第5話 自分とは何なのか

 公園を離れて、私はいつも通りの帰り道を歩いていた。

 万代さんと話せて、少なからず私も心が楽になった。たぶん彼女の心情を知れたからだ。

 でも私がしてやれることはもう無い。いや、あったとしてもしてやる気にならない。

 これからどうするかは万代さんが決めて、彼女自身で動いて欲しい。私はこれ以上、彼女の人生に関わりたくない。

 勝手かもしれないけど、それがいい。

 これで………


「おっと」


 うつむいて歩いていたせいで、向かいから歩いていた人にぶつかってしまった。

「痛ってぇな!」

「あっ、ごめんなさい」

 ヘッドフォンを外して短く謝る。

 ぶつかってしまったのは大学生くらいのチャラい男の人達四人組の内の一人だった。

 謝って離れようとするが、ぶつかった男性に肩を掴まれた。

「おいおい、ぶつかっておいてそれは無ぇだろよ」

 どうやらかなり神経質な人達………ってわけじゃなさそうだ。面倒くさいという点では間違いないが。

 絡んできた男達の視線は、私の太ももや胸元に向いている。

 その視線だけで、彼らの目的が何なのかがすぐに分かった。

 嫌悪感が体を走り、すぐにこの場を離れたくなる。

「はぁ、すみませんでした」

 元はと言えばぶつかってしまった私が悪いんだし、穏便に済ませようと頭を下げた。


「おいおい、歳上に対する礼儀がなってねぇな」

「俺らが教えてやるよ」

 男達はグッと距離を縮めてきた。

 もはや嫌悪感を通り越して、危機感が体を支配する。

 腕を掴まれて、近くの路地に連れ込まれてしまう。

「いやっ!や、やめて………!」

 最悪、何でこんな事に………

 必死に体を捩らせて、助けを求めようとした。


「終夜さん!」


 その時、路地の入り口から声がした。

 足音と共に駆けてきたのは、公園で別れたはずの万代さんだった。

 な、何で………?

