向き合う人格と傷つくカラダ

第1話 彼女は豹変する

 突如性格が豹変した彼女を、私は物陰から呆然と眺めていた。

「コイツ!ふざけんじゃねぇ‼︎」

 男達は面食らったが、すぐに勢いを取り戻した。

 仲間をやられたことで激昂した彼らは、四人まとめて万代さんに殴りかかる。

 ガタイは悪くなさそうだし、相手は酔っ払い。フラついているがアルコールで痛覚が麻痺してて、殴った程度じゃそう簡単に対処は出来ない。

 それでも万代さんは軽く首を捻るだけだ。



「雑魚が」



 万代さんが呟く頃には、男達は彼女の胸ぐらを掴んでいた。

 しかし


「がはッ⁉︎」

「ぐふッ⁉︎」

「ぎゃあッ‼︎」

「ぐへぇッ⁉︎」


 瞬殺だった。

 掴んだ腕を捻られて、コンクリートの塀に顔面を五回叩きつけられた男が一人。足を払われて腹を蹴り飛ばされたのが二人。塀に頭を打ってすぐに気絶した。

 残り一人になると、彼女はその男の腕の関節を逆に曲げた。その男は万代さんの腕を掴んでいた男だ。

 捻られた腕からミシミシと嫌な音が鳴る。

「ぎゃあッ‼︎がぁッ!………や、やめッ………!」

「あ゛ぁッ‼がッ!………ヒッ、ぐふぅッ!」



「さっき俺が同じこと言った時、テメェらはどうした?」



 腕を折ろうとするだけでは飽き足らず、男の顔面を殴り飛ばした。

 一人称も『私』だったのに、今じゃ『俺』になっている。



「どうせ他の女にも手出してきたんだろ、あぁ?この腕へし折って、一生手出せないようにしてやろうか」

 男は失禁していて、もう戦う意志はない。それでも万代さんは殴る腕を止めることはない。

「ぎゃッ‼︎ご、ごめんなさ、がはッ‼︎ぐっ、ひぃッ、ぐへッ‼︎」



「ハハッ、ヒャハハハハッ!いい顔するじゃねぇか」



 笑っていた。

 さっきまで怯えていた彼女は、気でも狂ったように、笑って拳を振るっている。



 私は夢を見ているのだろうか。



 毎朝欠かさず花に水をあげ愛でている彼女が、大和撫子を形にしたようなお淑やかな彼女が、暴力と一番縁遠いと思っていた彼女が、笑いながら人に拳を振るっている。


 最初こそ見つからないように声を潜めていたが、今はもうショックで声が出ない。

 すぐにでもその場を立ち去るべきだった。すぐに逃げて、全てを忘れるべきだった。

 しかしショックと恐怖で動けなかった私は、逃げることはおろか隠れなければならなかったことすら忘れていた。

 足が震えていて近くに転がっていた木の枝を踏んでしまい、暗闇に音が響く。


「あぁ?」


 音を聞いた万代さんがこちらを振り向いた。

 彼女と目があった瞬間に、背筋が凍りつく。

 凍てついた眼差しに本能的な恐怖が駆り立てられ、思わず身がすくむ。

 ようやく逃げようと足が動き、目を逸らして振り返るが



「テメェ………」

 そこに万代さんが立っていた。私よりも背が低いはずなのに、まるで見下ろされてるように感じる。



 何で、離れてたはずなのに………?

