第9話 嘘の熱、本当の熱

 翌日


 雨はすっかり止んで、眩しいくらいの日が部屋に差し込む。

 朝食を済ませた私は、制服に着替えてスクールバッグを持った。もちろん、終夜さんのヘッドフォンも入っている。

 昨日の雨のおかげで、朝の水やりは必要ないでしょう。軽く花壇の様子を見てから学校に向かう。



「おはようございます」

 教室に入って、近くにいる人に挨拶をする。

 軽く会釈する人はいるけど、積極的に話しかけてくる人はいない。まぁいつものことです。

 荷物を下ろして、早くヘッドフォンを返してあげないと。

 そう思ったが、終夜さんの席には誰もいなかった。

 変ですね、いつもなら私よりも早く来ているのですが。

 まぁこんな日もあるでしょう。

 ただ待っていても仕方ないので、学校の花壇の様子を見に行く。

 校庭から戻ってきても終夜さんが来ることはなく、結局そのままHRの時間となった。

 先生がやってきて教室を見渡す。



「あぁ、そうだ。終夜さんは風邪で今日休みだそうです。季節の変わり目ですし、皆さんも気をつけてくださいね」



 えっ、風邪?

 もしかして………昨日の雨のせいで?

 昨日は何ともなかったから安心してたけど、やっぱり雨に濡れたのよくなかったんだ。

 どうしよう、私に付き合わせちゃったから………

 すぐにでも会いにいきたかったが、さすがに何もないのに学校を抜け出すわけにはいかない。

 今日の帰りにお見舞いに行ってみましょう。ついでにヘッドフォンも返してあげればいい。




 不安な気持ちを抑えて授業を過ごしていたら、あっという間に放課後になった。

 私はすぐに荷物をまとめると、教室を飛び出した。

 校門を出て人混みをかき分けながら、いつもの帰り道を急ぎ足で進んでいく。

 花壇のある公園も素通り………は、さすがにダメですよね。


 どれだけかかるか分からないし、後回しは良くない。ちゃんと水やりと軽い草抜きを済ませた。

 これでよし。さぁ、早く終夜さんの元に………

 公園を出ようとした私は、重大なことに気がつき立ち止まった。



 よく考えたら私、終夜さんの住所を知らない。



 心配のあまり動いてしまったが、家を知らなかったらどうしようもない。

 い、一体どうすれば………

「あっ、そうだ!」

 思いついた私はスマホを取り出した。

 連絡して家を教えてもらったらいいんですよ。急に押しかけても悪いですし、アポも取れてちょうどいい。

 こういう時こそ、文明の利器を活用するべきです!

