壁
女の子を見送ってしばらくしたら姉ちゃんが帰ってきた。
「さっき遠くの方でしほちゃんらしき人を見たんだけど、もしかしてうちに来てた?」
「来てたよ」
リビングに入って行く姉ちゃんにそう言うと、意味ありげな「ふ〜ん」という声が聞こえてきた。
「しほちゃんに何か言われた?」
「いや、特に何も」
この前のことを謝りに来ただけだし、わざわざ姉ちゃんに言う必要はないと思った。
「何もなかったねぇ」
言いながら買ってきた缶ビールを冷蔵庫にしまう姉ちゃん。
「ねぇ、浩多」
「ん? なに?」
二階へ上がろうとしていたけど、呼び止められてしまったので再びリビングに顔を出すと姉ちゃんと目が合った。
「しほちゃんのこと好き?」
「え、急に?」
「いいから答えな」
「まぁ、友達として──」
そこまで言いかけた時、姉ちゃんが俺の声を遮ってきた。
「ちなみにライクじゃなくてラブの方だから」
なぬ。
ライクの方の好きとして答えようとしていたのはお見通しというわけか。
「正直どうなの、しほちゃんのこと」
プシュッ。
姉ちゃんは缶ビールを一つ開け、まるで水分補給のようにごくごくと飲んだ。
「正直言ったら好きだよ」
一目惚れしたってあの子には言ってしまったしな。
まだ返事はないけど。
まぁ、このまま自然消滅してもらっても俺としては問題はない。
「告んないの?」
「いやぁ、それみたいなこと言っちゃったんだよね」
「ま?」
「ま」
「何て言ったの?」
「え、いや普通に一目惚れしたって」
「返事は?」
俺は黙って首を左右に振った。
「ああ」
「何だよ、ああ、って」
「もう一回告ってみたら」
簡単に言ってくれる。
というか姉ちゃんだって恋愛経験ないのに、偉そうだな。これを言ったら拳が飛んでくるので黙っておくけどさ。
「別に付き合いたくて告ったわけじゃないし」
「は? 意味わかんない」
「姉ちゃん顔怖いって」
「そりゃ怖くなるよ。告白って付き合うためにするもんでしょ、それ以外の目的で告白なんて聞いたことないんだけど」
「あのね、色々あったんだよ。一目惚れしたってことを伝えないといけない状況で、それが結果的に告白してる感じになったってだけ」
俺が付き合いたくて告白なんてするわけがない。
確かに俺はあの子のことが好きだ。それは自覚してるし、偽ることはしないけど、告白と思抱くのとでは次元が違う。
「そう言えば、愛野さんがもしかしたら転校するかもしれん」
「詳しく」
「はいはい」
姉ちゃんに手招きされて椅子に座る。
それから俺は今日あの子から聞いたことを話した。
俺が話し終えるまで姉ちゃんは缶ビールに一回も手をつけなかった。
「なるほどね。お母さんのとこかお父さんのとこかで迷ってるわけね。しかも今月中に。もしお父さんのところに行ったら転校、か……」
「そう言うこと。俺じゃどうにもできない」
「何言ってるの、浩多にできることが一つだけあるでしょ」
「え?」
「え? 何で首傾げてる?」
「いや、傾げるでしょ。俺にできることって何よ」
全く思いつかないのだけど。
キョトンとする俺に、姉ちゃんは迷いなく告げてくる。
「迎えに行けばいいでしょ」
「迎えに?」
「そうよ。浩多が第三の選択肢になるの。お母さんのところでもなく、お父さんのところでもなく、浩多のところへ」
「いやいやいや、おかしいでしょ。明らかに部外者だし」
「部外者ねぇ」
姉ちゃんは目を細めた。それが俺の心を覗き込もうとしているようで、変に身構えてしまう。
「何だよ」
「昔から気になる子に対しては一歩引いて壁を作ってるよね。未だにそうだからびっくりだわ」
「俺は普通に接してるつもりなんだけど」
「じゃあ、一つ訊くけど、一回でもあの子の名前を呼んだことあるの」
「それは当り前じゃん」
「そうじゃなくて」
手を振って否定する姉ちゃん。
「ここよ」
そう言って姉ちゃんは胸に手を当てた。
「それ、どういう……」
「ここであの子の名前を呼んだことあるのってこと」
「……さ、流石にあるよ」
心の中であの子のことを呼んだことがあるのか。
あ、今もそうだ。
あの子って……。
「自信持ちな。壁作って言い訳しようとしなくていいから、一回だけ当たって砕けなって」
「待って砕ける前提なんだけど」
「じゃあ当たってぶつかる」
「言い方変えてもな……」
でも、そうだよな。
俺は一度だって当たったことすらない。
綺麗なままを保ち続けてる。
だから弱くて脆くて、ちょっとしたことでひび割れてしまう。それが怖い。
「お姉ちゃんから一つアドバイス。言わないと伝わらない」
「めちゃくちゃ当たり前のことじゃん」
「当り前じゃん。でも意外とそれが難しい」
「それはそうだけど」
でも、言わないと伝わらないか。
確かに、エスパーじゃない限り言わないと伝わらないことばかりだ。
「というわけで、おつまみ買って来て」
「何でそうなる」
「アドバイス料よ」
「何でビール買う時に買ってこなかったんだよ」
「だってあると思ってたんだもん。昨日食べ尽くしたの忘れちゃってた、てへ」
可愛く舌出しても惑わされないからな。
「おつりあげるから」
「はぁ、わかったよ」
決してお釣りあげるという言葉に釣られたわけではないから。
そうして俺は姉ちゃんからお金を受け取って家を出るのだった。
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