 戸惑った一瞬の隙に、万代さんは方に手を出した。

 首を掴まれて、あっという間に塀に叩きつけられ追い詰められる。


「がはッ⁉︎ぐっ………‼︎」

 私と同じくらい細い腕から出てるとは思えない力で、あっという間に押さえつけられる。


 抗うことも出来ない上に、動脈と静脈を確実に指圧してくる。

 肺の中の空気が押し出されて、息苦しさで動悸が早まる。

「コソコソ覗きなんかしやがって。殺されても文句ねぇよな?」

 視線、言葉、行動、全てから本気の殺意が伝わってくる。

 息が出来ずに目の前がぼんやりとしてきた。

 薄れていく意識の中で、私は彼女の名前を呼んだ。


「よ、万代、さん………」


「はぁ?」

 万代さんは眉を顰めた。力を緩めることなく、顔を近づける。

「テメェ………まさか、ウチの学校の人間か?」

 どうやら私がクラスメイトということも覚えていないようだ。

 もっとも私はあまりクラスで目立つ人間でもないし、覚えられてなくても不思議ではない。制服ではなく私服だし尚更だろう。

「ぐっ、はぁっ………く、クラスメイト………」

「チッ!めんどくせぇな………」

 舌打ちした万代さんが私を睨みつける。


「おい、聞け。今日ここで見たことは誰にも言うな。俺にもだ。少しでも誰かに話してみろ。話したヤツとまとめて、テメェを殺す」


 今にも殺されそうな状況で、話の半分しか理解できない。しかし抵抗してはならないことだけはすぐ理解できた。

「分かったな?」

 もう言葉を発することも出来ず、私は小さく頷いた。

「フンッ!」

 ようやく手が離されて、私はしゃがみ込んだ。息苦しさから解放されて、地面に突っ伏す。

「がはぁッ‼︎はぁっ、はぁっ………!」

 もう私には目もくれず、万代さんはどこかへと行ってしまった。

 息が整い、私は立ち上がる。


 あれが、万代さんの本性なのだろうか。

 誰に対しても優しいと思っていた彼女は偽物で、あの凶暴な悪魔が彼女の本当の顔なのか。

 上手く考えがまとまらないが、とりあえずこの場から離れたい。もうこんな所にはいたくなかった。


 すぐに離れようとしたが、足元に落ちているものに目が向いて足を止める。

 それは小さな緑の花がついたストラップだ。先にはリボンとビーズのようなものがついている。

 こんなのさっきまで無かったよな。ってことは、これ万代さんのか。

 普段の万代さんを見ていれば、花を愛でる彼女らしいと和むだろうが、さっきの彼女を見てしまうと、どうしても不自然に思ってしまう。

 でも、わざわざ持ってるってことは、大切なものなのかもしれない。

 私はストラップを拾いリュックにしまうと、絞め上げられた首を撫でながら家に帰った。




 翌日


 目を覚まして、昨日のことがフラッシュバックしてきた。

 もしかしたら夢だったのかなどと考えたが、リュックの中に入っているストラップが現実であることを示している。

 混乱が治らず気分が悪い。正直学校にも行きたくないが、無断欠席は色々面倒なので、仕方なく家を出る。

 教室に着き読書をしていると、彼女はやってきた。


「おはようございます」


 万代さんは目の合った人に丁寧に頭を下げて挨拶をすると席に着く。

 荷物を席に置くと、すぐに中庭に向かい花の水やりをする。楽しそうで、優しい笑みを浮かべている。


 いつもと変わらない万代さんだ。昨日の悪辣な性格は微塵も感じない。

 その後、教室に戻ってきてからも変わらず、物静かで品のあるお嬢様だ。

 人の性格に表裏があるのは当たり前のことだけど、あそこまでしっかりと棲み分けが出来るものかね。

 もしかしたら意外としたたかなのかもしれない。

 まぁ、関わらなければ済む話だ。

 



 放課後になって、私は図書室に寄っていた。

 今週から新しい本が入ったと掲示があったので、何か良さげなラノベが無いかのチェックだ。

 目ぼしいものは借りてすぐに帰る、と言いたいところだけど、バスが来るまでもそれなりに時間がある。

 図書館は静かで良いが、時間を潰すには窮屈なので、自然と私は校舎を離れていた。

 外廊下を歩いていると、ふと中庭が目に入る。


「あっ」


 そこにいたのは万代さんだ。

 ここ最近暖かくなってきたし、夕方の水やりだろうか。

 そう思ったが、いつも持ってきているじょうろがない。

 花をかき分けて、何かを探している様子だ。

「ここには………ない。どこで落としたのかなぁ」

 何か落とし物でもしたのだろうか。不安そうな表情からして、大切なものなのだろう。

 ん?落とし物?

