第9話 父子(おやこ)水入らず

こうなることは覚悟していたのに、いざ赤く染まったそれを目の当たりにすると、ショックと出血とで気が遠くなった。


——しばらくうなだれて気持ちの整理がついた僕は、カバンから新しいナプキンをひとつ取り出し、ひとまずペーパーホルダーの上に置いた。

そして古いナプキンを……つまりは仕事を果たしたものを、フランス料理を食すがごとく丁寧な手つきで剥がしていく。自分から出たものとはいえ、血のついた面が手につくのは嫌なので、慎重に丸めて……


 よし、これも一旦ホルダーの上に置いて。

新しいものに張り替えよう。

……うん、完璧だ。

 我ながら、前向きな気持ちに切り替えるのが上手いものだと思った。ナプキンを新しいものに替えただけで、これからのことも、妙になんとかなるような気がしたのから。

 自分を納得させるつもりで膝を叩いて立ち上がった。そして洗面台のゴミ箱の、なるべく奥のほうへナプキンを押し込み、ガタガタと揺らして周りの紙くずで覆い隠した。


◉ ◉ ◉


 その後、サッカー部顧問のもとへ行き、今日も休みをもらって帰宅した。

「金曜も休んだよな?」とか「病院には行ったのか?」とかいろいろと言われたが、どの言葉も心配によるもので、仮病を疑われることはなかったのでホッとした。

……まぁ、こうしてゲームに没頭している時点で、はたから見れば仮病のようなものだけど。


 それにしても特に運動部に入っている女子は、生理をどうやってやり過ごしているのだろうか?

体調不良とはいえ、月イチで何日も休む期間があっては、あまり部活に集中ができないと思うのだが……

 ネットで調べたところでお得意の「個人差がある」で終わってしまうし、誰かに気軽にぶつけられるような疑問でもない。

男が生理について女に聞く、そんなことは絶対的にタブーだろう。

 せめて腹痛がもう少し収まればいいのだが、痛み止めでもあったら——


「そうや、痛み止め!」


 僕はベッドに仰向けになっていた体を飛び起こし、床に放置されたリュックに這いずり寄った。シワのできた紙袋の中にしっかりと錠剤が入っている。

 病院に行って薬をもらったのにどうして忘れていたのだろうか。四つん這いのままこうべを垂らす。

薬の存在を忘れてなどいなければ、一日中痛みを感じずに済んだのに……!


 まぁ、いいか。ヨシとしよう。

生理痛のリアルをきちんと初日に体験したのだから。

「あぅ……またキタ……」

さっきまで大人しかった腹が、薬を目の前にして都合よく騒ぎ出した。さっそくその効果を試せとばかりに。

 言われた通りに……いや、誰にも言われてはいないのだが、僕は錠剤をひと袋つまんで、内股で寝室を出た。

とりあえず1錠。コップに水を注いで——


ガチャ、ガチャガチャ……


 台所に向かおうとしたときに、背後の玄関から音が聞こえてきた。ピタリと足と呼吸を止めた僕はゆっくりと振り返る。

時刻はまだ18時。普段なら母さんはまだ帰ってこない。

父さんだったら尚更ありえない。もっと遅くに帰ってくるから。

 帰ってきたのが誰であろうと、この薬を見られるのはまずい。物々しい鉄製のドアを凝視したままポケットに薬をねじ込んで、その正体を見守る。


 「尚更ありえない」人が帰ってきた。

こっちに越してきてからは20時過ぎに帰ってくるようになって、寝るまでしか一緒に過ごせないのに。


「父さん?」

「おー、ただいま。こうやって出迎えられんのも久しぶりやなぁ」

「なんで今日はそんなに早いが?」

「ん、まぁまぁ。いろいろな?」

「いろいろって?」

「いろいろよ。いやぁ疲れたな」


 いろいろってなんだろう。そう考えているうちに、父さんは洗面所に向かった。

……そうだ、まだ腹が痛いんだった。さっきより鈍痛が増している気がする。

父さんがいない隙に飲もうとも思うが、この時期の父さんはズボンだけ短パンに履き替えると、すぐにリビングへ戻ってくるのだ。

「……どうしたが? ずっと立ちよるけど」

「あー……別に」

父さんはテレビをつけると、ソファにどっぷりと座った。仕方ない。洗面所で飲むか。


 ズリズリと歩き出した僕だったが、父さんはなぜか呼び止めてきた。

「雄一郎、こっちぃや」

「え、なんで?」

「ええき、ほら」

ソファをポンポンと叩いて、隣を催促してくる父さん。すぐにでも服薬して、できればもう寝たいのだが……


「引っ越してもう2ヶ月になるなぁ」

「うん」

「来寿くんだけやなくて、他の人ともちゃんとやりゆうか?」

「うん。友達も増えた」

「そうなんか? どんな子や?」

「どんな子って……来寿の幼馴染で、司っていう人と、愛奈っていう人よ?」

「ほーん。愛奈っていうのはあれか? 女の子か?」

「そうやけど。……もう部屋、戻るわ」

「なんでや、もうちょっと聞かせてや」


グイグイと話してくる。腹痛のせいか、余計に父さんの声がうっとうしい。

「嫌よ面倒くさい」

「なんや面倒くさいって」

「そのまんまよ。話すようなこと別にないって」

「そんなことないろう? 友達のこととか、学校のこととか、最近起こった話とかいろいろあるやろ」

「もう、どうやってええやろ! てかなんでそんなはよ帰ってきたんや……!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る