また明日
私は帰宅してすぐに自分の部屋に籠り、机に向かって中間考査に向けての勉強に取り掛かった。
本当はこんなことしたくない。好きでしてるわけじゃなくて、志望校に落ちてしまった私には後がないのだ。
お母さんからの監視の目は少し緩くなった。
前までは勉強している証拠の提出を求められていたけど、今はそれがない。きっと私は失望されてしまった。
だけど、点数の付くものは見せないといけないことに変わりはなく、この中間考査は必ず満点を取らないと、またお母さんを悲しませてしまう。
お母さんは、満点を取ることは当たり前なことだと言ってる。
だから、一つでもミスをしたらお仕置きが待ってる。全教科合わせてのミスした回数分のお仕置き。
一つのミスの重さを身体でわからせるのが目的みたい。
「お母さんに謝らないと」
志望校に落ちてしまった私は、戒めとして毎日お母さんに謝罪の言葉を送らないといけない。
昨日は間違えて浩多さんに送ってしまって、慌てて消した。
『ごめんなさい』
『お母さんの期待を裏切ってしまい、今後このようなことがないように努めてまいります。今から中間考査に向けての勉強を始めます』
既読はつかない。
「はぁ……」
何のために生きてるんだろう。
別にやりたいことはなくて、毎日お母さんのために勉強してる自分がよくわからなくなってる。
消えてしまいたいと思うけれど、それを実行する勇気はない。
「浩太さん……」
初めて会った時、背が高くて、目は細くて鋭く、口元はムッとしてて、それで見下ろされてたから、最初の印象は怖かった。
ただでさえ私は背伸びしないと吊革すら掴めないほど背が低いので、浩多さんがとても大きく威圧的に見えた。
でも、初めは怖かったけど、優しいことに気づいた。
電車の揺れで倒れないように踏ん張っている時に間違えて浩多さんの足を踏んでしまったことがあって、でも浩多さんは嫌な顔一つ見せなかった。
それに、バランスを崩して浩多さんの方に倒れてしまった時なんか、すぐに離れないと、と慌てていたら何も言わずに頷いてくれた。
嫌がってるわけでもなく、何なら肩にかけた鞄の紐を掴んでくれて、私がバランスを崩さないように支えてくれた。
その気遣いが嬉しくて、胸の辺りがポカポカと温かかった感覚が今でも思い出せる。それくらい嬉しかったの。
人が多くて、揺れが激しいあの時間帯の電車は好きじゃない。でも、浩多さんと一緒だった今日は苦じゃなかった。
そう言えば、浩多さんにお礼の返事を送ってなかった。
ラインを開く。
浩多さんからは何も返信は来てなかった。
「そもそもするような人じゃないのかも」
『今日は貴重なお時間を使っていただき本当にありがとうございました』
そう返信した瞬間に既読がついた。
もしかして浩多さんも何か送ろうとしてたのかな。
けれど、いくら待っても返事が来る気配がしない。
「まだ17時だけど、忙しい時に送っちゃったかな」
そうだよね、朝早くに私と一緒に電車に乗るだけで、浩多さんからしたら無駄な時間を過ごしただけ。
それに、最初から痴漢なんていない。
まほさんは「どうせ暇だから」と言っていたけど、きっと忙しい中で来てくれたんだ。
私が嘘を言ったばかりに、浩多さんに迷惑をかけてしまってる。
『浩多さんのお陰で痴漢には遭いませんでした』
そもそも痴漢なんてあの日が初めてだった。
ここで終わりにしないと、後に引けなくなる。
『もう大丈夫だと思います。ありがとうございました』
既読はすぐにつくけど、返事は来ない。
このまま待ってても来る気配がしないので、スマホの電源を落とした。
その時、スマホがバイブレーションを起こし、液晶が光った。
浩多さんから返信が来ていた。
『また明日』
それだけだった。
「また明日……」
それって明日も一緒に電車に乗ってくれるってことだよね。
私なんかのために、朝早いのに、欠伸までしていたのに、また明日って。
浩多さんは本当に優しい人。
それに比べて私は、嘘吐いてまでこんなことさせて、最低だ。
でも、本当のことを言う勇気はなかった。
『明日もよろしくお願い致します』
ここで終わりにするべきなのはわかってるけど、嘘を告白するのが怖かった。
浩多さん、きっと怒るはず。
それから既読はついたけど、浩多さんかの返事は来なかった。
「中間考査、もちろん百点でしょう」
「はい」
お母さんが作ってくれたハンバーグ。
美味しいはずなのに、お母さんの冷たい視線に身体が強張ってしまって、味がわからなくなる。
「毎日勉強してるんだから当たり前よね」
「はい」
「もう裏切らないでよ。百点の紙を持って帰るの楽しみにしてるから」
「はい」
こんな時、お父さんが居てくれたら。
記憶の中のお父さんはずっと笑っていて優しかった。
でも、今は別居してる。
恐らく原因はお母さんなんだと思う。
何も聞かされず、突然お母さんから『お父さんは違うとこに住むから』と言われた。その時には既にお父さんは家を出ていた。
「ごちそうさまでした」
「片付けはいいから勉強してきなさい。お風呂が湧いたら呼ぶから」
「はい。ありがとうございます」
私はお母さんにお辞儀して、部屋に籠った。
もう裏切れない。
お母さんのためにも中間考査は絶対に満点取らないと。
それから布団に入ったのは深夜の三時を過ぎた頃だった。
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