私を、俺を、存在させて。

MC RAT

プロローグ

 人の本性を知る人間など、この世界にいるのだろうか。



「おはようございます」


 彼女は丁寧な口調で挨拶をすると、教室に入ってきた。

 みんな挨拶はするものの、周りから彼女に誰かが声をかけることはなく、みんな遠巻きで眺めているといった風だ。

 お淑やかで落ち着いた態度とそれを助長させる美貌が、何となく近寄りがたい雰囲気を漂わせる。


 彼女は席に荷物を置くなり、すぐに教室を出ていってしまった。

 たぶん行き先は、学校の中庭だろう。

 予想通り、しばらくすると中庭に彼女は現れた。手に持っているのは水の入ったじょうろだ。

 向かった先は花壇。そこには色とりどりの花が咲き乱れている。


「今日は少し暑いですから、いっぱいお水をあげた方がいいかな」

 彼女はしゃがみ込み、花に水をかけていく。チラッと見えた彼女の表情は、慈愛に満ちた優しい笑みだ。

「ふふっ、大きく育ってね」

 これが彼女の日課だ。あそこで水やりをしている光景をいつも見かける。

 遠巻きで見ているのは私だけじゃない、周りにいた人も時折目を向けている。


「今日も花の水やりかぁ。いつ見ても絵になるよな」

「見てるだけで癒されるわ〜」

「あれで成績優秀、品行方正だもんね。まさに完璧人間って感じ」

 周囲の会話が嫌でも耳に入ってくる。目の端で彼女を捉えると、すぐに机に突っ伏した。

 彼女は完璧で、お淑やかで、花のように美しいお嬢様だ。





「ひ、ひぃッ!や、やめて、ぎゃあッ⁉︎」

「テメェ、この、ぐふッ⁉︎」


 夜の公園、誰の目にもつかないような所に彼女はいた。

 彼女に殴られた男は血を吐いて吹き飛んだ。

 彼だけじゃない。彼女の周りには10人近くの男たちが倒れている。

 もはや戦う気もない男達に対して彼女は拳を振るうことをやめようとしない。

 足元に倒れている男の胸ぐらを掴むと振り上げた拳を降ろした。



「あぁ?テメェらみたいなゴミクズが俺に手出して、謝って済むと思ってんのか?」



「がはッ!ぐへッ⁉」

 彼女の目は長髪に隠れて見えないが、口の端を釣り上げていることは遠目でも分かった。

 笑いながら彼女は拳を振り続ける。



「ハハッ、アハハハハッ!おい、さっきみたいに威勢良く喚いてみろよ」



 殴る音と笑い声が混じり合い、人気のない公園に響き渡る。

「ぐふっ!わ、分かった………お、俺達が悪かったから………許して、ください………」

 血の混じった涙を流して男は懇願する。

 男の髪を掴み、彼女は初めて目を覗かせた。狂気の入り混じった瞳が爛々と輝く。



「そうか。そんなに言うならやめてやる

よ………テメェがくたばったらな」



 恐怖で震える男の視界が拳で埋まった。

 彼女は残忍で、悪辣で、狂犬のように凶暴な悪魔だ。



 これが、この二つが万代よろずよ 一葉はらんという、一人の人間の本性だとしたら。




「ふわぅ………」

 欠伸を噛み殺して大きく伸びをした。周りには友達と一緒に楽しそうに歩いている人がたくさんいる。

 そんな騒がしい声にうんざりしながらも、私はヘッドフォンで曲を聴きながらトボトボと学校に向かう。

 当たり前だけど、人の話し声には感情が篭ってる。それが縦横無尽に流れ込んでくるのが嫌で、ベッドフォンをしてないと落ち着かない。


 学校に着くと、誰かと挨拶するわけでもなく教室に入る。

小さな頃から人と話すのが苦手、というか人の感情に触れるのが億劫で、自然と人と関わらないようになっていった。

 それが私、終夜よすがら 氷下魚こまいという人間で、たぶんこれからずっと変わらない。


 バッグを机の横に置くと、席に座り歩いて疲れた足を伸ばす。

本当はこういう時思いっきりぐでんと足を伸ばしたいところだが、流石にみっともないし、何よりスカートの中が見えてしまう。

 制服の面倒なところだ。


 特にすることもないし、話しかけてくるような友達も周りにいないので、本を取り出して読み始める。

 しばらくのんびりと読書をしていると、視界の端に人が教室に入ってくるのが見えた。


「おはようございます」


 狭い教室にそれなりの人数の生徒。そんな中でも一際存在感を放っている。

 崩すことなくキッチリと着込んだ制服、肩までかかっている長い黒髪は目の上で切られていて清潔感がある。

 滑らかな顔の輪郭、大きく黒い目、長いまつ毛。

 凛とした佇まいと整った顔立ちで、自然と視線が引き寄せられる。


 万代 一葉、それが彼女の名前だ。

 物静かでお淑やか、成績は優秀。おまけにあの見た目。

 まぁ言わずもがな思いっきり目立つ部類に入る人だ。こうして歩いてるだけでも、周りの注目を集めている。


 万代さんは席に荷物を置くと、すぐに教室を出て中庭へと向かった。

 いつものように花壇に向かい水をあげている。

 彼女は園芸委員で、中庭の花壇に毎日水やりをしているのだ。

 教室が一階の私は、窓越しに彼女の後ろ姿を眺める。

