第12話 二人の星空

「………ちゃん、お姉ちゃん‼」


 聞き覚えのある叫び声と体をゆすられているような感覚のおかげで、遠く離れた意識が引っ張り戻された。

 しかし意識は戻ったものの、身体に力が入らない。

 ゆっくりと体の感覚が戻り、自然と目が開いていく。


 空はそろそろ暗くなることなのだろうか。差し込んで切る夕日は少なく、そのせいで周りの様子は見えない。

 でも一番近くにいた人だけは、しっかりと見ることができた。

 いつも見ている彼女の顔は、これまで見たことないほどに充血した目から涙を流して泣きじゃくっている。


「糸魚………?」

「ッ!お姉ちゃん?………うぅ、うわあぁぁぁ‼」


 目を覚ました私を見て、溜まった涙が決壊した。大声で泣いて強く抱き着いてくる。

「よかった、よかったよぉ………ぐすっ!お姉ちゃん………‼︎」

 抱きしめられたおかげで、だいぶ意識がはっきりとしてきた。


 でも同時に体の痛みもはっきりとしてきて、思わずうめいた。

「うっ………‼」

「お姉ちゃん、大丈夫⁉」

「いや、まぁ………」

 まだ状況を把握しきれずに曖昧な返し方をしてしまう。

 視線だけを動かすと、そこは公園の隣にある路地だった。

 私を囲む薄暗い塀が気を失う前のことを思い出させる。

 私、ここで万代さんにリンチされたんだった。何とか生きてはいるみたいだ。



 ッ‼︎そうだ、万代さんは⁉︎



「糸魚、万代さん見てない⁉︎」

「よ、よろずよ………誰?」

「この前うちに連れてきてたでしょ!友達!」

「あぁ、あの人か。私が来た時にはいなかったけど………えっ、一緒にいたの?」


 見てないのか。となると、私が気を失った後にどこか行っちゃったんだろう。

 人格が元に戻ってればまだいいけど、戻ってなかったら………

「そんな………!」

 どうしよう、私のせいだ。私が不安定だった万代さんを追い詰めちゃったから。



「一体何があったの?こんな傷だらけで、本当に死んじゃったかと思ったんだから………」

「死んだって………」


 人間がそんな簡単に死ぬわけないって。

 そう言おうとしたが、自分の状態を見て口をつぐんだ。


 服もろとも身体中擦り切れて痣まみれ。白い制服に血が滲み、顔の周りを指で拭うと固まったばかりの血でべっとりだ。

 コンクリートの地面にも所々血が飛び散っている。

 腕は若干腫れてる箇所もあり、痛みから骨折しているのがすぐ分かった。

 正直まともに動くことすら出来ず、息をすることが精一杯だ。

 たしかにこれは死んだかと思うな。実際殴り殺されるかと思ったし。


 いや、生きてるなら今は自分のことはどうでもいい。

 それよりも万代さんだ。今頃どんな状態になっているのか、考えただけで恐ろしい。

 もしかしたら家に帰ってるかもしれない。行かないと。


「ぐっ、うぅッ‼︎」

 立ち上がろうとしたが、身体を起こしただけで激痛と眩暈が襲い倒れてしまう。

「動いちゃダメ!ほら、病院行こう?」

「大丈夫だから………万代さんを、探さないと………くっ!」

 辛うじて脚の骨は折れてなさそうだ。

 無理にでも立ち上がろうとするが、そもそも身体に上手く力が入らない。

 痛みに耐えきれず、手をついた瞬間にまた倒れた。

 話せるから大丈夫かと思ったが、自分で思った以上に重傷みたいだ。

「お姉ちゃん、何してるの!早く行くよ!」

 もはや私はどうすることもできない。

 幸いにも病院は近くにあり、糸魚の肩を借りて入る。




「だ、大丈夫ですか⁉︎」

 受付にいた看護師にはびっくりされたし、おまけに事情を話せるのはボロボロの私と小学生の糸魚。

 当然まともな話なんて出来るわけもなく、かといって私を放置というわけにもいかない。私はすぐに診察室に運ばれて手当てされた。

 事情に関しては、パニクってる糸魚の話を看護師に何とか理解してもらったらしい。




 そんなこんなで私は今日一日入院となった。

 事情を話してもらった糸魚は帰る………はずなんだが、私達の場合はそうはいかない。家まで戻ってもらい、入院の手続きに必要なものを持ってきてもらう。

 今家に帰っても一人ということで、糸魚も病院に泊まることになった。



「まぁ家に帰るのはいいけど、しばらくは安静にしていてくださいね」

「はい」

 医者からの注意を受けて、私は治療室を出た。

 体だけでなく顔にもガーゼを当てられ、包帯が巻かれ、極めつけは左腕を吊っている。

 痛み止めを貰ったから多少は良くなったが、これはしばらく生活するのに苦労するかな。


 病室には私達のベッドが並び、糸魚は既に寝る準備をしている。緊急で大したものは持ってこれなかったので、お互い入院服だ。

「もう寝るの」

「うん。お姉ちゃんは?」

「私も………寝ようかな」

 もう起きていたって仕方ないだろう。



 ベッドに潜ろうとすると、私に続くように糸魚も私のベッドに入って………


「いやいやいや、何してるの?」


 何故同じベッドで寝ようとするのか。隣にあるベッドが見えないのかな?