 というわけで早速連絡を…………



 あっ………私、終夜さんの連絡先を知らない。



 固まった私は天を仰いだ。

 普通に学校に行っていたら週に五日会えるし、話したいことは話せる。

 そして何より、人と連絡先を交換するという習慣がお互い無く、結局交換していないままだった。

「お、終わった………」

 場所も知らず調べようもない。これじゃあどうしようもない。

 これなら先生に聞けば良かったですかね。

 ヘッドフォンを取り出すとガックリと項垂れる。

「仕方ないですね。また明日………」

「あのー………」

 いきなり後ろから声をかけられて、思わずビクッと跳ねた。



 振り向くと、そこにいたのは赤いランドセルを背負った女の子だった。

 おそらく小学三年生くらい。長い髪を二つに分けておさげにしており、小学生特有の黄色い帽子が頭を隠す。

 白い服と紺色のスカートを履いており、手には手提げバッグが握られている。

 女の子は私のことを見上げて首を傾げた。

「何かボーッとしてたけど、どうかしました?」

「えっ、あぁ………」

 自分の行動を振り返って納得した。

 公園でぶつぶつ話しながら空を見上げる人など、傍目から見れば変でしかないだろう。

 それにしても歳の割にしっかりとした子ですね。礼儀正しく、それでいて物怖じしていない。

「ちょ、ちょっと人を探してるんです。変なことしてるわけじゃないんですよ」

「そっかぁ。お姉ちゃんと同じ制服だし、今下校時間だもんね」

 安堵の息を漏らして、堅い言葉遣いが少し崩れた。

「お姉さんがいるんですか?」



「うん。でも今日風邪で学校お休みしてるの。昨日からずっと家で『うぅ………』って唸ってて」



「えっ?」

 一つの可能性が浮かび、私は目を見開いた。

 たまたまかもしれない。でも………

「あの、これに見覚えありませんか?」

「ん?」

 私は屈むと、手に持っていたヘッドフォンを少女に見せた。

「あっ!お姉ちゃんと同じヘッドフォンだ!何で持ってるの?」

 身を乗り出した彼女の持つ手提げバッグの端には、『終夜よすがら 糸魚いとよ』と書かれている。

 終夜………やっぱり、間違いない。何という偶然!

「私お姉さんの、終夜さんの友達なんですが………」

「お姉ちゃんに友達⁉︎」

 余程意外だったのか、大きな目をパチクリとさせた。

 姉『の』友達って驚くのではなく、姉『に』友達って驚くんですね。

 まぁ私もあまり人のことは言えないんですが。



 私は昨日からの経緯をザックリと説明した。

「………というわけで、終夜さんにこれを渡したいんですが、家が分からなくて」

「へぇ。それなら、私が案内する?」

「いいんですか?」

「うん、困ってるんでしょ?こっちだよ」

 糸魚ちゃんに案内されるままに、私は細い道を歩いていった。



「ここだよ。入って」

 小さな一軒家の前で彼女は足を止めた。

 家を囲む塀には『終夜』と書かれた表札が貼ってある。改めて終夜さんの家に来たんだと実感する。

「お邪魔します」

「ちょっと待ってて。お姉ちゃん起こしてくる!」

 私が玄関に入るなり、糸魚ちゃんは靴を脱いで二階へと駆け上がっていった。

 別にわざわざ呼びに行かなくても、というか風邪ひいてる人を無理矢理起こしてしまっていいのでしょうか?

