第10話 膝枕の上でお喋り

 薄暗い空間。私は誰かと対峙していた。


「へぇ、こんなこと出来る様になってンのか」


 あなたは………誰ですか?

「あぁ?何寝ぼけてやがる。見りゃ分かンだろ」

 さも当たり前のように言うが、誰なのか分からない。

 それに『見りゃ』なんて言われても、今私はこの空間を見れているのだろうか。

 ただ認識はしているだけ。たしかに存在するのかどうか、それは分からない。

 目の前に人がいるのは分かる………いや、分かっているのでしょうか?

 低い声、粗暴な口調、鋭い目つき、短い髪。目の前にいる人の特徴が、頭に刷り込まれているみたいだ。



 教えてください。誰なんですか?

「はぁ?………って、そうか。あの馬鹿、俺のした事は話しても、あんま特徴とか言ってなかったからな」

 何を言っているんですか?あなたは一体………


「長いこと一緒にいたってのに初対面、かぁ」


 一緒にいた?

 そんなことはないはずです。私、あなたのような人は知りません。

「だろうな。俺が出りゃお前は引っ込むんだ。覚えてるわけねぇか」

 えっ?それって、まさか………

「いつも自分が使ってる体と向き合うってのは、思った以上に気持ちワリぃな」



 あなたが………私の、もう一つの人格?



「ハッ、こうして顔を見るのは初めてだが、思った以上に間抜けヅラだなぁ」


 思い出してみると、態度や口調は終夜さんから聞いていた通りだ。

 記憶がないとはいえ、自分が表でこんな態度を取ってると思うと恥ずかしくなる。

 でも、何故あなたとこうしてお話が出来ているのでしょうか?

「知るか。まぁ、お前が俺の存在を自覚したってのは、一つの理由だろ」


 そうだ。数ヶ月前、私は自分にもう一つの人格があることすら知らなかった。

 何かの拍子に意識を失い、目が覚めたら全く知らない状況に立たされている。

 自分がどこかで人を傷つけているなんて思いもしないで、全部夢だと思ってた。

 それが終夜さんと出会って、ようやく自分のことを知れた。

 だから頭の中にいるもう一人の私を、こうして認識できるようになったんだ。

 初めて味わう不思議な状況だというのに、私はそれを自然と受け止めていた。



 終夜さんから、あなたが何をしてきたのかは聞きました。何故あんな酷いことばかりするんですか?


「ンなもん決まってるだろ。俺はそういう存在、それだけの話だ」


 人を傷つけるためだけにいる人なんてあり得ません。


「その有り得ねぇ化けモンを産んだのは、他でもないお前だろ」


 どういう意味ですか?


「ガキが産まれるのは、親が産みたいと望むから。俺だって同じだ」


 私が望んだと言うのですか?誰かを傷つけて、それを喜ぶようなあなたを。

 私はそんなこと望んでいません。誰も傷つけたくない、普通に生活したいだけなんです。


「自分から目逸らすんじゃねぇよ、俺はお前だ。俺の望みは、お前の望みだ」


 違います。見ず知らずの人だけでなく、大切な友達まで傷つけるなんて、私は絶対にしたくありません。


「ハッ、友達か。優しい言葉をコロッと信じて、バカみたいに尻尾振って、結局また捨てられるのがオチだろ」


 ………終夜さんを、悪く言わないでください。


「優しくしてくれたからか?そういうヤツらに何されたか、忘れたわけねぇよなぁ?」


 だからといって、私は彼らを恨んでいるわけではありません。

 それに終夜さんは、あの人達とは違います。


「だったらアイツにお前の全部をぶち撒けてみろよ。そしたらどうなるか………分かってるから言わないんだろ」


 関係ないだけです。終夜さんと私の過去は関係ない。


「嘘つくなよ、また同じ目には遭いたくないよなぁ?それが何よりの証拠だ。あの時の怒りは、今でもお前の中で燃え続けてる」


 そんなことは………



「反吐が出るような戯言を喜んで、散々踏みつけられて、全てを奪われて………最後には何て言われた?」



 やめて………それ以上、言わないで………



「ゴミ溜めから抜け出して、傷を舐めてくれる友達作って、ヘラヘラ笑って。それで変わったつもりか?お前は何も変わってない。今でも思ってるんだよ」



 違う……違う、違う!