 一つだけ、彼女が探しているものに心当たりあった。それをバッグから取り出す。


 昨日拾ったストラップだ。たぶんこれじゃないかな?


 必死に探しているし、教えてあげるべきだろう。

 ただなぁ、昨日のことがどうしても頭をよぎり、彼女に声をかけることを躊躇ってしまう。

 でも………


「どうしよう………一体どこに………」


 今にも泣きそうになりながら、手を土まみれにして探している。

 別に誰かに見られてると思ってるわけでもない。それなのにあんな一生懸命に探してるんだ。

 どんな人であれ渡してあげるべき、だよね。

 すぐ渡してすぐ離れれば大丈夫………たぶん。


 私は様子を伺うようにゆっくりと近づく。

「あの、ちょっといいかな?」

「ん?はい、何でしょうか?」

 声をかけると、万代さんが捜索の手を止めて、こちらを振り向く。


 目線があって、改めて感じる美しさと同時に、昨日の恐怖が思い出される。

 それでもここで逃げたら、万代さんに不審がられるだけだ。落ち着いて深呼吸をする。


「あ、あの………何か探し物してるみたいだから………これかな、って」


 一定の距離を取りながら、そっとストラップを渡す。

 それを見て万代さんは目を輝かせる。


「ッ⁉そ、それです‼」

「えっ、ちょッ⁉」


 万代さんが飛び出して、私の手を掴んだ。

 大して仲良くもない人に手を掴まれて、思わず乱暴に振り払ってしまった。

「あっ、すみません。つい………」

「いや、こっちこそ」

 万代さんはストラップを大事そうに抱えて、大きく息を吐いた。


「はぁ………よかったぁ。ありがとうございます。本当にありがとうございます!」

「い、いや、気にしないで」


 よっぽど大切なものだったようで、若干泣き声だ。

 こんなに喜んでもらえたなら、勇気出した甲斐があったかな。

「それじゃあ、私はこれで」

 渡す物は渡したし、もういなくてもいいだろう。

「あ、あの、待ってください」

 すぐに逃げようとした私を、万代さんが呼び止めた。

「えっと、何でしょうか?」

「あなた………同じクラスの方、ですよね」

「まぁ………はい。夜縁 氷下魚です」

 自然と敬語になってしまった。まだ恐怖が抜けていないな。

「で、ですよね。もしかして、今日ずっとこれ渡そうとしてくれてたんですか?」

「えっ?」

「その………今日、ずっと私のこと見ているような気がしたので」

「あぁ………」

 さすがに気づかれてたか。

「まぁね」

 本当は違うのだが、これ以上面倒はゴメンなので頷く。

「そうですか。やっぱり、私って話しかけにくい、ですかね?」

「いや、そういうわけじゃ………」

「いいんです、分かってますから。私、昔から周りと馴染めなくて………」

 どうやら周りから浮いてるの気にしてるみたいだ。

 馴染めないとは言っているが、私とはまた別の意味でなんだろうな。

「そういえば、これどこで拾ったんですか?」

 万代さんはストラップを見せて首を傾げた。

「それは………」

 これ言っていいのか?

 本人にも言うなと言われたし、言わない方が………でも、聞いてきたのは向こうだもんな。

 まぁ全部言わなければいいの、かな?

「えっと………昨日、話した時に落としたと思う」

 あれが会話かどうかは議論の余地があるが、下手なことを言う必要はないな。

「昨日、ですか………」

 万代さんが俯いて、思わず私は身構えた。

 一応周りに人はいる。何かあったら大声で助けを………



「あの………失礼ですが、あなたと話すのは今日が初めてだと思うのですが」



「………はっ?」

 申し訳なさそうに縮こまる彼女に、私は間抜けな声を上げた。

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