 しかし下手に動くのも失礼なので、耳を澄まして上の様子を伺う。


「お姉ちゃーん!起きてー!」

『んっ、何?うるさいなぁ………』


 弱々しい声だが、微かに終夜さんの声が聞こえた。大声で起こされたからか、どこか疲れているような声だ。

「お姉ちゃんにお客さんなの!」

「お客さん?宅急便ならアンタが受け取っといてよ………」

「違うよ、学校の人!」

「学校の?誰………?」

 2階から何やら言い合っている声が聞こえる。

「昨日お姉ちゃんと遊んでた人。ヘッドフォン届けに来てくれたの!」

「ヘッドフォン?遊んでた………って、えぇッ⁉︎あっ、うわわッ⁉︎」



 ドンッ、ガタンッ‼︎



 いきなり大きな声をあげたかと思ったら、叫び声と共に何かが落ちたような音が響く。


「お姉ちゃん大丈夫?」

「う、うるさい………」


 どうやらベッドから落ちたようですね。痛そうに呻く声が聞こえるんですが、大丈夫でしょうか。

 それにしても、終夜さんがあんな大きな声を出すなんて初めてですね。


 少しして、階段を降りて終夜さんが顔を覗かせた。

「万代さん………」

 水色と白のストライプのパジャマを着た終夜さんは、私を見るなり俯いた。

 さっきまで寝起きだったと言わんばかりに、髪は所々寝癖が跳ねている。いつも気怠そうな目元がさらに重そうだ。

 終夜さんの後ろに続いて、ランドセルを下ろした妹さんも降りてきた。

「こんにちは。風邪だと伺ったのですが、大丈夫ですか?」

「あぁ、うん………」

 さっきから私のことをチラチラとは見るものの、目を合わせようとしない。

「あの、もしかして急に来て迷惑でしたか?」

「えっ?う、ううん、全然!そうじゃないんだけど、さ………」

 首を振った終夜さんは、目線を泳がせながら眉間に皺を寄せる。


「う─────ん…………うん」


 何故か頷くと、終夜さんは廊下の奥へと進んで部屋に入った。

「お姉ちゃん?台所で何してるの?」

 妹の質問に答えることなく、終夜さんは台所から出てくるなり階段を昇ってしまう。

 ガチャガチャと音を立てると、すぐに戻ってきた。手には小さな紙切れとお金が握られている。

「糸魚。ちょっとスーパーで買い物お願い」

「えぇ〜、今帰ってきたばっかりなのに!」

「夕ご飯が無いの。余ったお金で何か買っていいから。はい、メモ」

「うーん………分かった」

 渋々ではあったが、糸魚ちゃんはメモとお金を受け取って出て行った。


「一人で行かせてしまっていいんですか?」

「大丈夫。たくさんは頼んでないし、よくあることだから」

「そうなんですか?」

 あんなに小さな子が頻繁に行くものなのでしょうか?まぁ、それは家庭の事情によるのでしょう。




「えっと………それじゃあ、私の部屋来る?」

「いいんですか?風邪ひいてるのでは?」

「あぁ………も、もうほとんど大丈夫だよ。ここで話してるのもアレでしょ?」

「そ、そういうことでしたら」


 靴を脱いで揃えると、終夜さんに続いて階段を上がっていった。どうやら親御さんはいなさそうだ。

 よく考えてみたら、誰かの家にお邪魔するなんて初めて………ですね。

「どうぞ」

 終夜さんの部屋はとてもさっぱりとしていた。

 私もそれなりに整理はしているつもりだけど、それとは違う潔白さがある。

 パッと見た感じタンスの上に学校のバッグがあり、隣の本棚に教科書や小説が並んでいる。

 けど逆に言えばそれだけ。趣味でいっぱいの私の部屋とは、ある意味で正反対だ。




「その辺座っていいよ」

「失礼します」

 私は座ると、バッグからヘッドフォンを飛び出して渡す。

「あの早速ですが、これ」

「ありがとう。なんかごめんね、ここまで届けてもらっちゃって。しかもこんな格好で」

「仕方ありませんよ、寝ていたんですから」

 それに終夜さんのプライベートを知れて、ちょっと嬉しいという気持ちもある。


「こちらこそ、昨日は途中で寝てしまってすみませんでした」

「ッ‼︎」


 するといきなり終夜さんが固まってしまった。息すら止まって、段々と顔が赤くなる。

「よ、終夜さん?どうかしました?」

「い、いや………別に。ちょっと、フラッシュバック………」

「えっ?」

「な、何でもないよ!気にしないで、ね」

 雑にはぐらかされているが、話してる本人はとても必死そうだ。

 真っ赤になった顔を伏せて、落ち着きなく手をバタバタさせている。

 大丈夫とは言っていたが、やっぱりまだ風邪が苦しいのでしょうか?




