にしますか」

「そう、だね」


 私達の間に漂う変な空気を変えるように、万代さんはパンッと手を叩いた。

 若干モヤモヤしか気持ちは一旦傍に置いて、私はお茶の準備を続けることにする。

 お互いに照れ臭さを感じながら、その後も私達は二人きりの時間を楽しんだ。

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