「アンタの寝る場所はそっちだよ」

「………一緒に寝たい」

「はぁ?」


 そりゃたしかに昔は一緒に寝たりはしていた。

 でもそれは数年前までの話で、最近では声かけても『一人で寝れるし!』って言い返すのに。

「ダメ?」

「まぁ、いいけどさ。狭いのは我慢してよ?」

「うん」




 こうして一緒にベッドに潜り込むものの、私は腕を吊っているので体勢を整えるまでに時間かかる。

 糸魚は背中を丸めて眠る。昔からそうで、今も変わってないみたいだ。


「お姉ちゃん、怪我大丈夫?」

「一応。ちゃんと手当てしてもらったし、気にしなくて大丈夫」


 そうは言ったが、未だに身体が軋むみたいに痛む時がある。完治にはまぁまぁ時間がかかるかな。


「ねぇ、誰がこんな酷いことしたの?」

「それは………」

 思わず言いそうになったが、その先を言うことはしなかった。

 私を殴ったのは万代さんだ。でもその原因を作ったのはきっと、私だから。

 そんな私が被害者振るなんて間違ってる。


「………さぁ?怪我で忘れちゃった」

「えっ、何それ⁉︎あんな目に遭ったのに………!」

「忘れちゃったんだし、仕方ないでしょ」

 病院の人にもそう言って誤魔化した。さすがに大人をそれで納得させられたとは思えないんだけど、詮索されずには済んだ。


「そういえば、アンタこそ何であそこにいたの?」

「いつまで待ってもお姉ちゃんが帰ってこないから、心配で探してたの。それで公園通りかかったら、お姉ちゃんが血塗れで倒れてて………うぅっ!」

 話している内にまた泣き出しそうになる。


 あんな時間に小学生が一人で出歩いたら、下手したら補導されるってのに。何やってるんだか。

 いや、心配かけたのは私だし、謝るべきは私だ。

「心配かけてごめんね」

「ほんとに、怖かったぁ………ぐすっ………」

「はいはいごめんって」

 小さな背中をさすってやると、糸魚が右腕に抱きついてきた。顔は伏せてしまっているが、時折嗚咽が聞こえる。


 その声も次第に小さくなり、すぐに寝てしまった。

 夜遅くってのもあるけど、ショックなことがあって疲れたんだろうな。

「おやすみ」

 眠った糸魚に囁くと、窓の外を眺めた。


 カーテンは閉じられているが、その隙間から真っ暗になった夜空が見える。

 晴れた日の夜らしく、星の輝きが目に焼き付く。

「万代さん………」

 でも私には、そんな星空も霞んで見えた。




 その頃、同じ夜空の下に彼女はいた。

「ん?あれは………?」

 そこに通りかかったのは、パトロール中だった警察官の男だ。

 薄暗い路地を気の抜けたようにフラフラと歩く彼女は、高校の制服を着ている。

 時間は十一時過ぎ。こんな夜遅くに高校生が出歩いているなど、どう考えても不自然だ。

「あのー、ちょっといいかな?」

 声をかけてみるものの、彼女は振り返ることはない。

 仕方なく近くに駆け寄り、もう一度声をかける。

「そこの君、高校生かな?こんな夜遅くに何してるの?」



「あぁ………?」



 低い声と共にようやく反応してくれた。しかし長い髪により顔がよく見えない。

「塾の帰りか何かかな?」

「………」

 警察官が聞いても、彼女は何も言わず立ち去ろうとする。