「何だアンタ?」

「彼女のクラスメイトです。何があったか知りませんが、彼女を離してください!」

 状況を見れば、自分が入ったところで勝ち目がないのは確実。

 それでも万代さんは怯えることなく声をあげた。


「人に掴みかかるなんて、許されることではありません!警察を呼びますよ!」


 男達に睨まれても、万代さんは一歩も引かずに前に出た。

 その強さは素晴らしいものだが、それだけで済むほど物事は単純じゃない。

「あぁ?ガキが舐めてんじゃねぇぞ」

 自分より年下の女と分かるなり、男達は上から目線で見下してくる。

 私を助けようとしてくれた万代さんだが、自分よりも屈強な男達に勝てるわけもなく、逆に腕を掴まれてしまう。

「きゃっ!や、やめてください!」

「ホラホラ、さっきまでの強気はどうした!」

「そんなに遊んで欲しいなら、こっちでいっぱい遊んでやるよ」

 抵抗も虚しく路地の奥に引っ張り込まれてしまう。

「いや!離してください!」

 彼らの手が、万代さんの腕以外の所にも伸びていく。



「恨むなら馬鹿なマネした自分恨めよ。女が俺達の邪魔しやがって」

「ッ‼︎」

 男の暴言に万代さんは目を見開いた。

 掠れた息を漏らし、体の力が抜けたように目を閉じる。

「ぁ……………」

「何だよ、もう降参か?」

 抵抗しなくなって、男達は万代さんが観念したと思いニヤニヤと笑う。


 違う、これは………

 私が気づくと同時に、万代さんの口が動く。



「オイ、離せ」



「はぁ?」

 その直後、万代さんの手が自分を捕まえていた男の手を掴む。

 さっきまで振り払うことすら出来なかったその手で、男の腕を捻り上げる。

「ぎゃあぁぁぁッ⁉︎」



「ゴミ風情が、汚ねぇ声出すな」



 男の足をいとも簡単に払い、喉笛を踏み潰した。

「ぐへぇッ⁉︎がッ、あぁ………!」

 さっきまでロクに抵抗出来なかった女の子に仲間をやられて、男達は激昂した。



「何しやがんだゴラァッ‼︎」

 男達は私を離すと、万代さんに向かって殴りかかった。

 一人目の拳を難なく避けて、逆に彼の腹に万代さんの拳が突き刺さる。

「ぐふぇッ⁉︎」

 一撃で男は崩れ落ち、血反吐を吐いて倒れる。

「な、何だコイツ⁉︎」

「こうなりゃ、二人でやるぞ!」

「あぁ!」

 残った男達が二人並んで殴りかかる。



「揃いも揃ってダセェ顔並べやがって」



 自分に拳が届く前に、身を翻し足を思いっきり蹴り上げた。

 風を切った回し蹴りが一人の脇腹に突き刺さり、近くにいたもう一人もまとめて薙ぎ払う。

「ぐへぇッ⁉︎」

「ぎゃあッ‼︎」

 圧倒的な強さに、私はただボーッと見てることしか出来なかった。



「そんなに群れたきゃ、そこで仲良くくたばってろ」



「ぐっ!この………!」

 蹴り飛ばされた男達は、まだ意識がある。屈辱に顔を歪ませて反撃しようとするが、顔面を蹴られる。

「ぐふっ!」

 一瞬にして意識を刈り取ると、もう一人の首を掴む。見下す視線が、彼女の冷酷さを物語っている。



「ぐっ!た、頼む、見逃してくれ‼︎元はと言えば、そこの女がぶつかってきて、ぐあぁッ!」

「知るか。俺は今猛烈に機嫌が悪いんだ。死ね」



 殺気立った眼差しに男は震え上がった。

 掴んだ首を絞めると、万代さんは拳を振り上げる。

「がはッ!ぐっ、ぐふっ!あぁッ、やめ、がふッ!ぎゃあッ、あぁッ‼︎」



 まるで機械のように男の顔に拳を振り続ける。

 長い髪で表情は隠れているが、笑い声は聞こえない。

 楽しむわけでもなく、ただひたすらに殴り続けていた。

 拳が血塗れになっても、男の意識が朦朧になっても、止まることはない。

 相手にもう戦う意思はない。それでも構わず、彼女は拳を振るう。


 その様子を見て、私は戸惑う。

 本来なら放置した方がいいに決まってる。

 このままにしておけば、私は逃げられる。それに何より、私が止めに入ったらターゲットがこっちに変わる可能性もある。

 でも………



 自分が人を傷つけてきた。それを知った時の万代さんの絶望に満ちた顔を思い出す。

 ………はぁ



「待って!」



 気がつけば、私は万代さんの拳を止めていた。

 全力でしがみつき、何とか振り上げられた拳を止められた。

 自分の拳を掴まれて、万代さんは私の方を振り向く。


「テメェ………」


「おい!そこで何してる!」

 その時通路の出口あたりで声がした。どうやら騒ぎすぎて人が来てしまったらしい。


「チッ!オイ、こっち来い」


 すると万代さんは舌打ちして私の手を掴んだ。思いっきり引っ張ると通路を抜けて駆け抜ける。

 相変わらずの力で引きずられるようにしながら、私は何とか彼女についていった。

「はぁっ、はぁっ、ちょっ!待っ、はぁ………!」

 とはいえ息が切れて倒れそうだ。

 人気のない場所までつくと、ようやく万代さんは足を止めた。


「もういいか。ったく、ピーピー騒ぎやがって」


 周りの様子をうかがうと、ため息をついた。

 私と同じ距離を走ったというのに、万代さんは全然息切れしていない。


「ってか、テメェいつまで俺の手握ってンだ?ガキじゃねぇんだ、とっとと離せ」

「あ、あぁ、ごめん」


 ついて行くのに必死で手を握ってしまった。

 何とか息を整えて、私は頭を下げる。


「そ、その、助けてくれてありがとう」

「別に。あのままだったらコイツもやられてたからやっただけだ」


 まぁそうか。二人で一つの体を使ってるんだし、彼女にとっても傷ついてほしくないか。


「そっか。それじゃあ、私はこれで………」

「おい、待てよ」

 呼び止められて、私はその場に固まった。

「な、何かな………?」


 今度はどんな目に遭うのか、恐怖で身震いする。

 助けてくれたとはいえ、彼女が凶暴であることに変わりはない。昨日みたいに殴られるかも。


「ハァッ………ンなバカみてぇ顔してんじゃねぇよ。殴りゃしねぇって、今はな」

「はぁ………」


 予想外の行動に変な声が出た。

 詰め寄られるわけでも掴まれるわけでもなく、何だか肩透かしを食らった気分だ。


「テメェに聞きたいことがあるんだよ。何でコイツを助けようとした?」


「えっ?」

 私が、助ける?

