大帝都グルメ食事会

古井論理

第一次食事会

 ここは大櫻帝国の首都、大帝都。世界のほかの場所がそうであるように、降り注ぐ太陽電磁パルスのためエアコンなどの電子機器は使えない。夏は暑く冬は寒い気候に辟易する大都会に数ある憩いの場の一つとなっているのが、地下に広がるヒナ区である。ここは復興の早い段階で、かつて都営地下鉄や東京メトロの路線だった廃トンネルに電磁パルスを受けてもいいように保護コイルで包まれた発電区画と送電設備、電燈や通気装置などを追加して構築された衛星落下時の避難シェルターが人工衛星やデブリの落下が激減したことに伴い再開発された結果として出来上がった街区であり、トンネル内の各所に店が立ち並び一種独特の雰囲気を醸成している。大帝都の臣民が「今夜はヒナで一杯やろうぜ」と言って飲みに誘う場合、ほぼ間違いなくヒナ区の大衆酒場で愚痴と栽培ガツオを肴にうっぷんを晴らすなり何かを祝うなりして酒を飲みたいからそうしていると思っていい。ヒナ区はそうした場所である。だが今宵、夏真っ盛りの地上からヒナ区に足を踏み入れた山田アキラは疲弊しているばかりか気が重かった。

「どうしたんだい坊や、さえない顔しちゃってさァ」

「そうだ、そうだ!」

「笑わなくっちゃ損だぞぉー」

「おーい、フラッシュモブに飛び入り参加しないかぁ?」

「いいなあそれ。坊や、参加したかったら返事しな」

「こら困ってるだろ、やめてやれ。さあみんな、うちで餃子食ってかないかい?半額セールやってるよ!」

 絡んでくる酔っぱらいの声はもとより、普段なら耳寄りな宣伝をしている呼び込みの声も、あまり耳に入らない。彼の考えはただ『完璧な大衆食堂』を探すことだけに占領されていた。

「あの……」

「あっああ、何ですか早川博士」

 アキラはあわてて意識を現実に引き戻す。早川博士は「江口屋」と書かれた看板を指してアキラに尋ねた。

「あのラーメン屋、行ったことありますか?」

「……あそこですか」

 江口屋は、アキラが海軍幼年学校時代にお世話になっていた女子主計科の先輩が営む店である。

「江口屋は繫盛店といいますし、この機会に行ってみたいんですよね」

 アキラの脳裏を様々な記憶が駆けた。一浪して受けた海軍大学校に落第した後に進学と軍人の道をあきらめて、その後どういうわけかさらに過酷なはずの飲食店運営に乗り出した先輩の店は今や繁盛店の仲間入りを果たしている。一応見習い軍人としてキャリアを積んでいる自分が行くのは、少し怖い気もした。

「そうですか、行ったことはないんですね?」

 早川博士の言葉で我に返ると、江口屋ののれんをくぐる早川博士が見えた。慌てて後を追って入店したアキラは、早川博士がカウンター席に座っているのを見て観念し、早川博士の隣に座る。店内にはどこかで嗅いだことがある懐かしい香りが漂っていたが、どこで嗅いだのかは全く見当もつかなかった。メニューの目次をじっと見つめて今日食べるものを決める。おすすめセットが最後のページに記されているのを見つけて、アキラは、そのページを開けまいと妙な意地を張り始めた。

「ご注文は」

 小さく「店長」と書かれた名札を付け、ふくよかな体に割烹着とエプロンを着こんだ女がカウンターの奥から出てきて尋ねた。早川博士は「おすすめセットで」とだけ言って、アキラに注文を促す。アキラは「味噌ラーメンと半ライス、それと餃子でお願いします」と言ってメニューを閉じ、店長は「おすすめセットとラーメン、半ライス、餃子ですね」と確認して、そっとメニューを回収した。大盛況の店内ではほかの店員たちが流れるように注文を取っては厨房に伝票を渡す。店長は明らかに二回りは年上であろう店員に二言三言何か伝えて、店の出入り口に向かった。