 しかし女子高生の深夜徘徊を見逃すわけにもいかない。

「ちょっと待ってって………」

 近づいた警察官は彼女の前に立ち、様子を伺った。

 路地の奥に立ち並ぶ街灯が、後ろからでは見えなかった彼女の全貌を照らす。

「ッ⁉︎」

 照らされた彼女を見て、警察官は慄いた。



 彼女の清純そうな白い制服には所々に返り血がつき、拳に至っては紅い血がべっとりとついている。



「き、君は………!」

 思わず退いた警察官の足に何かがぶつかった。


 足元に目を向けると、そこには何人もの男達が倒れている。

 茂みに隠れて見えなかったが、全員が何度も殴られたのか痣と血に塗れている。


「これは、君がやったのか、ぐふッ⁉︎」

 顔を上げた瞬間に、彼女の拳が警察官に突き刺さった。それだけに止まらず二発目、三発目と殴られる。

 いくら訓練を受けた警察官とはいえ、不意を突かれては太刀打ち出来ない。


 さらには怯んだ隙に首を掴まれて、地面にねじ伏せられた。

 官帽が落ちて、アスファルトの地面に後頭部を叩きつけられる。

「ぐっ、がはッ‼︎」

 鈍い痛みに耐えて、彼は咄嗟に警棒を引き抜こうとした。

 女子高生相手に申し訳ないとは思うが、何も言わず殴りかかるなどまともじゃない。

 これまでしてきた訓練通りホルスターに手を伸ばす。



 しかしそこに警棒はなく、殴り飛ばした彼女が握っていた。



「何ッ⁉︎」

 彼女は腕を振ってシャフトを伸ばすと、躊躇せず警棒を振り上げて警察官の横面を殴り飛ばす。

「ゲホッ!」

 骨の軋む音が響いて、警察官は地面に這いつくばった。

「ぐっ!ま、待ってくれ!俺は君を傷つけるつもりはない。何か訳があるなら聞くから、がはッ!」

 彼の言葉を聞くことなく、彼女はまた警棒を振り下ろした。何度も、何度も。

 抵抗しようとしたが、その前に腹を蹴り飛ばされまた警棒で殴られる。

「ぐふッ‼︎やめ、ぐっ!うっ、ぐぁッ!」

 これはもう自分一人ではどうにもならない。

 応援を呼ぼうと無線に手を伸ばすが、警棒で弾き飛ばされてしまう。

「そんな………ぐはッ‼︎」

 絶望に満ちた警察官を見下ろし、彼女はまた腕を振るった。


 何も言わずひたすらに殴られて、蹴られて、暴行は彼が動かなくなるまで続いた。




 傷だらけになった警察官を地面に放り捨てられると、彼女は警棒を持ったままその場を立ち去った。

 路地の出口で、近くの塀で遮られていた月明かりが差し込む。

 空からの淡い光が自分の手を照らした。

 あまりに殴りすぎたせいで皮が剥けて、何人もの血が細い手を染め上げる。


「はぁっ、あぁ、あぁぁ………ッ!」


 息苦しさが込み上げ手が震える。

 彼女は膝をつくと、その手で顔を覆った。手についた血が顔に塗られ、嫌な臭いがさらに自分を苦しめる。



「あ゛あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ─────────────────────────ッッッ‼︎」



 苦しみを全て吐き出すように、万代 一葉は星空に向かって吠えた。

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