30.帰り際の出来事♡

「そっか、やっぱり『下川しもかわくん』なんだ?」


 少女はそう言って、俺の方を見ながら目を細めて小さく笑う。


「……そうだ。は?」


 俺の警戒心はもうかなりのものになっていた。

 でも……それと同時に、確信もしていた。


 この子は……教える気があるかはともかく、しきの居場所を知っている。


 そして、多分だけど……最近のしきの異変の原因も知っている気がするし、何ならこの子がその原因に加担している可能性だって否定出来なかった。


「私の名前?……れいって言うんだ」


 無邪気にそう言う少女は、その純な仕草の裏に二面性を隠していないなんて、どうしてそんな事が言えようと思ってしまう位に、とても白かったんだ。


 ……そしてその白は、何も書かれていないキャンパスの白ではきっと無くて。


 たくさんの色を塗りすぎて取り返しのつかなくなったキャンパスに上書きして、無理やり白く見せたそれは……きっと純なままその中身を見せる事は無いけれど、そのたくさんの濃く深く混ざった色を中に隠し持っているのは、確かに動かない事実なんだ。


「『下川くん』。君には……しきの事、教えて良いって言われてるんだ」


 そして、そんなキャンパスの様な少女は、そう言ってまた笑った。


「……しきの事、って?」


 俺がそれに呑まれない様気を張りつめつつも聞き返すと、少女はまた的を得ない言葉を投げかけてきた。


「君が今、一番気になってる事だよ」


 一番気になってる事……しきの行方か。


 いや、もしかしたら……最近のしきの異変まで、全部の事を言ってるのかもしれない。


「……」

「……知りたいなら、ついておいで」


 少女は俺の返事を待たずして、そんな風に言って階段を上がって行ってしまう。


 そっちは女子のフロア……なんてその時は考える余裕も無く、俺はスタスタと行って見えなくなりそうなその背中を必死で追いかける。


 そして、少女が立ち止まったのは……たしか先生達の寝室として書かれてた部屋の一つ奥の部屋だった。


「ここに入れば分かるよ。……どうする?」


 そして、少女はまた選択を迫った。


 俺は……決めなきゃいけないんだ。


 この扉の向こうにいるのは、きっとしきだろう。

 そして……そのしきは、もう俺の知っているしきじゃないんだ。


「……」


 ずっと悩んでた。


 人は変わっていくものだから、その変化を受け入れられないんじゃ人付き合いなんてやってられない。


 けど……今までのはやっぱり違和感でしかなくて、本当に変わってしまった近しい人を目の前にして、俺は正気を保ってられるなんて、とてもじゃないけど思えなくて……


「っ……」


 ……逃げた。


 俺は結局、逃げてしまったんだ。


 ……だからなんだろうな、きっとバチが当たったんだ。


「れいちゃん!」


 背後から聞こえた聞き慣れた声が、聞き慣れないトーンで聞き慣れない名前を呼ぶ声に……俺はつい、振り返ってしまったんだ。


「っ……!!」


 そこには、俺の知らないしきが居た。


 いや……俺は、をしきだとは思えなかったんだ。


 俺の中の『しき』が、形を崩して歪に曲がり、消えていく感じがして……


「っぁ……ぁぁあああ゛あ゛あ゛っ!!!」


 ……俺は、狂った様に叫び声を上げながら、一目散に走った。


 どれだけ走ったって、現実から逃げられる訳じゃないのに。


 それでも俺は、逃げ出さずには居られなかったんだ。


 ……大切な人が壊されてしまった。


 どうしてそれを、受け入れられると言うんだろう。


 どうしてまた、こんな……。


「きゃっ……え、しんちゃん……?」


 誰かにぶつかった気がしても、気に止める余裕も無く走り続けた俺が、やっと頭を空っぽにして止まれたのは、誰の腕の中だったか。


「あら……大丈夫ですか? 下川くん」


 安心感のある声に、一瞬だけ正気を取り戻す。


『下川くん』


 あぁ……そうか。

 あの少女が俺の名前を呼ぶ感じ、どこかで聞いた事があると思ったら……。




 ……そこまで考えて、俺の思考は完全に停止した。

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