「自分以外の全ての人間を、殺してやりたいってな」




「やめて───────ッ‼︎」



 目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。

 外は真っ暗で、隣に置いてある時計は二時を示している。

「はぁっ、はぁっ………ゆ、夢?」

 状況が分かると、今度は自分の異常に気がついた。

 鼓動が激しく高鳴り、耳の奥まで響く。嫌な汗が額を流れ、背中も濡れている。

「ぐっ!うぅ………ッ!」

 急激な吐き気が込み上げて呻いた。耐えきれなくなり、トイレへと駆け込む。

「がはッ!ぐぅ、ゲホッ………!」

 胃の中のものを吐き出し蹲った。鏡で見なくても、自分の顔が真っ青なことが分かる。

「はぁ、ぐっ!ふぅ………私は、私は…………‼︎」

 拳を握りしめた私は、その場に倒れた。




「暑いなぁ………」

 梅雨独特の蒸し暑さにため息が出る。

 万代さんと何やかんやがあってから一週間が経った。

 結局あれから本当のことは話せていない。日が経てば経つほど話しにくくなって言い出せなくなる。

 だから今まで通り、私達の関係は何も変わらない。ある程度の変化も覚悟していた私としては拍子抜けだ。

 いや、それじゃあアレをきっかけに変わりたいのかと言われたら、それは違うと思う。

 私だって全てを納得したわけじゃない。変にこじらせて疎遠になるくらいなら、黙っていた方がマシだ。

 でもそれはそれで万代さんを騙しているような気がして、後ろめたく感じてしまう。

 一体どうしたら………



「「はぁぁ─────」」

 私と万代さんは同時にため息をついた。

 ………えっ、万代さんも?



 隣を見てみると、水やりをしている万代さんはどこか浮かない顔だ。

 いつもは楽しそうに花の様子を眺めているというのに、今日は俯いており元気が無さそうに見える。


「万代さん、どうかしたの?」

「えっ、あぁ………すみません、少し考え事を」

 私達はいつものように公園の花壇の水やりをしていた。

「いや、いいんだけど。大丈夫?」

 思い返してみると今日一日、というよりここ数日様子が変だった。

 どこか上の空というか、ずっと何かに思い悩んでいる様子。明らかに不自然だ。


「大丈夫、ですよ。気にしないで………」

「それにしては、結構顔色悪いけど?」


 普段から化粧をしない万代さんは、割と変化が分かりやすい。

 あまり強引な聞き方はよくないけど、それは話したくない内容だった時の話だ。

 でも私に遠慮して話せないのなら、そんなの吐き出すだけ吐き出しちゃった方がいい。

「休憩所の方でお話、いいですか」

「いいよ」




 私達は一週間に雨宿りした休憩所で、木のベンチに腰掛けた。

「ここなら寝ても問題ないだろうし、少しゆっくりしたら?」

「えっ?いや、しかし………」

「疲れたままだと良くない、でしょ?」

「そう、ですね。えっと………」

 しかし壁が薄汚れていて、背中にもたれるにしてもちょっと抵抗があるようだ。周りを見て戸惑っている。

「それなら、ここに寝る?」

 私は自分の太ももをポンと叩いた。

 ベンチはまだ綺麗だし、ここに横になる分には大丈夫だろう。

「えっ?い、いいんですか?」

「たまに糸魚にしてあげたりしてるから。リビングで寝そうになった時とか」

 眠いなら部屋に行けばいいのに、そういう時に限って居座りたがるんだよね。だからこうやって膝枕で寝かしたりしてる。


「これなら壁にもたれるよりはまだ綺麗でしょ」

「そうですね。それでは、失礼します」


 横になった万代さんは、私の太ももに頭を乗せる。

 糸魚にしてあげてる時と変わらないと思ったが、それなりに違和感は感じるものだ。

 小学生の妹と比べて色々と大きいし、何より同じ制服の人にしてあげてるってのは不思議な気分だ。


「膝枕なんて、初めてしてもらいました。何だか、少し恥ずかしいですね」


 慣れないことだからか、落ち着かず縮こまっている。

「でも………たしかにリラックスできます」

 身体の力が抜けて、私に身を預ける。

 彼女が話すたびに吐息が太ももに当たってくすぐったい。


「このまま、本当に寝てしまいそうです」

「そんなに寝てないの?」

 万代さんって結構しっかりとした生活送ってるイメージだったけど、何か寝れない事情でもあったのかな?