「店長、お若いのに大した手腕ですね。この店、創業二年でこの繁盛具合だなんて」

「博士に言われては店長も褒められた気がしないと思いますが」

 早川博士の言葉に、アキラは少し顔をしかめて返答する。

「おっと、それはどういう意味ですかアキラ君」

「少なくとも僕は、博士は若いとか若くないとかで人の実力を語ったりしない方だと思っています。しかも博士、あの……」

 店長は二十二歳なので、博士とは三つ違うだけですよ。そう言おうとした自分を、アキラはすんでのところで黙らせた。

「お待たせしました、まず味噌ラーメンと半ライスです」

 いつの間にか厨房の入り口に戻っていた店長が、アキラの前にラーメンと半ライスを置く。続いて餃子を二皿持ってきた店長は、二人の客の前に一皿ずつ餃子を置き、そして味噌ラーメンと半ライスを早川博士の前に置いた。

「餃子です。それからおすすめセットです」

 そう言ってからアキラにチラリと目線をやった店長は、店の奥に向かうと若い店員を呼んできた。

「じゃあカウンター席よろしく」

 そう言われた若い店員は、伝票の束とペンを取り出してカウンターの端へと向かっていった。店長が早川博士に目配せをすると、ラーメンのスープをすすっていた早川博士は少し困惑したが、店長は無言でうなずいただけだった。

「江口店長、素晴らしい手腕ですね」

 早川博士が店長に話しかける。店長は「ええ」と言ってほほ笑んだ。

「もしよろしければでいいのですが、このスープの味噌は山可やまべし醸造から卸しているもの、で正しいでしょうか?」

「はい。市販のヤマベシ味噌と基本は同じです」

 アキラは肌が粟立つのを感じた。山可醸造は彼の祖父が営んでいる発酵食品メーカーである。

「山可醸造……山田少佐の実家ですね」

「どうしてそれを?」

 アキラがそう言ったのは、店長とほぼ同時だった。ああ、やっぱりか。アキラは顔を上げて店長の方を向く。

「やっぱりあのアキラくんだったかあ……なんか雰囲気変わったね?」

 キョトンとする早川博士に、店長は「アキラさんは海軍幼年学校の後輩だったんです」と言ってほほ笑みかけた。とても気まずい状況に、アキラは頭を抱えかけた。

「何かすれ違いがあったかもしれないから先に言っておくと、私はもともと料理がしたかったんだよ。海軍でなくても料理はできるから、別に海大をすべったことは気にしてない。じゃあ冷める前に食べてね」

 店長はそう言って踵を返し、カウンターの奥にある厨房へと消えていった。

「さて、冷める前に頂きましょうか。ラーメンは冷める前にのびるでしょうし」

 早川博士の言葉で我に返ったアキラは、まだ夢見心地の覚めやらぬ頭を縦に振って割り箸を取り、味噌ラーメンをすすった。なじみの深い味噌のうま味が、そして程よく香る香辛料の風味が口を駆け、コシのある太麺は舌の上に濃厚な余韻を残して喉を過ぎていく。アキラはまさに夢中でラーメンをすすり、コク深いスープをレンゲにすくった。

「餃子もいいですね、たぶんタネに何か隠し味が入っているんでしょう」

 早川博士は頬に米粒をつけたまま餃子とご飯を頬張っている。アキラは茶碗を左手に持ち、餃子を取った。タレをつけて、ご飯と一緒に口の中へと持っていく。強いニラの風味とキリっとした辛みの奥に、ほんのりとした甘味と柔らかなうまみが感じられた。


「ごちそうさまでした」

 会計を済ませて店を出ると、入る前にたむろっていた酔っ払いたちは皆どこかへ去り、枕木とレールの名残が残る道には涼しい風が吹いていた。

「今度はテーブル席にしましょうか」

 早川博士にそう言いながら照れ隠しをしているような気分で、なるべくキビキビと歩くように心がけるアキラは、鼻に抜ける味噌の香りをそっと噛みしめた。

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