顔合わせ

 あれから一睡もできず、気がつけば窓から陽光が差し込んだ。


 緊張の解けないままベッド下の引き出しから適当に長袖シャツと長ズボンを取り出して着替える。

 リビングに行くとテーブルの上に『電車代』と書かれた紙があり、その上には千円札が一枚置かれていた。


「おつりは貰っていいんだよな」


 それから玄関で靴を履いて久方ぶりに外に出る。

 引き籠もっていたとはいえ、近くのコンビニくらいは行っていたけど、人のいない深夜帯だったからノーカンだと思う。


 陽が眩しくて目が細まる。


「ふわぁ……」


 おまけに寝不足気味で欠伸が出る。

 どうしてこんな朝っぱらから他人の女の子のボディーガードをしに行かないといけないのか。

 さっさと終わらせて早く寝たい。


 そんなことを考えながら三咲駅に到着した。

 スマホに表示された時間は6時30分と思ったより早めに着いてしまった。でも、女の子はそれよりも早く着いていたのだ。


 だって、ラインが来てる。


『おはようございます。今日はよろしくお願い致します。今、改札付近に居ます』


 と、相変わらず丁寧なラインが。


「ふぅ……」


 写真で見た限りではめちゃくちゃ可愛いかった。

 果たして実物との差はどれくらいなのか。

 多少はそんな興味もあり、改札に向かう。


 けれど、写真で見た子はどこにも見当たらない。

 なるほど、加工し過ぎて原型がないパターンか。

 などと思っていると、不意に後ろで声がした。


「あ、の、まほさんの弟さんの浩多さん、ですか……」

「え、あ、はい……」


 まだ心の準備がてきてない状態で恐る恐る振り返る。


「初めまして、愛野示堀と言います」


 小柄な女の子が俺を見上げていた。

 小学生かと見間違えるくらいに小さな子だ。


 というかそんなことより、写真のまんまの美少女だったことに驚きのあまり言葉を失ってしまった。


 艶のある黒髪で、小さな顔を包み込んだショートヘア。

 どこか悲しげに垂れた目、色白で肌荒れを知らない綺麗な肌。

 まさに美少女という言葉が似合う女の子だ。


「浩太さん、ですか……?」


 無加工という不意打ちを受け頭が真っ白になってしまって何も言えずにいたせいで、女の子は人を間違えたかもしれないと言わんばかりの不安な表情で首を傾げた。


「どうも……」


 緊張から声が出ない俺は、ようやく絞り出した言葉が素っ気ない感じになってしまった。

 でも、それで女の子が怖がっている様子は見られない。もしかしたら顔に出してないだけなのかもしれないが。


「今日は私のためにありがとうございます」


 改札付近で女の子に深々と頭を下げられる。

 そして、改札を通る人たちがちらちらと見てくる。

 それもそうだ。目が細く、不機嫌顔と姉ちゃんから言われている俺に対して、小柄でか弱そうな女の子が頭を下げているという絵面は、どう見ても悪い方向にしか想像できない。


「とりあえず電車……」

「はい。今日はよろしくお願いします」


 丁寧にお辞儀をする女の子を、俺はただ見下ろすことしかできなかった。

 だって、ずっと他人と話してないとなんて返せばいいのかパッと言葉が思い浮かばないのだ。


 それから特に会話もなく改札を通りホームに向かう。


「いつも7時10分のに乗ってるので、もうすぐです」


 横から女の子の声がして振り向くと目が合った。女の子にこうも顔をまじまじと見られると恥ずかしい。

 俺は反対側のホームに視線を移し、静かに頷いた。

 

 それからようやく7時10分発の電車がやって来た。

 ドアが開き、先に女の子が乗車し、その後を追う。

 既に中は人でいっぱいで、ドアが閉まった頃には二人してサンドイッチ状態。

 

 電車が揺れる度に知らない人の身体がぶつかってきて、吊皮に手が届かない女の子は、何度もバランスを崩しかけ、その度に俺の足が踏まれる。


「申し訳ありませんっ」

「いや……」


 怒ってると思われたのか、上目でずっと様子を伺われてる。

 幾度となく足を踏まれたが、こんな小学生くらいの小柄な女の子に踏まれても痛くも痒くもないし、その程度で苛立つことはない。

 この人の多さには少々苛立ってしまうが。


『この先、電車が揺れますのでご注意ください。お立ちのお客様はお近くのつり革や手すりにお掴まりください』


 え、もう揺れてるんだけど。

 これ以上に揺れるってことか。


 なんて思っていたら、ガタンッ、ガタンッと激しく揺れ始めた。

 揺れが大きく、バランスを崩した女の子が俺のお腹に抱き着いてきた。


「す、すぐ離れますっ」


 そうは言うけれど、前からも後ろからも人で押し潰されてるこの状況では難しいだろう。

 ましてや吊皮を掴めないし、どうやってバランスを保つのか。

 例え離れたとしてもどうせまた同じことになるんだろう。

 ならばいっそのこと俺を吊皮代わりにしてくれたら。

 俺は、離れようとする女の子の鞄の紐を掴んだ。


「あの……」


 困惑した顔で見上げてくる女の子に、俺は頷く。

 ってか、さっきからずっと頷いてばかりだな……。

 頭の中では『俺に掴まってていいよ』なんて言えてるんだけど、現実の俺は緊張して声がでなかった。

 でも、察してくれたみたいで、女の子は離れようとするのを止めた。


「……ありがとうございます」


 小さく伝えられた感謝の言葉はしっかりと届いた。

 こんな風に感謝されたのは初めてだ。

 何だか照れくさいが、悪い気はしない。


 こんな子を痴漢する人がいるのか。

 俺は女の子の後ろに視線を移し、それらしき人はいないか観察してみる。


 パッと見はいなさそうだ。

 もしされていたらこの子が何かしらの反応を見せるはずで、今のところはそんな様子もない。


「あ……」


 俺の視線に気づいたのか、女の子が顔を上げた。


 綺麗な瞳に吸い寄せられる。


「あの、次の花楓駅で降ります」

「あ……うん」


 女の子に話しかけられたことで我に返った。

 すぐに視線を逸らして窓の外に意識を集中させる。


「ふわぁ……」


 不意に欠伸が出て涙目になる。

 昨日は眠れなかったからな。早く家に帰って寝ないと死んでしまう。


『次は花楓、花楓です』


 あと少しか。

 と言っても、この子を見送った後は逆の電車に乗らないといけないから、家に帰るまでまだまだかかりそうだ。


 しばらくして電車が花楓駅に到着。


『開くドアにご注意ください』


 花楓駅に到着。

 ドアが開き、ぞろぞろと人が出て行く。


「本当にありがとうございました。その、ずっと掴まってしまって申し訳ありませんでした」

「いや」


 謝るようなことじゃない。そう言えればいいのだけど。


「じゃ、じゃあ」


 帰りの電車の時間が迫ってる。

 別に乗れなくても次があるんだけど、一刻も早くこの人の多さから解放されたい。


「はい。お気をつけてください。今日はありがとうございました」


 わざわざお辞儀までして、女の子は改札を通って行った。

 小さいから人混みにすぐに消えて見えなくなった。


「はぁ、疲れた」


 主に精神的に。


「……帰るか」


 俺は来た道を戻り、再び電車に揺られるのだった。

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