少し話した

 出かける直前、ドアノブを押して扉を開けようとした時だ。

 姉ちゃんが大きく欠伸をしながら階段を下りてきて「これ持っていきな」と交通系ICカードを渡してきた。


「現金だと不便だから」

「あ、そういうことか」

「それじゃ、私は寝るから……ふぁぁ……」


 昨日も飲んでいたから二日酔いというやつだろう。

 欠伸をしながら戻って行く。


 それから家を出て三咲駅に向かう。

 こうして朝早くに起きてるから、それに合わせて寝る時間も早くなって、眠たいことに変わりはないけど、なんだか規則正しい生活を送れてる気がする。

 


 ガヤガヤと騒がしい人混みの中、駅の階段を上っていくと、右側の壁際に女の子が鞄を肩にかけてポツンと静かに立っていた。 

 女の子は俺に気がつくとスカートを揺らしながら小走りで近寄って来る。


「おはようございます」


 目の前で立ち止まり、丁寧に辞儀してきた。


「あ、おはよう」


 緊張してるのを悟らせたくないので、女の子が頭を上げる前に素早く挨拶を決め込む。


「今日もよろしくお願い致します」


 じっと顔を見上げてくる女の子に、俺は一秒も経たず視線を逸らした。



 揺れる電車内。

 女の子がバランスを崩して倒れてこないように、鞄の紐を掴んで支える。


「ありがとうございます」

「あ、いや」


 お礼を言われて悪い気はしない。

 けど、お礼を言われるようなことじゃない。

 ただ、さっきまでずっとふらふらしてて、いつこっちに倒れてくるかわからなかったから掴んでるだけだから。


 それに、お礼を言われ慣れてないので何て返せばいいのか戸惑ってしまう。

 とりあえず頷いておいたけど、正確には頷くこと以外にできなったわけだ。


 駅に着き、ドアが開く。

 出入りする人でごちゃごちゃする車両内で、その勢いに女の子が連れ去られそうになる。


 俺は咄嗟に掴んでいた鞄の紐を引っ張って女の子を引き戻した。

 少し荒々しい手段だったが、あのままはぐれられたらそれこそ困る。


「申し訳ありません」

「あ、いや」

「たまに外まで出される時がありまして、浩多さんがいてくれて本当に助かりました」


 小学生と変わらないくらいの小さな女の子だ。人の往来に逆らえるような力はないように思える。

 よく今まで一人で乗っていたものだと感心せざるを得ない。


「大丈夫」


 ラインでの会話も苦手だが、それ以上に苦手なのは面と向かって話すこと。

 特に女の子相手は増々そう。

 無愛想に返事しているのは自覚してる。


「はい、ありがとうございました」

「うん」


 だから、女の子が機嫌を悪くした様子はなくホッとしている。


 ドアが閉まり、再び電車が走り始める。


「すみません」

「ん?」


 見下ろすと、女の子が見上げてきていた。

 もしかして痴漢されているのか。

 そんな様子には見えないが。


「浩多さんはおいくつなのでしょうか? あ、答えたくなかったら無理して答えなくても大丈夫です」


 なんだ、そんなことか。心配した。痴漢されているわけじゃなくて良かった。


「16、だけど」


 7月7日が誕生日だからまだ16歳だ。


「私の一個上だったんですね」


 一個上ってことは15歳か。

 高校一年生だってことは知っていたから、大体は予想できたけど。


「私、今は15歳です。今年で16になります」

「うん」

「それで、浩多さんは高校はどちらに通ってるのでしょうか?」


 高校か……通信制だから通うとかはないな。


「S高っていうとこ」

「えすこう? 申し訳ありません存じてなくて……」


 知らなかったことが失礼に値したとでも思っているのか、女の子は申し訳なさそうに眉を顰めた。

 通信の高校なんてたくさんあるし、知らなくても気にしなくていい。

 

「通信だから」

「あ、そうだったんですね」


 触れてはいけないことを聞いてしまった。そんな風に気まずそうな顔をする女の子。

 それからしばらく沈黙が続いた後、女の子がようやく口を開く。


「通信はどんな感じなのでしょうか?」

「どんな感じ?」

「申し訳ありません、抽象的過ぎました。その、授業とか、一日どんなことしてるのか気になりまして」

「ああ」


 一日中ぐうたら寝てます、なんて言いたくないな。

 でも本当のことだし、下手に嘘は吐けないよな。


 俺が答えるのを見上げながら待ってる女の子。そうあんまり見つめないでくれ、見つめ慣れてなくて恥ずかしいから。


「授業は専用のアプリで受けてる。後は……」


 スクーリングという年に五回だけ学校に行かなければならない行事があるけど、説明するのがちょっと面倒だからこれは言わなくてもいいか。


「それくらいか……」

「テストはないのでしょうか?」

「うん」


 今のところテストと呼べるものはなかった。

 強いて言うならば、アプリで授業を受けた後にある選択問題ならあるが、あれをテストとは呼ばないだろう。


「そうですか……」


 少し俯く女の子。


「……良いなぁ……」

「ん?」


 何かボソッと呟いたみたいだけど、電車のガタガタと揺れる音がうるさくてよく聞き取れなかった。


 まもなく花楓駅に到着する。

 見てる限りは痴漢された様子はなかった。

 あまり過信しすぎるのはよくないが、俺がそばにいることで抑止力になっているのかもしれない。

 まだ気を抜くわけにはいかないけど。


「今日もありがとうございました」

「あ、うん」

「お帰りの際は気をつけてください。本当にありがとうございました」


 何度も頭を下げてくる。

 これをされる度に周りから奇異な視線を向けられるから、正直しないでもらいたい。


「それでは」


 最後のお辞儀を深々とした後、女の子は背を向けて歩いて行く。


「また」


 それから、人混みの中に消えて行く女の子を見送って、俺は帰路についた。

 

 

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