第6話 二人で水やり
翌日
いつものように学校へやって来て、私は自分の席に座る。
本を読んでいると、今となっては聞き慣れた声が届いてくる。
「おはようございます」
教室に入って来た万代さんは、会う人に軽く挨拶する。
昨日無断欠席したため何人かは心配しており、何事も無さそうで安堵してる者もいる。
荷物を置くなり教室を出て、花壇へと向かった。水の入ったじょうろを持ってしゃがむ。
「昨日はお水あげなくてごめんね。暑くなってきたし、たっぷりあげるね」
風に揺れる花に微笑み、彼女は水をかけていく。その笑顔はこれまでと変わらない慈愛に満ちたものだ。
よかった。
昨日見た時はあまりに元気がなくて、すぐには立ち直れないと思ってたし。一応何とかなったっぽいかな?
教室に戻ってきてからも特におかしな様子はなく、とりあえずは落ち着いたということでいいだろう。
しかし距離が縮まったといっても、元々全く話していなかった人だ。それに万代さんは人の目を集めやすいし。
席も遠くて、声がかけやすい距離ではない。
何となく話しかけづらくて、結局何も話さないまま全ての授業を終えた。
授業後の掃除も終わり、あっという間に放課後になる。
さてこれからどうしたものかと考えながら荷物をまとめていると、彼女が私の席にやってきた。
「終夜さん」
「あぁ、万代さん」
それだけ。
お互い対人会話レベルの低さが見て取れる。まぁ仕方ないけどさ。
「えっと………こんにちは、でいいんですかね?今日はまだ、挨拶してませんし」
「そうだね。こんにちは」
ぎこちないが丁寧に挨拶を交わす。
「すみません。何度か声をかけようと思ったのですが、なんて声かけていいのか分からなくて………」
「気にしないでよ、私もだから」
それに学校で彼女と話してたら悪目立ちしそうだし、これはこれでいい気がする。
「もう帰るの?」
「はい、今日は午後の水やりも終えましたから」
「それじゃあ行こうか」
私達は共に校舎を出ると、他の学生達の間を抜けていく。
そういえば、こんな風に誰かと帰るなんて初めてだ。
こうして歩いているだけでも、万代さんは周りから時々注目を集めている。
女性の私から見ても綺麗だと思うし、やっぱり人気なんだなぁ。
そんな彼女と並んで歩くのが気まずくなり、自然と猫背になってしまう。
「終夜さん、そんなに丸まって歩きにくくないですか?」
丸まっていった私が気になり覗き込んでくる。
「いや、周りからの目が………」
「えっ?あぁ、なるほど………」
周りを見て万代さんは頷いた。
さすがに多少なりとも自覚はあるようだ。苦笑いして頭を下げる。
「何か申し訳ありませんね。私のせいで」
「いやいや、万代さんは悪くないって。逆によく平気だね」
「そうですね。慣れちゃいましたから」
毎日こんなことされてたらさすがに慣れるか。それでも大したものだと思うが。
人混みを抜けて静かになった道を歩きつつ、私は気になったことを聞く。
「そういえばあれからどうなの?えっと、もう一人の方」
「あぁ、そのことですか」
もう一人の方、つまり万代さんの裏の人格だ。
イマイチなんと呼んでいいか分からないので、今は適当にボカしておく。
「どうと聞かれましてもね。そもそも私は、まだ見たことも聞いたこともないので。正直、終夜さんの怪我が無ければまだ信じてません」
「まぁそうか」
万代さんは困ったように頰をかく。
自分にもう一つの人格があるなんて、普通なら言われても信じれないだろう。
「昨日は普通に寝ましたが、その間に何かしてないか気が気じゃありませんね」
「何とか押さえつけるのは………無理か」
「それが出来ればどれだけ嬉しいか………」
でしょうね。
本人からすればどこにどんな風にいるのかすら分からないわけだし、それを御するなんて無理か。
この際創作でもいいから、何か対策とかないものか。
私はスマホを取り出して検索をかける。引っかかったものにザッと目を通す。
「うーん………どれも、人格と関われてること前提か」
「やっぱり、一度話さないといけないんですかね」
遠い目をする万代さんは、どう見ても乗り気に見えない。
そりゃあ自分の体使って好き勝手やってた人なんて、話すどころか会うのも嫌だろう。
「あっ、これなら寝てる間は大丈夫かも」
「本当ですか⁉︎教えてください!」
「寝てる間手足を拘束する」
「そ、それは、ちょっと………たぶん寝れなくなります」
万代さんはやや引きで首を振った。