 私が尋ねると、万代さんは少しだけ目を伏せて話し出す。



「実は………少し前に、夢の中で会ったんです」

「会った?誰に?」

「もう一人の私。私の中にいる、別の人格です」

「えっ⁉︎」

 思わず大きな声が出てしまった。

「別の人格と、話せるんだ?」

 意外だった。万代さんって人格と繋がることは無理だと思ってたのに。

「私もよく分かりません。突然何となく存在が分かって、意思が伝わった、みたいな」

「それって夢?」

「分からないです。急にそうなって、それ以降何も無いので」

 どうやら万代さん本人も、意識して意思疎通を取ろうとしたわけじゃ無さそうだ。

「何か話したの?」

「話、とも言えませんね、あれは」

 その時のことを思い出して、万代さんは手を握る。


 何を話したのかは気になるが、そこで黙ってしまうということは聞かない方がいい。

「それで寝れてないの?」

「………はい。今度会ったら、もう一人の私に飲み込まれるかもと思って」


 なるほどね。

 たしかに自分の意思関係なく出てきちゃう。それくらい強い人格と考えれば、そう思うのも頷ける。


「もう一人の私と会って、改めて自分がしてきたことの罪深さを知りました。何人もの方々を、この手で傷つけてきたんだって」


 触れ合うことで、万代さんの僅かな心の動きが何となく伝わってくる。

 短くなる吐息、震える肌。それはたぶん、気休めでは治らない。

 私は首を捻ってつぶやいた。


「うーん、性格がアレだからなぁ。共存にせよ統合にせよ、難しいかもね」

「ッ!調べていたんですか?」

「まぁ、ちょっとネットで調べただけだけど」


 どうやら万代さんもそれなりに調べてはいたようだ。そりゃそうか、自分のことなんだし。


 解離性同一性障害の治療方法。それが共存か統合だ。

 字面で分かると思うけど、要はもう一つの人格と一緒に生きるか融合するか、みたいな感じだ。

 詳しいことは知らない、というか調べたのが深夜ですぐに眠くなったからやめた。



「でも共存は不安定だから、結果的には統合の方がいいかもって………」

「私は、そんなの嫌です」


 万代さんにしては珍しく、強めの口調できっぱりと否定した。

 自分の手を、人を傷つけてきた手を見つめて、言葉を続ける。


「人を傷つけて喜ぶような人格ですよ?そんな凶悪な性格、私はいらないです」


 言葉尻が小さくなっているのは、人を悪くいうことが苦手だからだろうか。

 それでもはっきりと拒絶した。


「終夜さんだって、酷い目に遭ったんでしょう?」

「それは、そうだけど………」


 私の膝で横に寝ている万代さんの格好が糸魚と重なって、どこか子供っぽく感じてしまった。

 でもその悩みは、とても私が受け入れられるものではない。共感なんて出来ないし、そう考えたら変なことは言えなくなる。

 だからこそ私が言えることは、すぐに浮かんできた。


「何で生まれたんだろうね」

「それは………」

「まぁ、知るわけないか」


 わざと決めつけて打ち切った。

 純粋な疑問。その答えは知らない方がいいなんて、元から知っていた。

 私の知る限り、自分の中に別人格がいる人は万代さんだけ。つまり大抵の人は、自分の人格だけで問題なく生きていくわけだ。

 でも万代さんの中には生まれた。悪辣で凶暴な悪魔のような人格が。

 その経緯なんておいそれと話せるものじゃないだろうし、素人が聞かない方がいい。

 仮に万代さんが主人格で、それから物心ついてもう一つの人格が生まれたとする。

 その場合、万代さんはきっと原因を知ってるはずだ。

 自分の中に悪魔が生まれた、その理由を。

「終夜さん………」




「さてと、そろそろ帰る………って、あれ?」

「スー………スー………」

 しばらくして横になった万代さんの顔を覗き込むと、彼女は目を閉じて眠っていた。

 寝てもいいとは思ったけど、まさか本当に寝てしまうとは。

「よっぽど眠かったのかな」

 膝の上で横になる万代さんは、昔何かのテレビで見た童話のお姫様を思い起こさせる。

 日も傾く時間だし、本当なら起こした方がいいのかもしれない。

 でもこんな寝顔を見たら、それは出来ないかな。

 自分の膝の上に置かれた彼女の手を、そっと握る。

「綺麗………」

 ふと漏れた言葉は、誰にも聞こえることなく消えていった。

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