西原さんに話しかけられた日
今日は思い切って浩多さんに話しかけてみた。
最初は無視されたらどうしようかなって不安だったけど、ちゃんと応えてくれて安心した。
ムッとしてる見た目で怖いけど、優しい人だってよくわかる。
だって今日、私が電車の揺れでバランスを崩さないように鞄の紐を掴んでくれて、人混みに流されそうになっていたら引っ張って戻してくれた。
あんまり喋らない人だけど、不思議に苦手意識はなくて、近くに居ると落ち着く気がする。
『また明日』
お昼休憩に入るちょっと前に浩多さんから送られてきた。
「ねぇねぇ、愛野さん」
「っ! はいっ」
浩多さんになんて返信しようか考えていたから、急に声をかけられてびっくりした。
顔を上げると、同じクラスの女子生徒の
黒髪のお団子頭が特徴的な子で、色んな人と楽しそうに話してるのをよく見かける。
私と違って誰とでも仲良くなれるタイプの女の子。
そもそも勉強しないといけない私にとっては、誰かと話す余裕なんてない。
「驚かせちゃってごめんね。それで、愛野さんにお願いがあるんだけど」
西原さんは机にドンっ手を突いて顔を近づけてきた。
凄く積極的というか、遠慮なしに入ってくるタイプだ。
ちょっと苦手かも。
「お願いですか?」
「そう! いいかな?」
きらきらとした期待の眼差しに少し気圧されてしまう。
西原さんとは一度も喋ったことがない。
いつも笑ってる子だなって遠目から見てるだけだった。
だから急に話しかけられて、おまけにお願いって言われたら困惑してしまう。
「私にできる範囲ならいいですけど」
そうは言っても、私にできることってそんなにないと思う。
「ほんとに! ありがとう!」
手をぎゅっと握ってきて振り回される。
元気すぎてついていけない。
「そ、それで、お願いって……」
「実はね、もうすぐ中間考査でしょ。それに向けて勉強を教えてほしいの。お願いっ」
西原さんは両手を擦り合わせて必死に懇願してきた。
「な、何で私なんでしょうか?」
「え、だって愛野さん頭いいし、優しいって聞いたから、教えてくれるのかなって思って」
優しい……?
いつも勉強に追われて、クラスメイトとは挨拶すらも交わしたことがないのに、優しいって誰が言いふらしてるの。
もしかして、西原さんのお勉強を押し付けられてるのかな。
「どうかな? だめ?」
その場にしゃがみ込んで、机から少しだけ顔を出した西原さんは捨てられた子犬のような眼差しを向けてくる。
「みんなに断られちゃって、愛野さんしか頼める人いないの」
私を頼みの綱にされても困ってしまう。
私だって中間考査は満点を取らないといけないから、西原さんに勉強を教えてる余裕はなくて、断るしかない。
「もうし──」
「愛野さんお願いっ」
申し訳ないのですが、そう言おうと口を開いのと同時に、西原さんと声が被ってしまい、遮られてしまった。
「何でもするから、美花に勉強教えて」
必死にそんなこと言われると、ハッキリと断りにくい。
浩多さんのお姉さんのしほさんもこんな気持ちだったのかな。
私にお願いされて、断りにくかったのかな。
「愛野さん、お願い」
「……わかりました。いいですよ」
「ほんと! ありがとう! 愛野さんに頼んで正解だったよ!」
一人ではしゃぐ西原さん。
満面の笑みで私の手を力いっぱいに握ってくる。
少し痛かった。
「愛野さん、さっそくなんだけど、今日の放課後は空いてる?」
「放課後は……」
帰宅するのが少し遅れるくらいだったら問題はない。
お母さんにこのことは絶対に言えないけど、仕事で帰ってくるのが夜だから大丈夫なはず。
「空いてます」
「じゃあ、放課後にお願い」
「はい。大丈夫です」
放課後に少しだけ教えるくらいなら、私の勉強の方にはそんなに影響は出ない。
もし出たとしても、その分、いっぱい勉強すればいいだけ。