 それってもしかして、私が公園で万代さんに言ったこと?

「俺は引っ込んでる間も意識はあるんだよ。だからさっきテメェらが公園で話してたのも聞こえてた。テメェのくだらねぇお言葉もな」

 近くのフェンスに背中を預け、万代さんは首の骨を鳴らす。

 万代さんが入れ替わってる間のことは何も知らなかったから、それは逆でもそうなのかと思っていた。

 しかしどうやら違うようだ。

「もう一度聞く、何でコイツを助けるようなことを言った。テメェからしたらいなくなった方が楽でいいだろ」

「何でって………」

 戸惑っていると、万代さんが迫ってくる。

 私に向かって手を伸びて、ついビクッと身体が跳ねた。

 しかしその手は私に当たることはなく、顔のギリギリ横を過ぎて後ろの塀を叩いた。逃がさないとばかりに、彼女の顔が肉薄する。


「俺らは見せ物じゃねぇんだ。面白半分で周りウロチョロされたら迷惑なんだよ」


 壁際に追い詰められて、おまけに壁ドンまでされた。威圧感に押し潰されそうだ。

 でも口調こそ悪いが、その意見は真っ当なもの。勝手に見せ物にされて喜ぶ人は少ないだろう。

 睨んでくる彼女から目線が逸らせず、私は思ったことをそのまま声にして絞り出した。

「その………たぶん、罪悪感とか」

「あぁ?」



「私のせいで、嫌な思いさせちゃったみたいで。これ以上追い詰めたくない、っていうか………責任取れないし」



 我ながら勝手な話だ。

 自分が苦しいからって、人の気持ちも知らないで変なこと言って。自分が楽になりたいだけなんだから。


「だから、今まで通りにしてほしいな、って」

「………ンだよそれ」


 万代さんが私の胸ぐらを掴み、額を突き合わせた。


「ふざけんじゃねぇ。テメェの自己満の情けなんざ反吐が出ンだよ」


 彼女の眼はただの怒りじゃない。言葉では言い表せないような複雑な感情が入り混じり睨みつける。

 悲しみ、恨み、卑屈………そして、喜びも。


「でもまぁ、今のコイツには必要なのかもな」

「えっ?」


 その一瞬だけ、私には彼女が笑ったように見えた。でもすぐに睨んでくる。


「オイ。テメェがどう思おうが、俺は俺のやりたいようにさせてもらう。あんま舐めたマネするようなら、今度こそ食ってやる」

「は、はぁ………」

「それじゃあ、またな」


 耳元で囁くと、体の力が抜けて万代さんが私の方に倒れてきた。

「うわっ」

 咄嗟に私は抱きしめて支える。元々力がある方ではないので、倒れた同い年の女子を受け止めて、何とか体勢を維持する。

 下手に動くと支えきれず倒れそうなので、そのまましばらく固まった。

 これ、どうしたらいいんだろう………



 すると数分経って万代さんの瞼がゆっくりと目を開いた。


「んっ、んん………よ、夜縁さん?」

「うん、大丈夫?」

「はい………って、夜縁さんこそ大丈夫ですか⁉さっきの襲っていた方々は?」

「落ち着いて、私は大丈夫だから」


 ガバッと起きるなり、心配されてしまった。まず自分の心配しなよ。

 どうやら元の万代さんに戻ったようだ。

「万代さんが助けてくれたんだよ」

「私が?」

 眉を顰めて自分の手を見つめる。

 彼女の手を見れば殴った痕や血がついている。さすがに気がつくだろう。


「ま、まさか………また私、人に暴力を?」

「うん、まぁ」

「そ、そんな………」


 絶望に打ちひしがれて、万代さんは膝をついた。うずくまり震える声を漏らす。

「もう嫌………何で、私はこんなことを………」

 自分のしてしまったことに嘆く万代さんは、とても見ていられない。

 今回は自分のせいでもあるんだ。それなのに………

「えっと、その、今回は私を助けるためにやってくれたの。だから万代さんは悪くないから」


「関係ありません‼︎」


 涙を地面に流れ、悲しみの声が路地に響いた。


