第8話 求められるカラダ

 初めて誰かと触れ合ったのはいつか。


 まぁ当たり前だけど生まれた時だ。覚えてないけど、大抵そうだろう。

 そう考えると、人は誰かと触れ合うことで生きていられるとも言える。

 つまりは人は一人じゃ生きれないわけだ。

 そして当然、人には生存本能って欲求があるわけで。

 でもただ生きていればいいってわけじゃない。自分が生きている事を、誰かに知って欲しいと思う。受け入れて欲しいと願う。

 全員に存在を忘れられたら、存在を拒絶されたら、もう生きていないも同然だ。

 人の存在こそが人の命。その存在は、誰かと触れ合うことで維持できる。

 そもそも何でこんな事を考えたのか。

 私を食べた悪魔が言っていたのだ。意識の薄れる中、ぼんやりとだけど聞き取れた。


『俺を忘れるな』と。




「んっ、んん………」

 目を覚ますと、見慣れない天井が広がっていた。

 部屋の明かりが入って、思わず目を細める。

 外からはまだ雨の音が聞こえるが、小雨程度にはなったようだ。

 温もりとふわふわした感触に包まれていて、また目を閉じたくなる。

 でも全身から違和感を感じた。


 いつもとは何かが違う。


 熱でも出したかのように身体が気怠い。それに指先にまで広がる熱は、初めて感じるものだった。そのせいか頭もぼんやりする。

 特に右手が熱い。しなやかで柔らかい温もりから、自分の脈動が反響してくる。

 とりあえず起きて…………ん?

「はっ………えっ?」

 ようやく今の自分がだいぶ変な状況にいることに気がついた。



 何で私、見慣れない部屋で寝てたんだ?というかここどこ?



「えぇッ⁉︎」

 それまで身体に流れていたモヤが一気に吹き飛んだ。身体を起こして周りを確認する。


「よぉ、やっと起きたか」


 真隣で声がした。誰かはすぐに分かったが、聞き慣れた声よりも低い。

「あぁ………あぇッ⁉︎ひゃッ!きゃあッ⁉︎」

 声に釣られて斜め下に目を向けた私は、驚愕のあまり目を見開いた。

 ついでに自分の身体が視界に入り、いよいよ頭の中がパニックになる。

 その衝撃に押されたかのように、欠けていた記憶が流れ込んでくる。


「あっ…………………」


 初めて絶句というものを味わった。声が出せず、その場に固まる。

 頭がついていかないにも関わらず、記憶は止まることなく全て押し込まれた。時間が経てば経つほど、現状が受け入れられなくなる。

「うるせぇな、デケェ声出すんじゃねぇ」

 ウザそうに悪態をつくのは、私の隣で既に体を起こしていた万代さんだ。私服のまま、私のことを見下ろしていたようだ。

 粗暴な口調から人格が入れ替わっているのは言うまでもなく、すぐにでもその場を離れないといけない。

 それなのに私は、そんな彼女の前で一時間近く無防備な姿を晒していたというのか。

 でも、今の私にはそれを後悔する余裕もない。恥ずかしさで蹲ることが精一杯だ。



 当然だ。今の私は服を着ていない。



 一糸纏わずベッドに横たわっていたのだ。

 そのベッドの周りには、さっきまで着ていた服が無造作に捨てられている。

 嫌でもさっきまでのことが思い出される。

 万代さんにされたこと、それを受け入れてしまったこと、その時私がどんな風だったか。

 夢だった。そう思ってしまいたい。

 でも無理だ。全部身体が覚えてる、どれだけ拒絶しても、記憶は鮮明にしかならない。



 混乱と羞恥に悶える私に、万代さんは迫ってきた。壁に追い詰められて、逃げられなくなる。


「それじゃあ、早速続きといくか」


 身体を隠していた腕を掴まれて、無理矢理開かされる。

「きゃっ!なに、いきなり………」

「お前が一回でへばったから、ロクに楽しめなかったんだよ。体力無さすぎだろ」

 目を細めると、見せつけるように胸元に唇を触れさせた。そこから首筋まで舌先でなぞる。

「んっ!やめ、てっ………!」

「そんな震えた声して、煽ってるようにしか聞こえねぇよ」

「あっ………ちがう、からぁ、ひゃっ!」

 止めようとすればするほど、万代さんは楽しそうに攻めてくる。

 耳が甘噛みされて、淡い痛みと熱が全身を痺れさせる。

「ハァ………嘘つくんじゃねぇ。感じてるの、バレバレなんだよ」

 低い声が耳の奥から全身へと広がった。

 絡みつくように抱き締められ、私の身体の全てを知られてしまっている。

「ほら、さっきみたいに鳴いてみろよ」

 私の言葉なんか聞くつもりがないように、もっと奥へ奥へと侵入してくる。

 それはまるで………

「ほ、本当に、待って………!」

 私は身体を硬直させて、何とか動きを止められた。震える声で尋ねる。


「何を、して欲しいの………?」


「………あぁ?」

「な、何かして欲しいなら、聞くから………」

 自分でも何を言ってるんだろうとは思う。

 でも、何となくそう感じた。

 まるで子供の癇癪のように迫ってくる万代さんは、何かを必死に訴えているように見える。

「………」

 万代さんは黙ったまま、一歩も退こうとはしない。

 やっぱり、無意味なのかな?