満点さえ取れればお母さんを失望させることはないのだから。
それから放課後。
チャイムが鳴って最初は数人くらい談笑してる人たちがいた。その人たちも帰って、今は私と西原さんの二人きり。
空いた窓から運動部の叫び声が聞こえてくるけど、遠すぎて何を言っているのかほとんど聞き取れない。
「愛野さん、ここはどうするの?」
「そこはこの公式を使えば簡単に解けます。あとは公式に従って当てはめていけばこんな感じに答えが出ます」
そう説明しながら、自分のノートに公式と解き方を書いていく。
顔を上げると西原さんが私のことをじっと見つめていた。
「なんか、難しいね。愛野さんすらすら解いてるから簡単そうに見えるよ」
「苦手意識はあまり持たない方がいいかと思います」
「そうかなぁ。やっぱり美花は数学苦手」
「それはまだ公式を覚えてないからだと思います。覚えてきたら自ずと解けますから」
私も最初は苦手だった。
数学に限らずだけど、特に数学が間違えやすくて、ミスしやすくて、間違えたらお母さんに怒られてた。
やりたくなかった。でも、やらなければならなかった。
泣きながらやってた記憶が、あの感情が今でも思い出せる。
「じゃあもう少し頑張ってみる」
「はい。私もいますから」
「そう言えば、愛野さんってどうして敬語? それも凄い丁寧に」
「癖ですから、お気になさらないでください」
お母さんとはずっと敬語で話してるから、タメ口を使ったことがない。
「タメでいいよ。美花だけがタメって変だから」
「それは、遠慮しておきます。この方が話しやすいですから」
もしタメに慣れてしまって、お母さんにタメが出てしまったらと思うと怖い。
タメなんて大人になったら使うことなんてないから、慣れる必要も覚える必要もないと思ってる。
「なんで〜」
西原さんは頬を膨らませていじけた。
「申し訳ありません」
「別に怒ってないよ。というかそんな謝られ方したらこっちが申し訳なっちゃうじゃん」
「はい」
「なんか、愛野さんとは凄い距離を感じる」
「距離、ですか?」
私が首を傾げると、西原さんは腕を組んだ。
「そういうところだよ。美花はもう愛野さんと友達だと思ってるけど、そんなことちっとも思ってないでしょ」
「思ってませんでした」
友達を作るよりも勉強を優先する私に友達なんてできない。
できたとしても、休憩時間にお話しすることも、放課後に遊ぶこともできない。
それで成績が下がったらお母さんはきっと失望してしまう。私を捨ててしまう。
「じゃあ、今日から友達ね!」
そう言って西原さんが私の目の前に手を差し出してきた。
嬉しそうに頬を緩めて、私が手を握るのを待ってる。
でも、私がいつまで経っても握ろうとしないから、西原さんは不思議な顔をする。
「美花と友達になるの嫌だった?」
「そんなことはありません。ただ、私は友達を作るとかはできませんので」
今は勉強に集中しないと。
お母さんにとってのエリートにならないと。
こうして生きているうちは避けられない道だから。
「残念だなぁ。なんかフラれた感じ」
「西原さんのことが嫌いとかではないので」
「わかってるよ。事情があるんでしょ」
「え?」
どうして察してくれるんだろう。
「見ればわかるよ。そんな悲しい顔をしてたら」
「悲しい顔……」
私は今どんな顔をしてるの。
「一緒だね。私と」
「それはどういう……」
「ないしょ、だよ。それより、勉強進めなきゃ。せっかく付き合ってくれてるし、頑張るよ」
そう言って西原さんは、脇を締め、固く握り拳を作って気合を入れた。
「はい。頑張りましょう」
私もそれに応えるように夕陽が眩しく照らすまで勉強に付き合った。
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