第2話 落としたストラップ

 その後万代さんと関わることも無くなって、一週間程が経った。


 万代さんは私に暴力を振るったことを覚えていない。それがとぼけているのか、本当に覚えていないのか。本当に覚えていないのなら、それは何故だろうか。


 気になることはたくさんあるが、私が気にしたって仕方ない。

 元々私とは縁遠い人だ。されたことは置いておいて、関わっただけでも奇跡だろう。

 そう思って、これまでのことは区切りをつけた。元々詮索するつもりもなかったし、平穏な日々が送れるならそれに越したことはない。




 そんなある日。

「ふあぁ〜〜〜〜」

 SHRも終わり、大きく伸びをした。


「ねぇねぇ!これからデパート寄ろうよ。ドーナツ屋が新しくできたんだって!」

「本当?行く行く!」


 遠くでは女子達が騒ぐように話している。

 偏見かもしれないけど、何で群れる女子ってあんな至近距離でも大声で話すかな。小声でも伝わるだろうに、耳痛くならないのかな?

 そんなことを考えながらスクールバッグを抱えて教室を出ようとすると、全て片付けたはずの机の中に何かあるのが分かった。


 それは小さな紙切れだった。こんな物入ってた記憶はないんだが。

 誰かの悪戯かと思って開くと、そこには丁寧な文字で短く文が書いてある。



『放課後、前に会った公園に来てください。待っています。万代』



 これ、万代さんからの手紙、だよな?しかも、たぶん私宛ての。

 男子生徒ならラブレターかと思うかもしれないが、これはそうじゃない。

 前に会った公園、つまり私が首を絞められた所だ。そこをわざわざ指定した。何か意図がある。

 教室を見渡すが、そこには既に万代さんの姿はなかった。もう向かっている、ということか。

 本音を言えば行きたくない。今度は何されるか分かったモンじゃないし。

 でも………

 思い出されるのは一週間前の中庭。

 小さなストラップをあんな一生懸命に探して、見つかった時はすごい嬉しそうで。

 あれが嘘だなんて思いたくない。ただ凶悪な人じゃない、そう思いたい。


 私は学校を出ると、そのまま真っ直ぐ公園に向かった。

 公園に着くと、先にいるであろう万代さんを探す。


 彼女はすぐに見つかった。


 公園の端に作られた花壇の前にしゃがみ、そこに咲く花を楽しそうに眺めている。

 いつも学校で見ている優しい笑顔だ。自然と惹き込まれるほど、慈愛に満ちている。学校でみんなの注目を集めるのも当然だろう。


「あっ、終夜さん」


 私を見つけると、万代さんは立ち上がり律儀にお辞儀をする。

 初めて名前を呼ばれた。この前一度名乗っただけなのに、ちゃんと名前を覚えていてくれたのは、正直嬉しい。

「すみません、私から呼んでおいて気がつかなくて」

「別に、私影薄いから」

 ふと彼女が見ていた花壇に目を向けると、土が湿っているのが分かった。雑草も抜かれている。


「もしかして、その花壇の花も万代さんがお世話してるの?」

「はい。家から近くて、管理してる方に頼んでお世話させてもらってるんです」

「へぇ」

 学校だけじゃなくて、プライベートでも園芸やってるんだ。


「花、好きなんだね」

「えぇ。お花っていいですよね。見ているだけで、心が安らぎます」


 安らぐ、ねぇ。たしかに。

「こうしてすくすく育っていく花を見るのが、私の毎日の楽しみなんです。夢に見るほどに」

 万代さんは花を眺めて嬉しそうに微笑む。

 人の表情を読めるほどの観察力なんか無いけど、その笑顔に偽りがないのはすぐに分かった。

「あの日も、私は夢を見ていました」

「あの日?」



「一週間程前。夕方ごろだった気がします」



「ッ⁉︎まさか………」

 背筋にゾワッと怖気が走る。

 万代さんが男達を殴り飛ばした、あの時だ。

「学校の帰りに、いつものようにここに寄ってお花の様子を見ようとしていました。そうしたら、五人ほどの男性がここでお話をされていたんです」

 それってもしかして、あの時万代さんに絡んでいた男達か?