「終夜さんが寝かせてくれたんですよね」

「えぁ、うん、まぁ………」

 やっぱりか。気を遣わせてしまって、本当に申し訳ない。そんなに眠くなかったはずなんですが。

「あ、あのさ………万代さんは、昨日あの後何したの?」

「昨日ですか?いつも通りでしたけど」

 たしか………起きてからご飯食べて、お風呂入って、宿題やって、寝る。特に変わりのないいつものことだ。

「そっか………やっぱり」

 俯いた終夜さんは、人差し指で床をぐりぐりと押しながら、身体を左右に揺らす。



「どうかされたんですか?」

「う、ううん。あっ、それよりさ。何で糸魚と一緒にいたの?」

「公園でたまたま会って、家に案内してくれたんです」

「あぁ、なるほど。アイツ、変なこと言ってなかった?」

「全然。むしろ困っているところを助けていただきました。しっかりとした妹さんですね」

「ただの世話焼きだよ。お節介になってなければいいけど」

 終夜さんは肩をすくめて笑った。


 けど私は、そういう優しいところは姉妹揃って似てると思うんですけどねぇ。そこは姉妹だからこそ、なのでしょうか。

「ふふっ」

「えっ?な、何で笑ったの?」

「いい姉妹だな、と思いまして」

「そう?」

 こんな風に当たり前のように家族のことを話せる。それはきっと大切に思っている証拠です。

 本当、羨ましいなぁ………




「それでは、私はこれで」

「帰るの?」

「急に押しかけてしまいましたから。長居は良くないでしょう?」

 私は立ち上がると荷物を持った。

 終夜さんは玄関まで見送りに来てくれる。

「ゆっくり休んでくださいね。学校で待ってますから」

「うん、ありがとう」

 終夜さんに背を向けて扉のノブを掴むと



「あ、あのさ………!」



 割と大きめな声で呼ばれて驚いた。

 呼び止められて振り向くと、終夜さんは目を泳がせる。

 しばらく口をパクパクさせてから、声を絞り出す。

「その、昨日………」

「どうしました?」

「え、えっと、実は私………」

 言葉を紡げば紡ぐほど、終夜さんの声は小さくなっていく。

 何かを堪えるように唸っては、行き場を無くしたように息を吐き出す。

 そんなことを繰り返すこと四回。

 呼吸を整えるとようやく口を開いた。



「てぃ、ティーカップ、テーブルに置きっぱなしにしちゃったんだけど………気づいた?」



 ………えっ?そんなことですか?

「えぇ、大丈夫ですよ」

「そ、そっか。それならいいんだけど………」

 たしかにテーブルにカップは置きっぱなしだったけど、起きた時に気がついたからすぐに洗った。

 もしかしてさっきからずっと様子変だったのは、これを気にしていたから?

 意外、といったら失礼かもしれませんが、とても礼儀正しいんですね。気にしなくてもよかったのに。

「それでは、さようなら」

「うん、またね」




 万代さんが出て行くのを、私はボーッと眺める。

「はぁ────────」

 彼女の姿が見えなくなり、長いため息をついてその場にしゃがみ込む。

 言えるわけないよなぁ。何やってるんだ私………



 一人で悩んで、一人で慌てて、一人でみっともなく唸って。客観的に見ると目も当てられない。

 余韻の熱がまだ燻っていて、頭がボーッとする。

 こんなことするために万代さんを家にあげたわけじゃないのに。

 でもそれじゃあ何のためだったのかと言われれば、それは分からない。

 万代さんは昨日のことを覚えていない。

 そんなことは分かりきってたし、それを酷いことだとは思わない。




 でも、もし奇跡的に覚えていたとしたら。今は思い出せなくても、何かの拍子に思い出したら。

 そうしたら………いやいや!何考えてるんだ。万が一思い出そうものなら、それこそもう目も当てられない。

 お互い気まずくなるし、何より万代さんは今以上に罪の意識に苦しむことになる。

 そうすればしばらくの間、下手すればずっと一緒にいれなくなるだろう。


 知ってるのは私だけなんだ。私が知らないフリしておけば、何事も無かったことにできる。

 できる、けど………


「うにゃあぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ‼︎」

「お姉ちゃん、うるさいんだけど」

 言われて顔を上げると、買い物袋を肩にかけた糸魚が私を見下ろしていた。


「うわっ!か、帰ってたの………」

「ちょうど今ね。さっきの人は、もう帰ったの?」

「うん、まぁ………」

「それなら休んでたら?顔赤いし、まだ熱あるんじゃない?」

 糸魚は呆れたように言って靴を脱ぐ。

 ひ、人の気も知らないで………




 いや、今は考えるのやめよう。

 元々万代さんと顔が合わせられなくてズル休みしたが、これ以上考えたら本当に具合が悪くなりそうだ。

 今は何も考えず、機会が来たらちゃんと考えよう。

「あっ、そうだ。お姉ちゃん、これ」

「何、んっ!」

 振り向くと、糸魚が私の口に何かを入れた。やや硬い食感と優しい甘さが口に広がる。

 これって………ドーナツ?

 糸魚の手元を見ると、スーパーで売ってる50円くらいのミニドーナツを持っている。

「お金余ったから。はい」

 差し出されたドーナツを受け取った。

 よく見ると他のお菓子も買ってる。どうやら、私の分のお菓子も買ってくれたらしい。

 糸魚にしては珍しいことだ。




「ありがとう。でも、何で?」

「お姉ちゃんに友達がいた記念」

 忘れようとしてたことを思い出させてくれたお礼に、残りのドーナツを口にねじ込んでやった。

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