まぁそうだろうね。大体、これ二重人格というか夢遊病の対策だし。
というか裏の万代さんはこっちの様子見れるって言ってたし、これやっても解除されるか。
「そもそも意思疎通ってどうやってやるんですか?人格が変わる時、私意識飛んでるんですが」
「私に聞かれてもなぁ」
生憎私は当事者でもなければ専門家でもない。ネットで調べるくらいしかできないし。
ん?待てよ………
「そうか、専門家に相談すればいいんじゃない?」
病気が発覚した時の一番良い対処法。それは医者に行くことだ。別に私達で解決する必要はない。
万代さんの場合だと精神科医とかでしょ。この辺にあるかな?
「あっ、この辺にもいくつかあるよ」
「それは、嫌です」
割とまともな案だと思ったが、今度ははっきりと断られてしまった。
少し意外だ。万代さんなら、治すために乗り気になると思ったんだけどな。
「何で?病院嫌い?」
「そうではありませんが………ほ、ほら、万が一人格変わって人に危害を加えたらいけませんし!」
「………そっか」
しどろもどろになった話し方から、それが理由の全部じゃないのはすぐに分かった。
でも俯いてしまった彼女に、それを言及する気は起きない。
まぁ彼女自身の問題だ。自分の危険性を踏まえて嫌だというのなら、私が強要する必要もないだろう。
「人を傷つけるような性格なんて、このまま一生出てこなければ良いのですが………」
俯いたまま、万代さんは不安で表情を曇らせる。
乗り切ったとはいえ、まだ自分のことを完全に整理できたわけじゃない。
自分が人を傷つけてしまうことにまだ怯えているようだ。少し体が震えている。
私は宥めるように背中をさすった。
「まずは落ち着いていよう。何かあっても、落ち着いてれば解決できること結構あるし」
「終夜さん………そうですね、ありがとうございます」
話しながら歩いていたら、公園まではあっという間だった。
「さてと………」
公園に着くと、万代さんはすぐさま裏に回った。
そこには小さめの物置き場があり、そこに昨日持っていたじょうろがあった。
それを持って、近くの水道で水を汲む。花壇まで慎重に運ぶと花にかけていく。
「この花って、万代さんが植えたの?」
「いくつかは、ですけどね。管理人さんとお話しして、ここに合ったものを植えてるんです」
ザッと花壇を眺めてみて、分かる花もいくつかある。
「奥にあるのってアジサイ、だよね?花壇で植えるってイメージ無かった」
「この時期を象徴する花ですから。
「そうなの?」
「花の色素であるアントシアニンが、土の酸性度を教えてくれます。まぁリトマス試験紙でpH測るようなものです」
へぇ、あれって花とかでも反応したりするんだ。
増えた知識を噛み締めて、心地よさそうに揺れる紫の花をボーッと眺める。
「あとはホウセンカとか、サルビアとか、ユリとかですね」
いくつか分からないものがあったが、どれも綺麗に咲き誇っている。
「よく花の種類とか覚えられるね。記憶力すごいじゃん」
「そんなことないですよ。みんなそれぞれ違う個性があるから、覚えられるんです」
「個性ねぇ」
たしかに花それぞれに違いはあるが、だから何だとしか思えない。
「みんながバラバラの個性を持ってて、みんなが美しく輝ける。素晴らしいですよね、お花って」
花を見つめて万代さんは微笑んだ。
心底楽しそうな笑みに釣られて、私も笑ってしまった。
少し見すぎてしまったのか、万代さんが振り向き首を傾げる。
「終夜さん?どうかされましたか?」
「ううん、何でもない。もういいかな?」
「そうですね。付き合ってもらいありがとうございました」
「いいよ、私から言い出したことだし」
どうせ帰り道の途中なんだ。これくらいどうってことはない。
「それじゃあ、また明日」
「はい。また明日」
私は公園で万代さんと別れると、一人でのんびりと細い道を歩いていく。
さっきまで話していたからか、一人になった途端に静かに感じる。いつも一人で帰ってるはずなのに。
誰かと一緒に帰って、その人の日課に付き合うとは。ここ最近初めてのことが立て続けに起こる。まぁ原因は一人なんだが。
「これから、毎日こんな感じなのかなぁ」
私はさっきまでのことを思い出す。
二人で歩いて、話して、笑って。
新鮮だなぁ。こんな風に誰かといたことをちゃんと覚えてるなんて。
それだけ私も楽しめたということだろうか。それなら………
「悪くはないかな」
これが友達といる感覚なのかな?