「うっ………どんなに悪い人でも、人間なのに、傷つけるなんて。私なんか、いない方が………」

「万代さん………」


 やっぱりこうなるんだ。

 人の気持ちが洪水のように流れて、私の中へとなだれ込んでくる。自分の気持ちも何もかもを薙ぎ倒して埋め尽くす。

 心の中の『自分』がどんどん削られていくようで、自分が何なのか分からなくなる。

 だから人付き合いは苦手だ。

 それでも………今だけは、逃げたくない。

 だって今目の前にいる人は私と同じ、『自分』を見失ってるから。

 ただの罪悪感からだとしても、迷惑な自己満だとしても、それが僅かに残った今の『自分』だから。


「別に、気にしなくていいんじゃない?」

「えっ………?」


 私も膝をついて目線を合わせる。

「暴力がダメって分かってるなら、これから治せばいいでしょ。ていうか、ここからいなくなっても別に変わるわけじゃないし」

「それは………でも、一体どうすれば………」

「さぁね。でも、少なくとも自首して面倒なことになるよりは、このまま自由に色んなこと試した方が解決しやすいと思うよ」

 生憎私は精神科医ではないので、彼女の現状も最善策も分からない。

 分からないなりに、適当言ってるだけだし、流石にそれくらいは万代さんも分かってるはずだ。

 でも彼女はそれに怒ることはない。


「しかし、私がやったことは………人として、許されないことです」

「そうかな?今は誰も咎めてないけど」


 誰も咎めてないなら、許す許されない以前の問題だ。勝手に考えたところで無駄な時間でしかない。

「もう少し頑張ってみて、ダメだったらその時動く。それでも充分だと思う」

 どうせこれまで幾度となく問題は起こしてきてしまったんだ。今更焦ったところで意味はない。

 今自首しようが一週間後自首しようが、そんなもの誤差だ。


「万代さんは、明日何をしたいの?」

「私は………」


 もし本当に彼女が自首を望むなら、もう否定はしない。私も、出来ることはしてあげるつもりだ。

 日が当たらない物陰に、冷たい風が流れ込む。

 すると俯いた万代さんは、ゆっくりと私に身を委ねた。驚いたが、しっかりと受け止めた。

 彼女の体温が、じんわりと私の中へと染み込んでくる。

 私の服を掴み、額を胸元に押しつけた。


「わ、私は………いつも通りの日々を過ごしたいです………いつものように学校に行って、勉強して、お花たちのお世話をしてあげたいです………!」


 嗚咽と共に吐き出された言葉は、紛れもない万代さんの本音だ。

「それなら、他はとりあえず後回しでいいじゃん」

「でも、私は………!」

「外にいる時にしか記憶なくなったことないんでしょ?学校なら人目があって大丈夫だろうし、放課後は私が見てれば大丈夫じゃないの?」

「えっ………終夜さんが、ですか?」

「その方が、私としてもいいし」


 面倒ではあるが、裏返った方の万代さんは私に対して警戒心を緩めたわけじゃない。

 それならいっそ、極力一緒にいた方がいい。外の様子が分かるって言ってたし、一緒にいるの見てくれれば警戒心を緩めるかもしれない。


「まぁ、万代さんが迷惑じゃなければ、だけど」

「そんな………とても嬉しいです」

「それなら、決まりだね」

「はい。よろしくお願いします」

 顔を上げて、万代さんは微笑んだ。

 いつもは遠目で見ることしかなかった。今日初めて見る、慈愛に満ちた笑顔だ。

 その笑顔を見れたことが、不思議と嬉しかった。


 大して仲良くない人の悩みを聞いて、抱きしめて慰めるなんて。こんなの私らしくない。

 けど、それをしてあげる理由があるのすれば、それは………



「すみません。もう少し、このままでもいいですか………?」

「うん。いいよ」

 私は日が暮れるまで、初めてできた友達を抱き締めた。

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