「彼らはお酒を呑んでいて、その缶を花壇に捨てていたのです。お花に良くないから注意したのですが………酔っていた彼らに、隣の路地に連れ込まれてしまって」


 これは彼女の夢。そのはずなのに、彼女の夢はまるで………


「体を触られそうになって、夢はそこで終わりました。目が覚めたら翌日で、私は自分のベッドの上にいました。パジャマも着ていたので、夢かと思っていたんです」


「万代さん、あなたは一体………?」

 顔を上げると、万代さんは頭を下げた。


「改めまして、手紙で急に呼んでしまい申し訳ありませんでした。学校で声をかけようと思ったんですけど、なんて言えばいいのか分からなくて」

「いや、全然いいけど………」

 むしろ学校で話しかけられたら、周りから何言われるやら。目立つ人は、私みたいな人に関わるべきじゃない。


「それで、その………お話というのはですね………」

 あまり人と話すことに慣れていないのか落ち着きがない。

 いつもの落ち着いている雰囲気との差に、こっちまで戸惑ってしまう。いや、理由はそれだけじゃないか。

 彼女はバッグから以前探していたストラップを取り出すと、私に見せた。


「これ、渡してくれた時に言ってましたよね?『昨日公園で話した時に拾った』って」

「うん。そうだけど………」


 一瞬襲われるかと思い、すぐに通報できるように、ポケットに手を入れてスマホを掴んだ。

 しかし万代さんは襲ってくることなく、一歩前に踏み出した。いつもは凛とした表情も、不安で曇っている。



「その時何があったのかを、教えて欲しいんです。夢ではないんですよね?」



 それから公園のベンチに座って、万代さんは話し出した。

「私、昔からこういうことがあったんです。たぶん、一種の睡眠障害のようなものだと思うのですが」

 彼女の話によると、今回のようなことはこれまでも何回もあったらしい。



 ふとした瞬間に意識が飛んで、気がついたらベッドの上。まるでその時していたことが夢だったかのように感じる。

 もちろん自分でベッドに寝た記憶はないが、ちゃんとパジャマも着ているし、特に体に不調はない。

 おかげで夢と現実が曖昧になっていて、混乱することも多かったらしい。

 けどそれは大抵一人でいる時や、見知らぬ人といる場合に起きるので、それが夢か現実かを確かめる術がない。



「だからずっと、リアルな夢だと思っていました。ですがこの前、あなたからストラップを渡してもらった日、その前日に何をしていたのかを思い出したんです」


 自分は公園で意識が途切れて、私はそこで万代さんと話したと言った。

 とても偶然とは思えず、今日こうして声をかけたというわけだ。


「教えてください。一体ここで私は何をしたんですか?あなたと、何を話したんですか?」

「それは………」


 彼女はあの時のやりとりを覚えていない。それなら、今ここで話してしまっても問題は無いだろう。

 けど、その前に確かめておきたいことがある。

「話す前に、私からも質問してもいいかな?」

「何でしょうか?」

 どう言おうか少しだけ悩み、言葉を選んで聞いた。


「万代さんはこれまで、誰か一人にでも暴力を振るったことがあるかな?」


「えっ?ありませんよ、そんな酷い事」

 即答だった。そんな気はしてたけど。

 そういえば、あの時も彼女は終始凶暴だったわけじゃなかった。

 最初の方はいつも通り、性格が豹変したのは身体を触られる直前。つまり万代さんが記憶が飛んだと言った瞬間だ。

 そうなると、考えられることは一つ。



「嘘………」

「終夜さん?」

 悪寒とは違う何かゾワッとしたものが背中に走る。

 あり得ないわけじゃないけど、私はこれまでこんな人を見たことないし。正直そんな人が身近にいるなんて。

 これは………思ったよりも面倒なことになってきた。

 そうなると、これ以上関わるのは危険すぎる。


「それで、一体何があったんですか?」

「………いや、他愛無い会話をしただけだよ。内容も覚えてない」

「えっ?でも………」

「悪いけど、私この後予定あるんだ。それじゃあこれで」

「ま、待ってください!」

 帰ろうとした私の手を万代さんが掴む。


「どんな小さなことでもいいんです。教えてください!」

「いや、だから………」

「お願いします!私、自分のことを知りたいんです」


 自分が自分の知らないところで何をしているのか。

 そりゃ知りたいと思うだろうし、話してしまえば私だって楽になる。

 でも、私の予想が正しければ、これは私の手に追える問題じゃない。だから関わらない方がいい。

 すぐにでも離れたかったため、自然と冷たい言い方になってしまった。



「悪いけど、もう万代さんと関わりたくないから。どいて、邪魔」



「ッ‼︎ぁ………………」

 その瞬間、万代さんはショックを受けたように目を見開いた。そして眠ったように体の力が抜けて、抵抗しなくなる。

 流石に言いすぎたか?

 様子を伺おうとするが、そんなことするべきじゃなかった。



「……………ハァッ、邪魔だぁ?」



 僅かな息遣いと低い声が、私に本能的な脅威を訴える。

 一瞬の隙をついて、万代さんが私の腕を掴んだ。

「ぐっ⁉︎あぁぁッ‼︎」

 さっきとは比べ物にならないほどの強さで、捻られた腕からミシミシと音がする。


「騒ぐしか能のねぇ猿が、身の程を弁えろ」


 艶のある黒髪から、彼女の目が覗く。さっきまでの慈愛は消えて、凍てついた目が私を射抜く。

 私と目が合うと、その視線はさらに鋭くなる。


「テメェ、あの時の………どうやら、よっぽど死にたいらしいなぁ!」

「がはッ‼︎」


 万代さんに蹴り飛ばされて、私は地面に転がった。一発蹴られただけなのに意識が遠のく。

「や、やめて………」

「黙れよ」

「がッ!あぁッ‼︎」

 強く踏みつけられ、痛みと息苦しさが襲ってくる。

 それでも私は何とか息を吸い込み、彼女に訴えかける。

「わ、私だって、関わりたくない………でも、万代さんが、自分のことを知りたがってる………」

 私から言えるのはそれだけだ。

 冷たい目で見下ろした万代さんは、ため息をつく。

「………ハッ」

「ぐふっ!がはっ!」

 万代さんは足を退けると、私を蹴り飛ばした。ようやく解放されて、大きく息を吸い込んだ。

「はぁっ、はぁっ………あなたは万代さん、なの?」

「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるな」

「………やっぱり、そういうことなんだ」

 急激な人格の変化、おまけに本人は変わった時のことを覚えていない。そうなれば考えられることは限られる。



「万代さんは解離性同一性障害、多重人格なんだよね?」

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