「俺は………」


 一瞬口を開いたと思ったら、万代さんが私の方へと倒れてきた。

「へ?きゃっ!」

 襲ってきた時は違う、力の抜けた抱擁を咄嗟に受け止める。

「えっ………よ、万代さん?」

 慎重に寝かせて顔を覗き込むと、まるで眠ったように目を閉じていた。

 もしかして………人格が引っ込んだ、のかな?

 思わず起こそうになるが、今起きられてまともに話なんか出来るわけない。

 そう思ったら熱くなっていた頭がゆっくりと冷めて、ここにいるのが怖くなった。

 ベッドから抜け出して借りた服を着ると、部屋から飛び出した。


 まだ雨が降っているというのに傘をさす余裕もなかった。無我夢中で走って、どんな風に帰ったのか覚えていない。

 息は切れてるし、上手く身体に力は入らないし、ハタから見たらさぞ滑稽な姿だったことだろう。

 初めて通る道もあったはずなのに、何とか迷子にはならずに帰って来れた。

 家に着くと真っ直ぐ自室に向かい、バッグごとベッドに突っ伏した。

 見慣れた部屋、いつも自分がいる部屋だ。


 帰ってのんびり寝る。

 いつもなら心安らぐことも、今日はちっとも落ち着かない。

 頭に浮かぶのはさっきまでのことばかり。

 休んでるはずなのに、息は荒くなるし身体は熱くなる。

「はぁ、はぁ………あぁ…………!」

 もう服を着て一人でいるはずなのに、まだ万代さんに身体を触られているように感じる。


 万代さんは友達で、そういう意味では好きだ。

 でも私はそういうアレではない。それに顔は同じ友達でも、人格は全く違う他人。

 いきなり身体を求められて、嫌悪感とまではいかなくても抵抗はあった。


 それなのに身体を重ねた今はどうだ。

 あの時の熱が、感触が、目に映ったものが、感情が、頭から離れない。

 無理矢理忘れようと額を枕にこすりつけて、赤ん坊のように丸まった。

 さっきまで打たれていた雨に混じって、ふんわりと花のような香りが漂ってきた。それは私の来てる服からか、それとも私の体からなのか。でも、確かにわかることがある。


 これ、万代さんの匂い………


「うぅ………‼」

 昨日まで知らなかった彼女の匂い。

 こんなにもすぐにわかってしまうほど、身体が覚えてしまった。

 その事実がさらに私の心を締めつける。

 あれだけ嫌だと抵抗したのに、いざ解放されたら思い出してばっかりだ。

 まるで喜んでいたかのように。

「うっ、あぁ、はぁ………」

 もうダメだ。身体に熱が溜まって、理屈だけじゃどうしようもできない。

 どんどん分からなくなっていく自分が嫌になる。

「万代さん………」

 心の中に生まれたドロドロとしたものに目を背けて、私は丸まったまま自分の服の中に手を入れた。




 一方その頃。

「んっ………おや?」

 自室のベッドで目を覚ました私は、寝ぼけ眼で部屋を見渡す。

「私、寝てしまって………そうだ、終夜さん………あれ、いない?」

 寝る前の記憶が蘇り、一緒にいたはずの友達を探す。しかしそこに彼女の姿はなかった。

 部屋にはティーカップが二つ、テーブルの上に置きっぱなしになっている。

 時計を見ると、時間は18時半。たしか寝る前に見た時は16時半程だった気がする。

 つまり二時間近く寝てしまったようだ。

「あぁ、そんな………」

 私は頭を抱えて項垂れた。

 友達を家に呼んだというのに寝てしまうとは。しかもベッドの上にいたということは、終夜さんが寝かせてくれたのだろう。

 もてなす側なのに逆に気を遣われてしまうとは。明日謝っておいた方がいいかな。

 せっかく色々話せて、距離を縮められると思ったのになぁ………


「はぁ、仕方ない」

 ため息をついて立ち上がろうとすると、足元に何か落ちていることに気がついた。

「ん?これは………ヘッドフォン?」

 よく見てみると、いつも終夜さんがつけているヘッドフォンだった。

 そうか。シャワー浴びたんだし、一旦外していた気がする。

 それにしても、いつも身につけているものを忘れてしまうとは。

「ふふっ、意外とうっかりしてるんですね。明日返してあげましょう」

 ヘッドフォンを自分のスクールバッグの上に置くと、夕ご飯を作るためにキッチンへと向かった。


 その後シーツに染み込んだいくつかのシミに、私が気がつくことは無かった。

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