 周りで駄弁っていた人達もふと視線を向けて話している。



「あの人万代、だっけ?毎日欠かさずよくやるよねぁ」

「花が羨ましいよ。俺もあの笑顔向けて欲しいー」

「だったら声かけてみろよ」

「無理だって。何となく声かけにくいんだよなぁ。俺らと住んでる世界違うって言うかさぁ」

「そういや、誰かと一緒にいるの見たことないよね」

「高嶺の花、って感じだよなぁ」


 こうしてみんな挨拶はするのだが、誰かと仲良さそうにしているところは見たことがない。

 浮世離れしてるせいか、どうもみんな声をかけようとしないのが理由なんだろうけど。

 人気はあってみんなから注目は浴びる。でも友達と呼べる人はいない。

 まるで見せ物だ。ポテンシャルが高いのも考えものかな。

 まぁ私には一生無縁の人間だ。


 そう思っていた。




「あっ、漫画の新刊、発売日今日だった」

 それに気がついた私は、のんびり歩きながら本屋に寄ることにした。

 学校からそんなに遠いところではないので、とっとと買うもの買って家に向かう。


 陽が傾きかけて夕陽が照らす中、公園の近くを通った時だった。

 公園の奥は入り組んだ道になっていて、塀一枚挟んだ向こうが団地だ。

 道としては行き止まりだし、そんな人が寄りつくような所じゃない。そこから何やら声が聞こえた気がした。

 男性の声が複数、その中に女性の声が一つ、といったところか。声のトーンからして、あんまり平和そうな会話には聞こえない。


 普通なら無視するのだが、その女性の声に聞き覚えがあった。

 道は入り組んで、ちょっと顔を覗かせたくらいなら見つかることはまずない。

 様子を伺いつつ、私は中の様子を見てみることにした。慎重に先に進み、顔を覗かせる。


「ッ⁉︎あれって………」


 予想通り、そこにいたのは男性が五人の女性が一人。

 男性の方は私より少し年上のチャラそうな人達だ。若干顔が赤く、近くにビールの缶がある。酔ってるみたいだが、そっちはどうでもいい。

 問題は女性の方、どうりで聞き覚えのある声だったわけだ。

 ウチの学校の制服に長い黒髪、その後ろ姿と声だけで誰かは一発で分かった。

 チラッと見えた顔は今朝見たばかりだ。



「万代、さん?」



 あの人、何でこんな裏路地にいるんだ?

 彼女は男達に囲まれていて、とても楽しそうな様子には見えない。


「は、離してください!」

「えぇ、いいじゃん〜。ちょっとだけだからさ、俺らと遊ぼうよ」

「ほら、つーかまえた」

「きゃっ、やめて………!」

「叫んでも無駄だよ。こんな所誰も来ないし〜」

「胸大きいし、めちゃくちゃ可愛いじゃん」


 あぁ………何となく状況は把握した。

 万代さん綺麗だし、やっぱりナンパとかされるんだなぁ。まぁ酔ってるからか、かなり強引っぽいけど。

 無理矢理引っ張られたのだろう。本人は抵抗しようとしているが、あまり慣れていないのか逃げられずにいる。

 怯えているにも関わらず男達は彼女の腕を掴み、強引に押さえつけている。


 さてと、これどうしたものかな………

 助けに入ろうにも、私一人じゃ割り込んだところで逃げてくれるとは思えない。逆に私まで捕まって、何されるか分かったものじゃないな。

 怖がってる人を無理やり押さえつけようとしてるくらいだ。その上酔ってるとなれば、間違いないだろう。

 警察呼ぶか………ただ近場の交番でもすぐには来れない。あの様子じゃのんびりは出来ないな。


「おい、ちゃんと押さえとけよー」

「分かってるって。口も塞いどくか」

「いやぁッ!やめ、むぐッ………!」


 どうしよう、考えてる時間がない。

 この前見なかったことにして逃げるか………それはさすがに目覚めが悪いかな。でも私に出来ることはない。

 やっぱり多少手遅れになっても警察を呼んで………



「ぐへぇッ⁉︎」



 そう思った時、鈍い音と共に万代さんに触ろうとした男がマヌケな声をあげて吹っ飛んだ。

「えっ⁉︎」

 目の前の声が信じられず、思わず声が出てしまった。




 男は殴り飛ばされたのだ、万代さんの拳によって。




 学校では大人しく、誰に対しても礼儀正しくて、花を愛でるような万代さんが、人を殴り飛ばした。

 一瞬見間違いかと思ったが、万代さんは拳を突き出している。見間違いじゃない。

 その事実に開いた口が塞がらなかった。


「は………?」

 男達もまさか、あんなに怖がっていた少女に反撃されるとは思っていなかったようで呆然としている。

 長い黒髪で表情が隠れてしまっているが、僅かに見えた口元が動く。



「おい、クソゴミ共。随分と舐めたマネしてくれやがったな………」



 紡がれた言葉は、あのお淑やかなお嬢様からは想像もつかないほどのものだった。

 その声にいつもの慈愛は感じられず、むしろ本能的な恐怖を煽る。

 万代さんは髪をかき上げると、狂気の孕んだ目を輝かせた。



「全員まとめて………殺してやる」

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