少しだけ暖かい風が耳を撫でて、私はあることに気がついた。
「あっ、ベッドフォンし忘れた」
これも初めてのことだった。
「ただいま」
そう言っても返ってくる言葉はない。
帰ってきた一葉は自分の部屋にバッグを置き、リボンを取って制服を脱ぐ。
暖かくなってきたのでこのままのんびりしてもいいのだが、万が一人が来た場合困るので適当に部屋着を選んで着る。
ベッドに座ると、身体を伸ばしてリラックスした。
「う〜〜〜ん!ふぅ………今日はいつもより、楽しかったですね」
理由は明白だ。
いつも一人でやってた花壇の水やり。
それもそれで楽しかったけど、誰かと一緒にやっていると別の楽しさがあった。
人から見られることは多かったけど、人と話すことはほとんどなくて。
だから当たり前のように、誰かと一緒に日常を楽しむみんなが羨ましかった。
普通にお話したり、一緒に帰ったり、その途中で好きなことしたり、そんなことが出来たらと考えていた。
「全部、叶っちゃったんですよね」
自分の中のもう一つの人格。
その存在が分かってから、どれほど自分が怖くなったか。今だって、誰かを傷つけてしまうのが怖い。
もう誰とも関わってはいけないとすら思って、抱えてた理想も捨てようかと思ってた。
でも、彼女が助けてくれた。自分が傷つけてしまった人が、手を伸ばしてくれた。
こんな自分にできた、初めての友達。
「終夜さん。優しい人だなぁ」
特別変わった人ってわけじゃない。むしろ普通とも言える。
でも、その普通さが嬉しかった。
自分のことを知っても遠ざけたり、必要以上に気にしたりしない。ただそばにいて、手を貸してくれる。
だからこそ一葉自身も、これまでの自分でいることが出来ている。
「明日も、会えるといいな………」
間違いなく会えるはずなのに、言葉にせずにはいられない。
心が温まり、笑みが溢れる。
リラックスした上に身体を横にしたからか、だんだん眠くなってきた。
体の力が抜けて、ゆっくりと目が閉じていく。
陽が傾き、茜色の夕日がカーテンの隙間から一葉を照らす。
「………………ハッ」
眠った一葉の口の端が吊り上がり、吐息が漏れた。
「ヒヒッ、アハハハハハハッ!ヒャハハハハハハハハハハッ‼︎」
吐息は狂ったような嗤い声に変わり、次第に大きくなる。そして部屋の中へと声が響き渡る。
嗤った。横になったまま彼女は嗤い続けた。
やがて気が済んだかのように、嗤い声が小さくなっていく。
声が止んでも、上がった口角は下がらない。
長い舌が伸びて上唇をじっくりと舐めた。
「…………あぁ、会いてぇなぁ」
短い言葉と共に目が開く。夕日に照らされて、鋭い目は紅く輝いた。
「今度こそアイツを………食ってやる」
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